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<8-2話
長い休みの間、結局靖男はアルバイとミッキーの仕事ばかりをしていて、遊びに行くことはなかった。おかげで懐は潤っているが、夏休み前の方が楽しかった。千尋の家でなんとなく一緒にいるのが居心地がよかった。
十月になって大学が始まったが、講義どころではないのが実行委員たちだ。開催まで一か月を切って、にわかにどたばたしている。特に靖男たち三年生は中心メンバーでもあったし、「ミッキーたるもの学祭を理由に留年は許さん」と遥か昔のミカドの言葉が今でも遵守されるべき掟として存在しており、一、二年生は単位取得に必死なので必然的に多くの業務を担うことになる。
千尋もまた、あっちへこっちへと走り回っていた。とはいえ、彼の所属する財務局は次は祭の後の方が忙しくなるのだが、人のいい千尋は、手の足りないところへと駆り出されていた。
上背はあるけれど、線の細い千尋が重い荷物を運んでいるのを遠目で見ると、ハラハラしたが、結局手伝いに行ったりすることはなかった。
本番のステージ運営がメインの活動局だが、ステージ設営や看板等の装飾も、整美局と協力して行わなければならない。背の低い靖男だが、DIYの技術だけは自信があったので率先して高いところでの作業を引き受けた。
最近の若者は釘と金槌も使えない……建築学科の奴でもな、と靖男は大工の棟梁になったような気分になって、脚立に乗って看板作成に精を出していた。
真夏のギラギラした暑さは通り過ぎたものの、作業に没頭している靖男の額からは、汗が噴き出て伝い落ちていった。汗止めのためにスポーツタオルを頭に巻いていたら、お調子者の敏之は「お前ほんっとに大工みてぇだなあ」と笑ったが、べえ、と舌を出して、「お前らがまともに釘も打てねぇからだろ!」と怒鳴った。
「落っこちるなよ」
「下でちゃんと支えてくれてれば大丈夫だよ! 絶対離すなよ!」
「わかってるよ。お前の中の俺、どんだけ信用ないんだよ」
「あるわけないだろ!」
高校からの付き合いだが、何度お前の尻ぬぐいをさせられたと思ってんだ! と靖男は怒鳴った。修学旅行も敏之がよそ見をしながら歩いていたら、思い切り段差に躓いて、しかも靖男の腕を強く引いたものだから一緒に転んだ。他にもいろいろ、靖男は覚えているのだが、残念ながらこういうとき、当の本人は覚えていないのが常なのだった。
「お、小澤じゃん」
靖男が大工仕事をこなしていると、下で脚立を押さえている敏之の元に、別の学部に行っている友人たちが声をかけていた。靖男はとっとと終わらせようとして集中している。
「おー。大友ー。元気ー? 久しぶりー」
お前何してんの? 脚立押さえてるだけじゃん、だっせぇ、と雑談は進んでいく。
「なぁなぁ、合コンしねぇ?」
「えー。合コン? 俺同棲中の彼女いるしー」
「えっ、お前同棲してんの? すげえじゃん。ヤりまくりじゃん!」
いやぁ、そんなことは。敏之は照れて頭を掻いた。そのとき脚立は押さえを失っていた。
「写真見る?」
おい敏之ちゃんと押さえてんのか、と言おうとした矢先だった。
見る見る! と言って大友たちが敏之の持つスマートフォンに殺到した瞬間、脚立にぶつかった。
「っ、わ!」
強風もあいまって、靖男はバランスを崩した。後頭部を打たないように、咄嗟に頭を庇う。落ちることは、不可避だった。
不幸中の幸いだったのは頭を打たなかった点と、敏之や大友だちの上に落下しなかったことだった。
「っ、うう……」
あまりに痛いと「いてえ」とも言えなくなるものなのだと靖男は知る。強かに打ち付けた尻と腰と背中、そして頭を庇ったがゆえに、腕が痛い。特に腕の痛みは尋常ではない。慌てた敏之たちに抱え起こされて、腕を動かそうとしたが、できないほどだった。
すぐに保健センターへと運ばれたが、そこでは対処することができずに、総合病院へと向かった。
>9-2話
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