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紫郎のママ活疑惑は、直接聞かれた相手には事実を話すようにしていた。納得してくれる人間が大半であったが、結局のところ、新宿の店舗の従業員たちはひとりも信じてくれなかった。
これは、女ばかりの集団だからかもしれない。また、紫郎が期間限定の勤務ということもある。
秋田や清水、これまで一緒にやってきた社員が紫郎に疑惑を向けているのなら、黒なのだろうと同調してしまうのだ。
紫郎の言い分は届かない。誤発注のときには庇ってくれたアルバイトの女性も、今は何も言ってこない。
「ねぇ、あなたよね?」
「はい?」
誰も話しかけてこないし、こちらから声をかけると舌打ちをされ、無視される。チームワークはガタガタだが、それでも店を回さなければならない。客の前では笑顔を浮かべていた紫郎に話しかけてきたのは、五十代くらいの女性であった。
メインターゲットは二~三十代の女性とはいえ、こうした安価な雑貨店は、便利グッズを取り扱っていることもあり、老若男女が訪れる。
「何かお探しですか?」
営業スマイルを浮かべた紫郎に向かって、女性客は真っ赤に塗った唇を舌で舐めた。その仕草が下品で、「女」であることを殊更に意識させようとするもので、紫郎の顔は緊張で強張る。
「ねぇ、あなたでしょ。この店で、お金さえ払えば相手をしてくれるって……」
何の、と紫郎は聞かなかった。聞かずともわかった。
「地味だけど、眼鏡を外せばまぁまぁ男前じゃない。ねぇ、どう?」
ママ活の相手を探している男が、この店にいる。
社内のみならず、客にまで知られてしまった。青ざめた紫郎が、ふと視線を背後にやると、意地悪そうににやにやと事態を見守っている秋田がいた。口の動きで「ざまあみろ」と言っている。
この女――……ッ!
頭に血がのぼりかけるが、今はまず、目の前の女の対処をするのが先だ。母親と同世代で、同じくらい金はなさそうだった。あのママ活アプリで会うことになった女たちとは、まるで違う。端金でセックスができるゴミみたいな男であると、吹聴してくれたのだろう。
それにしても、何だってこんな真昼間から発情しているのか。
ああ、主婦なら、自由になる時間が昼間だけだから、人前で男を誘う暴挙に出られるのか。恥も外聞もなく。
「お客様。私はそういうことは……」
あまりの事態に、逆に冷静に分析した紫郎のエプロンのポケットに、連絡先を書いた紙をねじ込もうとする。
攻防は、紫郎が圧倒的に不利だ。店員と客。男と女。万が一身体に強く触れでもしたら、そこから大クレームに発展する。孝之にまた、迷惑をかけてしまう。
「おやめください、お客様!」
言葉が荒くならないように注意をする。本当は、この手の甲に爪を立て、引っ掻いてやりたいくらいだった。
次第にイライラしてきた女は、何をするかわからない。ここで「この男が私を弄んだ!」などと嘘を言われたら、社会的に抹殺される。
どうする。何を言えば、何をすれば、穏便にこの場を乗り切ることができるんだ。
紫郎には、経験値が足りなかった。いや、あったとしてもどうしようもできなかっただろう。
こういう場で出てきてくれるはずの店長は、現在本社に呼び出されて、そちらに行っている。先輩社員である秋田は、面白がっているだけだし、彼女の金魚のフンに成り下がったアルバイトたちは、顔を見合わせて戸惑うばかり。
他の客が迷惑そうに、あるいは興味津々の野次馬根性で、「なんだなんだ」と見てくる。
宥めなければならない立場の秋田が放置しているのは、店の評判を落とすだけだというのに、新入社員の自分にもそれがわかるというのに、どうして!
こうなったら、クビも覚悟で罵ってでも止めるべきか。
覚悟を決め、スッと大きく息を吸った紫郎だったが、しかし、罵倒の言葉は吐き出さずに済んだ。
「お客様。彼が何か?」
抑揚のない、低い男の声。
こんな都合のいいことが、あっていいのか。
女は、孝之の笑っていない笑顔を目の当たりにして、「い、いやぁ、特には?」と、焦り始める。彼女の手には変わらず連絡先を書いたメモが握られていて、スマートな動作で、孝之はそれを取り上げる。
「これは?」
問いは紫郎に対してであったが、女はカッとなって、「そいつが私に、連絡先をしつこく渡してきたのよ……!」と、事実とは真逆のことを言った。
「ほう」
わざとらしく驚いた表情をつくっておいて、孝之は紙を広げた。
「彼は私の部下なのですが、年の離れた友人でもありましてね。プライベートの連絡先も知っているのですが」
書かれている情報を、女の前に突き出す。にっこりと笑って、
「彼のID、番号ではありませんね。誰のものだか、この場でかけてみましょうか?」
と、静かに、けれど力強く言い放った。
ここまでされては分が悪いと、女はそのまま逃げだした。どうやって自分の個人情報を得たのかを尋ねなければ、と呼び止めかけた紫郎を、孝之が制する。
「大丈夫。彼女の電話番号は……ね?」
ずいぶんと慌てていたため、こちらに個人情報を渡したままだということを、忘れてしまったのだ。紫郎は肩の力を抜きかけて、そしてすぐに腹に力を入れた。
「横山紫郎くん。申し訳ないが、これから一緒に、本社に来てください」
「しかし、仕事が……」
店員の協力を得られなくても、仕事はしなければならない。紫郎の心配をよそに、孝之は微笑んだ。
「大丈夫。店長も戻ってきたし、応援も呼んだので」
孝之の背後を見れば、本当に店長がいた。心なしか、青い顔をしているのが気になった。それから、柔らかい微笑みを浮かべた女性も。彼女が応援、ということなのだろう。すでにエプロンを着用し、やる気満々である。
あれ、数が合わないな、と気がついた。自分が抜けて、店長が戻ってきてプラマイゼロだ。
なのにどうして、もうひとり余分に、手伝いを呼ばなければならないのだろう。
浮かんだ疑問に答えるように、孝之は「もうひとり、本社に呼ばなければならない人がいてね……秋田さん。あなたもです」と、レジの中で知らんぷりを決め込んでいた秋田を呼びつけた。マイナス二の補填をする必要があった、というわけである。
手伝いの女性社員に、孝之は何事かを伝えて、頭を下げた。そして血の気が引いた様子で沈黙している秋田と、何がなんだかわからない紫郎を連れて、駐車スペースへと向かう。
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