愛は痛みを伴いますか?(21)

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20話

 幹也の風邪は長引いて、翌週火曜日まで大学を休んだ。登校した雪彦は、いつも以上に真剣に講義を受けて、字もきれいに書いた。

 彼の部屋に行って、ノートのコピーを差し出すと、パッと顔を輝かせた。

「雪彦さん、ありがとう!」

 すでに熱は下がっているのだが、まだ咳が残っていた。ゴホゴホと言い出した幹也の背中を、雪彦は優しく摩ってやった。

「明日は行けそうなのか?」

「ん……うん。これ以上休んだら、特待切られそうだから」

 幹也の実家は十分な財力を有している。切られたところでどうということもないのだが、彼は努力をし続ける。

 ノートの黙読のスピードが雪彦とは段違いで、ものの数分で読み終えていた。ベッドから降りて、書斎に教科書と筆記用具を取りに行こうとした幹也を押しとどめて、雪彦が書斎へと向かう。

 几帳面なタイプの彼は、毎日の講義が終わると、教科書をすべて本棚の所定の位置へと戻し、筆箱も書斎のデスクの一番上の引き出しにしまう。呆れるほどに雪彦のことを信頼していて、財布の置き場所さえも、明かしていた。

 今日の講義の教科書と、それから類似の医学書を手にする。どうせ必要になる。

 彼が特待生でいられるのは、もともとの記憶力や知能指数も関係あるだろうが、その飽くなき学術的探究心によるところが大きい。

 幹也とともに勉強に励む毎日で、おそらく彼が参考にしたいだろう医学書の判断がつくようになっていた。この調子で夏学期のテストを乗り越えたいものだ。

 そう考えながら、最後にペンケースを取るべく、机の引き出しを開ける。

「ん?」

 何かが奥で引っかかっているらしく、引っ張っても引き出しは開かなかった。ガタガタと上下に揺さぶってみても、なかなか引っかかりは取れない。しまいには、つまみが取れそうになるほどだった。

「雪彦さん?」

 あまりに遅いことを心配して、結局幹也も書斎にやって来てしまった。

「引き出しが開かねぇ」

 デスクに近寄りながら、「別に筆箱じゃなくて、ペン立てに入っているのを適当に持ってきてくれても構わなかったのに」と苦笑する幹也は、力任せにつまみを引いた。

「あ、ほんとだ。全然開かな……ふん!」

 すると、引き出しの方が負けた。単純な腕力では、明らかに幹也の方が勝っている。

「何が引っかかってたんだ?」

「あー……これですねえ」

 幹也が手に取ったのは、小さな箱だった。ラッピングも何もない、アルファベットでブランド名が刻まれた箱。その手のことに疎い雪彦でも聞いたことがある、有名な店だ。

 幹也の指にも耳にも首にも、該当するアクセサリーはない。しかし、プレゼント用のラッピングもなされていない。

 気になって仕方がない。幹也は雪彦の視線を受け止めて、小さく微笑んだ。嬉しいとも楽しいとも少し違う。どことなく、寂しそうだった。

 幹也は箱を開けた。中に入っていたのは、透明な輝石。誰もが名前を知る、永遠の輝きは小さくても損なわれない。

「ダイヤモンド?」

「合成だけど」

 素人目には、本物も偽物もわからない。宝石に興味を持ったことはなかったが、「天然の一割くらいの値段で買える」という情報を聞くと、感嘆した。

 男がファッションとして身に着けるピアスにしては繊細すぎる作りだが、ごく小さい石でシンプルな物だ。この石が、彼の耳たぶを飾るのか。そう考えて、幹也の耳に目を向けた。

「あれ?」

「どうしたんですか?」

 顔のパーツとして、耳はいつも視界の中に入ってくるけれど、まじまじと見つめたことはなかった。薄い耳たぶは、生まれたままの姿だった。

「開いてないじゃん、ピアス」

 開ける前に、ピアスに惚れこんで買ってしまったのだろう。そんなこともある。そして買ったはいいが、耳に穴を開けるのが怖くて、結局つけることができずに、机の引き出しの中にしまってある。

 軽く考えていた雪彦の耳に、幹也の本音が聞こえてくる。

「俺のことを愛してくれるご主人様に、開けてもらおうと思って」

 照れくさそうに微笑み、彼は雪彦からピアスを隠すように、急いで蓋を閉めて、再び引き出しの奥にしまい込んだ。

 ペンケースを持って、先に戻ろうとする幹也の方を掴み、振り向かせた。

「お前……」

 パチパチと瞬く目と見つめ合い、雪彦は言葉に窮した。

 愛してくれるご主人様? そんな奴がいるのか? 俺だけじゃなくて。

 俺を理想だというその口で、俺を愛せないというのか。

「雪彦さん?」

 怪訝な声に、雪彦は我に返った。

「何でもない」

 俺はいったい、何を考えているんだ。

 雪彦は幹也の肩から手を離した。もう一方の手に握られた本のカバーは、汗で湿っている。

22話

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