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<17話
両手いっぱいにスーパーの袋を提げて、雪彦は玄関で、行き慣れた部屋の番号を押した。呼び出しのチャイムの音が聞こえるものの、扉は開かない。申し訳ない気持ちになりながらも、雪彦は遠慮なく、鍵を使った。
エレベーターで十五階へ。部屋のインターフォンを鳴らしても、無反応だった。
これはいよいよ、普通の風邪ではないのかもしれない。ここでも合鍵を使おうとした矢先、中からドアが開いた。
「葛葉……!」
お前、起きてて大丈夫なのか?
心配のあまり、勢いよく尋ねようと「お」の口を作ったところで、雪彦はドアを開けてくれたのが、幹也ではないことに気がついた。
いや、誰?
年の頃は四十代前半といったところだ。細いフレームの眼鏡の奥の瞳が、すっと細められる。値踏みをされているような気分になり、雪彦は初対面の男に対して、ムッとしたのを隠さなかった。線が細く、神経質そうに見える。
「君、どうやってここまで来たの? 僕、下のオートロック解除しなかったよね?」
「俺は、葛葉に合鍵をもらっていて……そちらは?」
寝ているだろう幹也の家に踏み込んでいるわけだから、同じように合鍵をもらっているということなのだろうが、関係がわからない。
すると、男は革の名刺入れからスマートに名刺を取り出して、雪彦に寄越した。ビジネスマナーにも疎い雪彦だが、両手で受け取るべきだということくらいは知っていた。だが、手は塞がっている。無理矢理片手で取った。
「早川健一……医者?」
はやかわクリニック院長、という肩書が目に入った。早川は胸を張ったが、貧相なので格好がつかない。
「お医者さんなのはわかりましたが、葛葉とはどういうご関係で?」
「僕は幹也の伯父だ」
似てない。それが第一の感想だった。
包み込むような柔らかい笑顔の持ち主である幹也と、目の前の偉そうな早川が、血の繋がりがあるとはとても思えない。
早川は眼鏡の位置を直すと、「それで君はいったい誰だ?」と問うた。正直に本名を伝え、幹也との関係性については当たり障りなく、「大学の友人」と自称する。嘘ではない。友人以上のぎりぎりすれすれアブノーマルな秘密を共有しているが、幹也もまさか、血縁者に自分の性癖をバラしているはずが……。
「ただの友人に、合鍵など甥が渡すわけがない。君は幹也のパートナーか?」
あった。
明らかに早川の言葉が意味しているのは、「甥の性的願望を充足させるためのパートナー」だ。
そうだった。葛葉幹也という男は、最初から規格外だった。出会い頭に「俺のご主人様になってください!」と、衆人環視の中で叫び、土下座までしようとする男だ。普通の人間の範疇に入れてはならなかった。ついうっかり忘れてしまう程度には、幹也に絆されてしまっていたことを、雪彦は深く反省した。
>19話
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