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<24話
「……笑うだろ」
頬杖をつき、そっぽを向いて自虐する。
「え? なんで?」
本当にわかっていないという顔で、幹也は首を傾げた。大人びて見える容姿のくせに、彼は幼い仕草が反則的に似合う。
「こんな、子供に怖がられるような顔してるくせに、小児科志望なんてさ」
優しくて子供に安心感を与える小児科医のイメージと、己の顔がかけ離れていることは痛いほどわかっている。親戚の小さい子供には、顔を合わせる度に泣かれている。
それでも小児科医になりたいのには、理由がある。
「俺、弟がいてさ」
弟の陽彦は、中学三年の今でこそ体育の授業も普通に参加できるくらいになったが、早産だったため、超低体重で生まれてきた。陽彦の出産のとき、雪彦は分娩室の外で父と一緒に待っていたのだが、産声は外に漏れ聞こえてくることがなかった。雪彦は、生まれたばかりの弟に会うことはできなかった。すぐに入院することになったからである。
生まれながらの虚弱体質で、何度も病院に入院することになった。両親は弟にばかり構った。雪彦は、兄だからとわがままを言うのは我慢していた。
「そんな俺に気づいてくれたのが、弟の主治医だった、小児科の先生」
入院中の次男のために、母は甲斐甲斐しく病院へ通った。子供を家に一人にするわけにもいかないので、雪彦も連れていかれたが、放っておかれる。その日、とうとう我慢の限界が来て、雪彦は病室からそっと抜け出した。中庭のベンチで声もなく泣いていたところを、朧げにしか知らなかった担当医が見つけてくれた。
背が低くて、丸くて、お世辞にも格好いいとは言えなかった。アニメ映画で見た卵型のモンスターそっくりだった。
けれど、「雪彦くん?」と、彼に呼ばれたとき、心から嬉しかったのだ。一度も直接診察してもらったことがないのに、彼は自分を知っていてくれたのだ。
要領を得ない子供の話をきちんと聞いて、相槌を打ってくれる。両親ですら、雪彦が「あのね」と話しかけても、弟ばかり構って聞いてくれなかったのに。
「弟くんの先生であると同時に、雪彦くんの先生でもありたい……そう言ってくれたんだ」
あの頃両親は、陽彦の親ではあったけれど、雪彦の親ではいられなかったのだと思う。特に手のかかる子供ではなかったから、放置されてしまった。先生、先生、と、雪彦は彼の白衣を掴んで泣いた。
長男の不在に気づいて血相を変えて探しに来た母に、先生がなんて言っていたのかは、記憶に残っていない。ただ、その事件の後は、両親はまた、雪彦の両親に戻った。
「小児科って、他の科以上に患者と家族の関係が大事だと思うんだ。俺もあの先生みたいに、病気以外のことにも目を配れるような医師になりたいと思っていて……」
医大に行きたいと親に話したときだって、ここまで詳細な打ち明け話はしなかった。幹也は絶対に雪彦のことを否定しないという安心感があるから、初めて話をした。にこにこと微笑み、頷きながら聞いてくれる幹也は、どことなくあの先生と似ている気がした。
「葛葉は? どこ志望?」
自分ばかりが憧れを語るのも照れくさくて、雪彦は幹也に水を向けた。すると彼の表情は一変した。眉根を寄せて、苦々しい表情をしながら、珍しく行儀の悪いことに、箸を噛みしめている。
「うちは……外科です」
主語は「俺」ではなかった。彼は、「院長の意向ですから」と簡潔に言った。
雪彦は以前サイトで見た、くずの葉総合病院の診療科ラインナップを思い出す。筆頭は内科。続いて外科。難しい症例の手術についての論文もアップされていたので、力を入れているのは消化器外科だろう。息子に優秀な外科医になってもらいたいと願うのは当たり前かもしれないが、親のエゴだ。
幹也の人生は、幹也のものだ。雪彦は、彼がどれほど努力しているかを、間近で見てきた。特待生になるほどの優秀な幹也が、自分の人生を生きることを諦め、閉ざしてしまうのはもったいない。
「本当は、何をやりたいんだよ」
「え?」
雪彦は人差し指で、幹也の眉間をぐりぐりと弄った。言外に皺が寄っていることを示して、あえて軽い調子で言う。親と自分の言葉との間で、幹也が板挟みになって苦しまないように。
「親の意見は置いといて、お前は本当は外科以外にやりたいことあるから、そんな顔してんだろ……もしかして、医者になるのすら嫌だったり?」
「それは違うよ!」
即答した幹也の顔は、医学への情熱に満ち溢れている。幹也は箸で付け合わせのキャベツを突きながら、ぼそぼそと喋った。
「……本当は俺、基礎に進みたいんです」
医学には大きく分けて、二種類ある。患者の相手をする臨床医学と、直接診療を行わない基礎医学。後者は研究職であり、病気の原因を究明したり、遺体を解剖して死因を突き止めたりする学問分野だ。
「もちろん、目の前の患者さんを診療することも大事なことです。でも俺は、それじゃ満足できないんです」
どれほど医学が進歩しても、原因不明で治療法が確立されていない難病は山ほどある。病名すらついていない正体不明の症状に悩まされている人々は、時には嘘つき呼ばわりされることもある。肉体だけでなく、精神的にも追い詰められていく。
「俺はそういう人たちも助けたいんです」
秘めた思いを口に出したのは、初めてなのだろう。ちらちらと向けられる視線は、不安でいっぱいだ。自分よりも大きいくせに、小動物か子供のような幹也の頭を、雪彦はわしゃわしゃと掻き混ぜた。
「わっ」
柔らかな髪が指に絡む。目を丸くしている幹也を不意に可愛いと思いながら、手を離した。指に最後まで纏わりついた髪の毛を、名残惜しく感じる。
「いい夢じゃん」
たった一言で肯定してやると、幹也はこれまでで一番嬉しそうに、「ありがとう」と笑った。
>26話
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