愛は痛みを伴いますか?(26)

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25話

 それから他愛のない話をして、そろそろ昼休みも終わり、再びカンファレンスルームに集合する時間になる。二人は食器を下げようと、席を立った。

「美味しかったですね」

「俺は醤油の味しかしなかったけどな……」

 と、笑い話に夢中になっていたら、向かい側からやってきた人物に気づかず、雪彦は白衣姿の人物にぶつかってしまった。

「あ、すいません」

 白衣姿だったため、相手がこの大学病院の勤務医であることがわかった。雪彦は軽く謝罪したが、もう一度ちゃんと謝っておいた方がいいだろうと、相手に向き直る。

 だが、ぶつかった男が見ていたのは、雪彦ではなかった。背後に隠れ切れずにいる幹也に、嘲るような目を向けている。

 知り合いか?

 男は三十代前半。眼鏡をかけているが、これがまったく似合っていない。ただでさえ肉に埋もれて細く小さい目が、より矮小化して見える。でっぷりとした巨体は、雪彦の尊敬する先生とは違い、安心感は得られそうもなく、愚鈍さを強調している。白衣のボタンは、今にもはちきれそうだ。

 背後をちらりと確認すると、幹也の目の奥には、怯えの色が見えた。身長も体力も、何もかも勝っているはずなのに、男の眼前に晒された幹也は、小さな子供のようだった。

「幹也じゃないか」

「……お兄さん」

 甲高い声で偉そうに言う男に、幹也は信じられない呼称で呼びかけた。驚いて男を二度見した。

「どうやら大学では優秀らしいじゃないか」

 どう考えても、優秀な弟を褒める口調ではない。

「別に、そんなことは……」

 食堂中の注目を集めているのが、よほど気持ちいいのか、男は胸を張っている。腹を突き出しているようにしか見えない。

「だが、お前がいくら賢くても、所詮は愛人の子。病院を継ぐのは俺だ。来月の経営会議が楽しみだな!」

 雪彦の知らない個人情報が、兄の口から勝手に公開される。どうりで似ていないわけだ。顔も、頭の中身も。こんな場所で、父の不祥事を堂々と喧伝するなど、あまりに愚かだ。

「なんといっても、お前は……だからな」

 幹也の耳元に、兄は囁いた。はっきりと聞き取れたわけじゃない。ただ、雪彦の耳には、こう聞こえた。

「人殺し」と。

 幹也はますます青ざめて、震えている。無視すればいいのに、幹也は年の離れた兄に強く出られず、大きな身体を萎縮させるばかりだ。

 俺が守らなきゃ。

 咄嗟に身体が動いた。一歩前に出て、男の腹すれすれまで迫る。ただでさえ鋭い目つきである。意図的に睨みつければ、期待以上の効果が表れる。

 男は年下の雪彦の迫力に、一気に引いた。

「な、なんだよ」

 ここで騒ぎを起こすわけにはいかない。声音は平坦なまま、目の力は抜かない。

「お兄さん。俺たちそろそろ行かなきゃならないんで、失礼しますね」

 そう言った後、雪彦は幹也の背を押して、さっさと食堂を抜け出した。

「お前がどこの誰でも、関係ないからな」

 押し黙ったまま下を向いて歩いている幹也に声をかけると、彼はぎゅっと雪彦の服の裾を掴んだ。

 まるで、迷子の子供がようやく頼れる大人を見つけたかのように。

「雪彦さん……今日、うちに来て」

 そう請われて、雪彦が否を唱えることができるはずがなかった。

27話

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