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<2話
犬になりたいのか奴隷になりたいのか、名前も知らぬ青年を引きずってやってきたのは、進路面談の際に利用するカウンセリングルームである。学生同士の利用も制限されていないため、雪彦は一番奥の個室に入り、利用中の札を掲げる。
そこでようやく、一息ついた。雪彦は、立ちっぱなしの青年に、「とりあえず座れ」と促した。
歩いている最中から気づいていたが、青年は顔だけじゃなく、スタイルもよい。先日の健康診断では、一七七センチを記録した長身の雪彦よりもまだ、背が高い。脚が長く、背丈に見合っただけの逞しい胸板も兼ね備えている。羨ましいほどのモデル体型だ。
雪彦の視線を受けて、にぱっと青年は笑った。笑顔を作っても、「怖い」「不自然」と言われる自分とは真逆である。イケメンというよりも、女子には「可愛い」と言われそうな男だった。
いずれにしろ、青年が菅原に必要以上に絡まれたのは、この見た目も関係しているに違いない。
勉強勉強で、貧弱そのものの己の身体に劣等感を抱いたか。はたまた、彼女が男に目を奪われたか。
彼の向かい側に腰を下ろした雪彦は、口をまごつかせた。目の前の男の名前すら知らない。雪彦の戸惑いを察して、彼は進んで自己紹介をした。
「葛葉幹也っていいます。ご主人様」
「ご主人様はやめろ! ……柳雪彦だ」
咳払いしながら名乗ると、キラキラした目を向けられる。
「じゃあ、雪彦様ですね!」
「様付けもやめろって!」
呼び名問答ですったもんだしつつ、何とか「柳さん」「雪彦さん」という呼び方で納得させた。雪彦が一浪しているとはいえ、幹也も一年生だ。同級生に「さん」付けで呼ばれるのも、なんだかムズムズするが、「ご主人様」「雪彦様」などと呼ばれるよりは、はるかにマシだった。
口の中で「雪彦さ……ん」と、練習している幹也の顔に、雪彦はまったく見覚えがない。同級生は百人近くいる。交友範囲がクラスメイトに限られる雪彦のことを、幹也は「探していた」とはっきり言った。
前世の記憶があると思い込んでいる電波系ならば別だが、目つきは限りなく正常だ。
だったらなぜ、幹也は自分のことを知っている?
「なぁ。俺、あんたとどっかで会ったことあるっけ?」
人の顔と名前を一致させるのが苦手なタイプではあるものの、黙って立っているだけで目を奪わずにはいられない男のことを、そう簡単に忘れるとは思えない。
幹也はあどけない目をきょろきょろと動かしつつ、雪彦を見上げた。そう、見上げたのだ。座っているとはいえ、自分よりも背の高い男に上目遣いをされるとは、思いもよらない。
気持ち悪いとは不思議と感じなかった。感情がすぐに表に出る彼の目が、年よりも幼く感じられるせいだろうか。一瞬、可愛いとすら思ってしまって、「いやいやいや」と雪彦は不可解な感情の芽を潰した。
「覚えてないんですか?」
やっぱり電波系だったか? よし、逃げよう。
二人きりの部屋に入ったことを後悔した雪彦の耳に、懐かしい名前が届いた。
「黒高のユキヒョウさん」
その呼称は、雪彦の見かけによらず繊細なハートに、「ご主人様」以上の深刻なダメージをもたらした。
>4話
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