愛は痛みを伴いますか?(2)

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 雪彦が一人でこの場に直面したのなら、触らぬ神に祟りなし、とこっそり逃げ出すところであった。しかし一緒にいるのは、人の心の機微などわからない連中だった。彼らは混ぜっ返せば、どうにかなると思っている。どうにかしてくれる人間が、傍にいたから。

 そしてその役割は現在、不本意ながら、雪彦に回ってきている。

「つか、白衣汚れただけで怒鳴り散らすって、ダサ」

「クリーニングすればいいだけの話だし、何なら購買に売ってるじゃん。ケチなんだよな」

「まあ、雇われだからな」

 最後の一言は、完全に菅原のことを見下していた。雪彦の友人たちは、それぞれ大病院の経営陣の息子であったり、この大学の教授の甥だ。親の階級が子供の友人関係にまで影響するのは馬鹿らしいが、父や伯父の部下たちにちやほやされて育ってきた彼らにとっては、当たり前らしい。

 勤務医の息子である菅原でさえ馬鹿にされるのだから、彼らにとって、平凡なサラリーマン家系出身の雪彦は、おもちゃにすぎない。

 事実、友人に取り立てられたのは、親類縁者に誰一人医者のいない珍しさと、雪彦の容貌が、少し人目を惹くものだったからだ。

 生まれつき色素が薄く、茶色い髪の毛や目はコンプレックスだった。その上、鋭い目つきも相まって、雪彦は中学や高校の教師には「不良」というレッテルを貼られていた。ワイルド系のイケメンなどと、大学に入って初めて言われたものだから、多少浮かれていた。結果、このグループの一員に数えられるに至ったのである。

「……んだとぉ!」

 陰口はとかく、耳に入ってきやすいものだ。ぼそぼそと交わされた会話は、菅原にも聞こえていた。はっきりと敵対する視線を向けられるが、その実、彼はしっかりと値踏みしている。そう広い界隈でもない。菅原は今、自分を叩いたのが誰なのか、力関係を計算した。そしてどこの馬の骨ともわからない雪彦に、矛先を向ける。

「てめぇ! 馬鹿にすんじゃねぇよ!」

 いや俺、何も言ってないし。どうして俺ばっかり。

 威勢よく繰り出された拳の威力は、大したことなかった。雪彦は反射的に受け止めた。そのままいなす。力を殺しきれなかった菅原は、膝をついた。

 そのときである。

 黙って事の成り行きを見つめていた、事件の発端となった青年が、「ご主人様!」などと血迷ったことを言い出したのは。

 滅多にない荒事を、固唾をのんで見守っていた群衆は、彼の発言に動きを止めた。後ずさる人間すらいる。雪彦も逃げ出したかった。しかし、彼らが引いているのは、青年に対してだけではないのだ。「ご主人様」と呼ばわりされた雪彦についても、冷たい視線を向けている。

 ドン引きされている空気感を、青年は感じ取っているのかいないのか。「あ」と何かに気づいたように漏らし、それからにっこりと微笑みかけた。そこで初めて、彼の顔立ちが甘く整っていることに気がついた。

「ご主人様になっていただくのに、礼儀がなっていませんでしたね。失礼しました!」

 そう言って、彼は土下座をしようとする。群衆、さらにドン引きである。菅原は、とんでもない奴に喧嘩を売ってしまった、と青い顔だ。そそくさと立ち上がり、逃げ出すタイミングを窺っている。

 ちなみに雪彦の友人たちは、すでにこの場を立ち去っていた。逃げるなら最初から、揉め事に首を突っ込まないでほしい。

 なんとか正気を取り戻した雪彦は、青年を止めた。額を廊下に擦りつける寸前だった。腕を引っ張り立ち上がらせると、そのまま無言で、廊下を駆けてゆく。

 有名私立とはいえ、所詮は単科大学。生徒数はたかが知れている。

 おそらく今日のこの事件は、面白おかしく語られ続けることになるのだろう。下手をすると、都市伝説になるまで。

 雪彦は大きく溜息をついた。

3話

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