愛は痛みを伴いますか?(39)

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38話

「誰だ……?」

 早川は雪彦を止めなかった。雪彦の後ろから顔を出すと、院長の顔色だけがはっきりと変わったのがわかる。注目を浴びているのは雪彦だが、さらに大きな鶴見が背後から姿を現すと、室内に緊張感が漂った。いったいこの男は、何者なのだろうか。

「雪彦さん、どうして……」

 幹也は呆然としている。雪彦はそちらに向けて、不器用な笑みを一瞬浮かべたが、すぐに部屋にいる大人たちをぐるりと見回し、睨みつけた。ヤンキー的に言うならば、ガンを飛ばす、という奴だ。彼らは雪彦と目が合わないように、視線を逸らして小さくなった。最高位にあるはずの院長ですら、同じである。この場の空気は、雪彦たちのものになった。

「な、なんだよ、お前たち……!」

 ビビりながらも、兄は闖入者に食ってかかった。食堂で遭遇したときのことを、覚えていないのだろうか。あのときも、この男は、雪彦の剣幕に怯えていたのだけれど。雪彦はさらに睨みをきかせると、堂々と宣言した。

 もう俺は、誰かに流されるだけの男じゃない。

 自分が欲しいものは自分で手に入れるし、守るだけの強さがある。

「俺のパートナーを、返してもらいに来ました」

 雪彦は幹也の元に駆けよって、そっと抱き寄せて背後に庇った。大人たちに寄ってたかって傷つけられる幹也が、可哀想だった。ぎゅっと幹也の手を握ると、彼の緊張はゆっくりとほどけていくようだった。か細く吐き出された息は長く、雪彦の存在に安堵しているのがわかる。

 幹也がどれほど賢くとも、たった一人では戦えない。彼の事情がわからない雪彦では、大した味方にはなれないが、早川や鶴見は違う。病院の現状を憂う鶴見と、幹也のことを案じる早川は、ずっとこの機会を伺ってきた。彼らがついているのだから、百人力。幹也は戦えるはずだ。

 雪彦は何の武器も持たないけれど、幹也の隣で彼を支えることはできる。

「幹也。お前のことだから、きちんと記録は残してあるんだろう?」

 伯父の言葉に、幹也は頷いて、スマートフォンを取り出した。全員に聞こえるように、スピーカーにしてから、留守番電話のメッセージを再生する。

『わかってるのか!』

 音量調整が上手くいかずに、会議室内に響き渡ったのは、兄の怒鳴り声だった。聞くに堪えない罵詈雑言が続き、「人殺し」と、今回ははっきりと雪彦の耳にも聞き取れた。何度も繰り返されるのは、試験を受けるなという命令だった。やけに幹也のスマートフォンが鳴るな、と思っていた時期があったが、これか。

 留守番電話なので、最初に機械音声で録音日時が読み上げられる。連日、昼夜問わずに恫喝するメッセージが吹き込まれていたら、誰でも参ってしまう。

 幹也の兄は、罵倒のバリエーションにも乏しかった。あとはずっと、同じ文言が続くだけだと、幹也は途中で再生を止めた。

 室内の人間の目は、先程まで強気で弁舌を振るっていた長男に向けられた。そこまでしなければ、弟に勝てないのかという同情と、大人として恥ずかしいという怒りや呆れ。それらがないまぜになった視線を向けられて、兄は恥辱に震えた。

 父親は、顔色ひとつ変えなかった。

「幹也。それを持って、テストを受けられなかった科目の教授のところに行って、追試験の交渉をしなさい」

「親父!」

 淡々と幹也に命じた父親に強く反発したが、彼は長男を睨みつけた。

「黙れ。この恥知らずが」

 父は長兄を見捨てた。残されたのは幹也だけだ。どんな手段を使っても、彼は幹也を外科医にし、病院を継がせるつもりだ。幹也の意志よりも、病院を葛葉家で維持していくことの方が重要だった。

 完璧に見切られても、兄はまだ、父に縋った。

「でも、こんな人殺しに……!」

 まだ言うか。雪彦が拳を握ったときだった。

40話

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