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<1話
小野田明美。理の通う大学の、文学部で助手を務めている。工学部情報科学コースに在籍する理とは、元々は接点がない。
夏織がアップした写真の内、複数枚に映り込んでいるのは明美だけだった。理は彼女のことを調べ上げ、彼女が師事している教授が担当している講義に、まずはもぐりこんだ。
少人数のゼミであれば、目立って仕方がなかっただろうが、大教室での講義であったので、教室に入ってしまえば、それでよかった。
講義が終わってから、助手の明美は黒板を消したり、余ったレジュメを回収したりと忙しい。
そこに理が声をかけ、手伝ったところから交流をスタートさせた。
理学部所属だが、興味があって授業を履修した、と講義の感想を述べると、ぱっと彼女は明るい表情を浮かべた。
教授が講義に使っているテキストは、彼女の研究分野でもある。
やる気のない学生が多い中で、門外漢の理が興味を持ってくれたことを、純粋に喜んでいる顔だった。
文学部のカフェテリアやテラス、喫茶店で、理は明美が専門としている『古今和歌集』についての話を何時間にもわたって聞き続けた。
学問第一に生きてきた明美にとっては、自分の研究の話を、退屈せずに聞いてくれる相手は貴重である。明美の目は、理のことを異性として意識していない。
理は、時間をかけて明美の信頼を得てから、相談を持ちかけた。
兄に婚約者ができたが、どんな相手なのかわからなくて不安だ。
打ち明け話をしつつ、市役所勤務に勤務している同僚で、と相手の情報を小出しにしていって、夏織のことだとわかるようにした。
『それ友達』
そう言った明美に対して驚きを露わにしつつ、理は自分の思い通りに会話が進んでいることに、満足していた。
どんな人なんですか、という問いかけに対しては、明美は苦い顔をした。親友だというのに、夏織のことを庇わない。
いや、親友だからこそ、古河夏織の本性を、嫌というほど知っているのだろう。
あからさまに罵ることはなかったが、その口ぶりには、微妙な心境が窺えた。
女の友情など、脆いものだ。
明美は、兄の婚約者に不安と不満を抱く、理の協力者となった。
兄にはすでに、「母の具合がよくない。不安だから、ゴールデンウィークは家に戻ってきてほしい」とメッセージを送ってある。
連休中に夏織とデートはさせない。その隙に、明美には夏織と話をしてほしいと頼んでいた。できるなら、彼女の不安感を煽るような形で。
その成果にも期待しているが、それ以上に、連休中は家に兄がいるのだと思うと、理の胸は高鳴った。
もともと家族三人で暮らしていた離れは、現在、理が一人で住んでいる。文也は折り合いの悪い母のいる母屋ではなく、おそらく離れの、元々彼が使っていた部屋で、寝起きすることになるだろう。
大好きな兄と、一つ屋根の下で二人きりだ。無表情の顔の中で、唇だけがにやにやと緩む。渡辺百合子への接触をしなければならないという憂鬱さも、約一週間、兄と一緒にいられると思えば、少しは慰められる。
連休は、二人で何をしよう。
理の頭の中は、楽しい予定だけが浮かんでいた。
>3話
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