パパは求めておりませんので(11)

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(10)

 別に、秋田のアドバイスを聞き入れたわけではないが、一理あるとも思ったのは事実である。

 一回こっきりだと念を押して、母親に会う。その後は、どこで野垂れ死のうと知ったことではない。

 そう考えてしまうくらい、電話は昼夜問わずに鳴った。気がおかしくなりそうだった。清水店長にも、「顔色が悪いよ」と指摘され、とうとう早退を促されるほどであった。

 いい加減、決着をつけなければならない。

 意を決して、こちらから電話をかける。出ない。

 あれだけかけまくってくるのだから、暇で暇で仕方なくて、いつだってすぐに出られる状態なのかと思っていた。全然出やしない。

 十五コールで、ようやく出た。

『ごめぇん、寝てたぁ』

 と、甘えた女の声を作っているので、どうやらこちらが息子だと気づいていないらしい。番号も見ずに出ることに、紫郎は信じられない。

「母さん? 俺だけど」

『あら、紫郎』

 途端に低くなる声に、やっぱり会う約束をするのなんてやめようか、と一瞬考えた。ぐっとこらえて、「一回だけ!」と自分に言い聞かせた。

「俺と一緒に出かけたいって話だけど、一回だけなら都合つけて行けるようにする」

 記憶の中の母は、気まぐれだった。

 明日は動物園に行こうね、と約束をした。わくわくと早朝に起きて「おかーさん、ぞうさん」と起こしたら、「うるさいわね」と、邪見にされ、そのまま昼まで起きなかった。

 運動会や親子遠足などの行事も、前日は「行くに決まってるじゃないの。お弁当作って持ってくからね」と言っていても、結局来たことなんて一度もなかった。

 だから今回も断ってくれ。いや、この電話では断らなくてもいいから、当日になって「やっぱり気が変わった」であってくれ。そうしたら、一回だけって言ったんだから、もう次はないと、はっきりと拒絶してやる……。

『え? ほんとにぃ? じゃあねえ、来週の日曜日は?』

 と、残念ながら、完全に乗り気である。当日のドタキャンに一縷の望みを賭けるしかない。

 がっくりしつつ、一方的に告げられた待ち合わせ時間と場所をメモして、紫郎は通話を切った。

 これでしばらく、電話攻勢には遭わなくて済む。そう信じたい。

 約束の日曜日、待ち合わせは銀座駅。何の因果か、また銀座であった。

 先日は、孝之と出会いラッキーだったが、今日は憂鬱だ。待ち合わせ時間まであと十分あるが、すでに帰りたいし、どうか気まぐれを発揮して、すっぽかしてくれと祈る。

 十五分待っても来なかったら、今日の約束はなかったことにしようと密かに決めていた紫郎だが、残念ながら、五分後に母親はやってきた。

「お待たせぇ、紫郎ちゃん」

 うふ、としなを作って笑う女を、母親だと認めたくない。

 若作りの化粧、店に来る十代から二十代の女性客が着ているような、ペラペラのワンピース。普通は下にそれ相応のインナーを身に着けるものだと思うのだが、母はブラとショーツの上に直接羽織っていた。白い薄手の生地から透けて、吐き気がする。

 腕を組もうとするのを振りほどいて、「どこ行きたいって?」と、足早にその場を離れる。

「銀座とくれば、ショッピングに決まってるじゃないの」

「……先に言っておくけど、俺は新社会人で、そんなに稼ぎはないんだからな」

 父親と一緒だったときと同じように、湯水のごとく使われたら困る。

 クレジットカードは持っているが、家賃や光熱費などの、固定費の支払いがメインだ。普通の買い物はいつだって現金払い、デパートの高級品を買うことができるほどの金は、持ってこなかった。

 案の定、紫郎の財布をあてにしてきた母は、「えぇ~?」と、口を尖らせた。小さな女の子がやれば可愛い仕草だが、この年齢の女がやると、不気味以外の感想が思い浮かばない。

 吐き気は暑さのせいだと言い聞かせる。飲食店に入るだけの分しかないと改めて伝えると、母親の目が据わった。

「何よぉ。本社勤めなんでしょう? なら、普通よりは稼いでるんじゃないの?」

 と。

 おや、と紫郎は眉をぴくりと動かした。

「どうしてあんたが、俺が本社勤務だって知ってるんだよ」

 久しぶりに再会した新宿の街で、紫郎の勤め先を知るために、後をつけたはずだ。しかし行先は、駅ビルの中の店舗である。本社からの研修生であることは、どこにも書いていない。

