パパは求めておりませんので(12)

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(11)

「おはようございまー……す?」

 月曜に出勤すると、なぜか同僚たちの視線が突き刺さった。いつもなら、「おはようございます、横山さん」と、秋田を除く皆が、にこやかに挨拶を返してくれるはずなのに、今日は違う。

 困惑している人間が大部分だが、嫌悪や侮蔑を隠さない人間もいる。わかりやすく嘲笑しているのは秋田だったが、理由が一ミリも見当つかずに、紫郎は困惑した。

 わけがわからないまま、ひとまず在庫の破損がないかなどのチェックを始めるが、ひそひそという声がうるさい。内容は伝わってこなくても、自分のことを言っているのだということだけはわかり、煩わしかった。

「おはようございます」

 店長が現れて、ホッとした。しかし彼女も、紫郎を見る表情は硬い。いったいなんだというのだろうか。

「横山くん、ちょっと」

「はい」

 開店時間も間もなくだというのに、店長は秋田に朝礼を任せ、紫郎を連れて店を出る。バックヤードというに連れてこられた。今の時間は、どこの店も準備にドタバタしているため、休憩室に続く通路の人通りはない。

 人目を避けてしたい話とは、いったいなんだろう。

「店長……」

 紫郎の呼びかけは、遮られた。スマートフォンの画面を見せられて、紫郎は凍りつく。

 清水店長は、「その反応だと、本人みたいだね」と、大きな溜息をついた。

「は……?」

 店長に見せられたのは、昨日、母親と出かけた際に撮影を強いられたツーショット写真だった。

 母は、紫郎の腕を自身の肩に回させ、無駄に密着している。紫郎にも母にも、モザイク処理はされていなかった。

「この写真、スタッフの間で出回ってる。もしかしたら、本社の社員とかにも」

 続く店長の一言に、血の気が引いた。

「横山くん、ママ活してるの?」

 これが報いかと、一瞬肯定しそうになる。おぼつかない足元をなんとか踏ん張って、紫郎は首を横に振った。

「していません」

 事実である。過去のことは過去のこと、今問題になっているのは、この写真一枚である。

「これは、俺の母親です。小さい頃に親が離婚して、出て行ったんです。最近になって、偶然再会して……どうしてもって言うから、一緒に出かけただけです」

 店長の目は、写真に釘付けだ。ちらりとこちらを見やる視線は、疑いの色を濃くしている。

「証拠は?」

「証拠って言われましても」

 この世の中、どうして何もかも証明しなければならないのだろうか。自分の言葉だけじゃ、信頼に足りないとでもいうのか。

 ギリ、と奥歯を噛みしめた紫郎は、どうにか写真の中の女と血の繋がりがあることを示す方法がないかと、考える。

「申し訳ないけれど、あまり似ていないから信用できないのよね……」

「そんな」

 母親と自分が並んで写っている写真は、少なくともこれ以外に今は存在しない。手持ちの私用スマホの中はおろか、実家のアルバムにもあるかどうか。

 母は基本的に紫郎のことを放置していたし、彼女の写真は紫郎や父が処分してしまったからだ。

 連絡先は履歴からも削除しており、こちらから母親に電話して、「実母です」と説明してもらうこともできない。

 できることといえば、父親に連絡をしてこの写真を見てもらい、証言してもらうくらいしかないのだが、残念ながら、母はあの頃とすっかり変わってしまった。

 二十年以上顔を合わせていない元妻の顔など、今の父に判別できるとは思えない。

「誓って、僕はママ活なんかしていません!」

 紫郎は清水のことをまっすぐに見つめた。目を逸らせばすなわち、やましいことがあると捉えられてしまう可能性が高い。にらめっこにはならず、清水の方がさっと身体ごと紫郎から背けた。

 その瞬間、理解した。ああ、この人の中での自分の信用は、地に落ちてしまったのだ、と。

 あれだけ、「横山くんがうちの店に来てくれてよかった」と、褒めてくれたのに、裏切られた気分だった。

 その日の勤務は針の筵であったし、次の日になって急に何が変わるというわけでもなかった。むしろ、状況は日に日に悪化している。

 清水店長に見放された紫郎を、アルバイトたちは「やっぱりやってたんだ」という顔で見下した。秋田は、「なんかやらかすと思ったのよねえ、あの顔!」と、意気揚々、紫郎のことをこき下ろして楽しそうにしている。