 息子からのツッコミに、母は視線をさまよわせた。やましいことがあります、と言っているようなものだった。

「えーと、そうよ。あんた、いい大学に行ってたんでしょう? だから、本社勤務じゃないかなあ、って」

「ふーん」

 信じたわけではないが、これ以上追及したところで、得られるものはない。今日一日限りの付き合いだ。ああそうだ、きちんと言い聞かせておかないと。

「俺と母さんが会うのは、今日が最初で最後だからな。もう、用事もないのに電話もかけてこないでくれ」

 約束を反故にする常習犯のはずの彼女は、しかし、「はぁい」と、やけに素直に頷いたのであった。

 気ままに動く母親の後ろをついていく。すれ違う常識的な人たちは、母のいでたちにぎょっとして、しかも連れがいるということに、ますます驚いている。おかげで視線が痛い。

「ねぇ、あれ……」

 と、手当たり次第におねだり(ぞっとする単語である)をしてくるのを、値段を見もせずに却下する。

 こんな女に、たとえうちの会社の経営する百円均一ショップの商品であっても、買ってやりたいとは思わない。

「母さん。俺は何も買わないって言ったよね?」

 ことさらに「母さん」を大きな声で言ったのは、周囲に対するアピールだった。

 自分が実母に振り回されている、かわいそうな息子であることを発信し続けないと、とんでもない勘違いをされてしまうかもしれない。おぞましい。

「はぁい」

 ぶすくれる母は、一度は紫郎の話を受け入れても、またすぐに忘れて、あれが欲しいこれが欲しいと騒ぎだす。気の休まる暇はない。

 もしもこれが、孝之とのデートであったのならば、こうやって振り回されるのも悪くはないのだろうけれど。

 だが、妄想の中でさえ、彼は立派な男性であった。間違っても、年下の男にしなだれかかって「あれが欲しいなあ、横山くん」とはやらない。率先して金を出し、負担の少ないところでは、「じゃあ今回は、君に奢ってもらおうか」と、紫郎のプライドを尊重することも忘れないだろう。

 何が悲しくて、休日にこんな女と出かけなければならないのか。

 はぁ、と大きな溜息をついた紫郎に、

「ねぇ、あれを食べるのは駄目?」

 と、母が言う。彼女が指すのは、少々お高めの値段のジェラートショップであった。飲食代は覚悟してきているので、そのくらいなら、と頷く。子どもみたいにはしゃいでケースに駆け寄っていく母の後を、ゆっくりと追う。

 ああでもないこうでもないと悩むこと数分、ブラッディオレンジと抹茶ジェラートという、なんとも言えない色味のダブルをセレクトして、彼女はご満悦だった。

 紫郎はイタリアンミルクとシチリアレモン。一方をバニラかミルクにしておけば、味が混ざったとしても、それほどカオスなことにはならない。

「なぁにあんた、バニラ? ミルク? どっちでもいいけど、面白みのない男ねぇ」

 という評価は、痛くもかゆくもなかった。

 イートインスペースは狭かったが、ちょうどふたりが座れるだけのスペースがあった。隣に座るのは厳しい、と遠慮しようとした紫郎の腕を強引に引き、座らせる。勘弁してくれ、と思ったが、今日だけの辛抱だと言い聞かせた。

「ねぇねぇ、写真撮ろう?」

「はぁ!? いいよそんなん……」

 画面の割れたスマホ、しかもかなりの型落ち品を手にした母は、無理矢理紫郎と頬をくっつけて、二枚、三枚と写真を撮った。うっかりフラッシュを切り忘れていたようで、急な眩さに、思わず目を細める。

 写真を撮り終えた母は、満足そうにジェラートを口に運んでいる。

 まぁいいか、どうでも。この年になってまで、SNSはやっていないと思うし。連絡がトークアプリ経由ではなく、電話だったことからも、スマホ音痴であることがわかる。

 夜まで付き合わされ、イタリアンを奢った。帰り際に、「また会いたい」と言われたが、断固として拒否した。

「一回だけって言っただろ」

「え~」

 唇を尖らせた母は、息子相手に女を出してきて、気持ちが悪い。付き合いきれない。

 現実逃避に、レストランで飲んだワインによって、ふわふわしているだけだろうと、「二度と会わない。わかってるだろ。あんたが俺を捨てたんだから」と、冷たく言い放ち、連絡先も消させ、駅で別れた。

 電車に乗った途端、疲労感が増した。肩は女の情念がべったり貼りついているかのように、重かった。

 明日からは、あの女に悩まされることなく過ごせる。

 そう思うと、安堵の溜息が漏れた。

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