 実母の写真とママ活の噂はどこまで広がっているのか。

 新人研修にやってきた紫郎を出迎えたのは、同期たちの冷ややかな目だった。店だけじゃなくて、ここでもこんな風に扱われるなんて。

 紫郎はできる限り小さくなって、隅の方に座った。周りには、誰も座らない。いつも孝之の話をしてくる山本も、遠巻きにしている。

 近づいてきたのは、問題児の浅田だけだった。にちゃにちゃとした笑いで、己の性格の悪さを隠そうとしないまま、馬鹿みたいに大きな声で話しかけてくる。

「よぉ、お前さ、ママ活してるんだって? 人は見かけによらないよな。ババア相手に腰振って小遣いもらってんのかよ。きめー」

 同期入社というだけで、友人でもなんでもない相手に対する、いち社会人としての言葉遣いではなかった。

 大学生、しかもいきがって強い言葉を使って虚勢を張っている子どもみたいな口調に、紫郎はイライラを抑圧しながら、できる限り平坦な口調で応えた。

「ママ活なんてしていない。あれは俺の産みの親だ」

 あんなでも、と口をついて出そうになったが、ぐっと耐えた。

 浅田は野卑な笑い声をあげ、「へいへい、そういうことにしといてやるよ」と、まったく信じていないような口をきいて、離れていった。

 彼の周りにはまともに人が近づかない。研修のときも、いつもぽつんと座っているのだが、今日からは自分も同じようにひとりぼっちになるのかと思うと、やるせなかった。

「あの……横山くん」

「ああ」

 男が離れ、入れ違いに声をかけてきたのは山本だった。彼女にまで知られてしまっているのが辛い。

 山本は遠慮がちに、

「本当に、実のお母さんなの?」

 と問うてきたので、紫郎は大きく頷いた。

「うん。全然似てないって店長にも言われちゃったけどね……俺だって、二十年ぶりくらいに会ったんだ」

 養育費どころか、慰謝料さえも踏み倒した女に、息子との面会権などない。あったところで、あの女は会いたいと言い出さなかっただろう。

 紫郎の忌々しげな口ぶりと表情に、彼女は信じてくれたらしい。いつも通りの笑顔が戻ってきて、ひとりでも味方がいるのは、心強いことだな、と思った。

「そもそもあの母親、俺のことを金蔓だと思って近づいてきたんだからな……なぜか本社勤務だってことも知られてたし」

「なんでだろうね。普通の人は、店で働いている人は、店員だって思うはずなのに」

 どんな小売り店舗でもそうだが、客は店の従業員のことを一律店員だと認識していて、社員とアルバイト・パートタイマーの区別をつけない。

 実際、「店長を呼べ!」と激怒した客の前に、「私が店長です」と清水が姿を現すと、大抵の客は驚き、そのため怒りが三割減になるほどだ。

 彼女は声を低めて、紫郎に囁いた。

「ねぇ、もしかしたらだけど……誰かが入れ知恵した可能性はない?」

「誰かって……」

 誰だよ、と言いかけて、ハッとした。ひとりだけ、いるじゃないか。

 言い寄ってきて玉砕して、紫郎のことを逆恨みして罠を仕掛けた女が。

 秋田は、新人研修がある曜日、つまりは今日、休みである。

 たまたま新宿駅周辺を歩いていて、自分と母のやり取りを目にしていたとしたら。使えると思って、情報を渡した可能性もある。

 そもそも、このスピードで他の店舗にいる人間にまで、一介の新人のスキャンダルが回るというのもおかしな話だ。この会社の内部に、自分を嵌めようとしている人間がいるとすれば、紫郎には彼女しか思い当たる節がない。

 考え込む紫郎に、感じるものがあったのだろう。

「何か協力できることがあったら、言ってね」

 そしてより一層小さな声で、紫郎の耳に手を当てて、内緒話をする。

「同じ河合統括ファンとして、助けになりたいから」

「は……」

 どうして俺が、河合統括のファンだと!?

 いや、実際には「ファン」という言葉ではとてもじゃないが言い表せない感情を抱いているわけだが、さすがに彼女にそんなことを打ち明けることはできない。

 紫郎が山本とあれこれと話し込んでいる間に、いつの間にか孝之本人が到着していた。

 くぅ~、今日もかっこいい! と、彼女は悶えながら自分の席に戻っていった。去り際に、「頑張ろうねっ!」と、拳を握っている。

 紫郎は、自分の席に腰を下ろしながら孝之の方を見た。梅雨を通り過ぎて、夏本番の気温でも、どこか涼しげに、サマージャケットを着こなしている。じっと見つめていると、不意に視線が交錯した。

「っ」

 今までなら、紫郎と目が合ったときには、微笑んでくれるのが常だった。

 切れ者で仕事ができる敏腕なマネージャーというイメージとは違う、穏やかで優しい顔。それが自分だけに向けられていること。特別扱いをされていることに、紫郎は優越感を覚えていた。

 しかし、孝之は視線を外した。にこりとも笑わず、どころか紫郎の存在を目に入れたことすらなかったことにしようとしている仕草に、血の気が引くのを感じた。

 そうだ。他の店舗で研修中の同期に噂が蔓延しているのなら、会社の上層部の人間が把握していないわけがない。

 孝之が他の人間とは違うところ。それは、彼は実際に、紫郎が学生時代にママ活をしていたことを知っているということだった。 

 もうやらないと言ったのに、再開したのか。

 彼が自分を無視するのは、呆れだとか幻滅だとか、そういう理由からなのではないか。

 その後、研修が始まったが、紫郎はメモを取りはするものの、頭には入ってこなかった。

 終わった後に、どうにか言い訳をさせてもらえないかと思い立ち、孝之のもとへ行こうとした。

 しかし、彼は隣の社員に向かって、「失礼。今日はこの後、別件があって」と、足早に研修ルームを出て行ったので、紫郎は何もできなかった。

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