パパは求めておりませんので(15)

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(14)

 一ヶ月ほど早いが、紫郎の店舗研修は修了になった。

 新宿という、全店でも一、二を争う店でも十分に戦力として働けていたことを評価されてであるが、実際はあらぬ噂から紫郎を守るためであった。

 聞くところによると、店には時折、「ママ」志望の客が来て、紫郎のことを探しているらしい。店の人間には迷惑をかけるが、もともと自分を信じてくれなかった人たちのことである。悲しいことに、真っ先に思ったのは「ざまあみろ」だった。

 秋田はすべてを認めた。紫郎と母が出くわしたところをたまたま見かけて、使えると思ったのだそうだ。そこからは、孝之が説明してくれた通りであった。

 社内のみならず、匿名の掲示板にも情報を書き込んだのは、勤務中の紫郎がまったくへこたれていなくて、面白くなかったからだという。

 彼女は懲戒処分を受け、その後自主退職していった。解雇にすればいいと紫郎は思ったが、逆恨みをさらに募らせるかもしれないという危惧を聞かされれば、素直にうなずくしかなかった。

 紫郎の言い分をまるきり聞き入れずに決めつけた清水も、店長を降格になった。

 彼女は厳重注意を受け、アルバイトへの説明責任を果たし、情報を鵜呑みにしてやってきた迷惑客の相手をしなければならないから、まだ新宿店勤務のままだ。

 それから本社に来て、上層部の人間に対しても説明をさせられ、さらには新人研修(この日、紫郎は孝之から休むように言われていた)の場に連れてこられて、同期たちにも話があったらしい。山本が教えてくれた。

 ついでに、その説明を聞いても紫郎を悪く言い続けた浅田が、取調室送りになったらしいとも聞いた。おそらく、さらに厳しい研修が課されるのだろう。

 新宿店店長という最高のポジションから降ろされて、清水がどう動くのか。

 気になりはしたものの、もう関係のないことであると、紫郎は割り切った。気にしている暇などなくなった、というのが事実である。

 店舗研修を終え、紫郎が本配属されたのは、孝之が率いる店舗事業部であった。新規の出店や既存店舗が入っているビルやショッピングモールとの交渉、売上向上施策など、店舗運営全般を総合的に扱う、非常に忙しい部署である。

 名実ともに孝之の部下になったのはよいが、当然、彼は雲の上の人だ。店舗で働いていたときの方が、よっぽど話をする機会があったのではないか、とも思う。

 直属の教育係の先輩に食らいつき、必死でメモを取り、いつか孝之と直接言葉を交わし、仕事の指示をもらえるようになるんだ……と考えて、ふと気づいた。

 あの日、脈アリだと思ったのは、自分だけか? そもそも、告白の返事をきちんともらっていない。

 イエスでもノーでもこの際いいから、はっきりしてほしい……いや、やっぱりノーだとショックを受けて、寝込むかもしれない。

 時間ができると孝之のことを考えてしまうため、忙しいのはむしろよかった。そして金曜日の定時少し前。

「横山くん」

 と、声をかけてきたのは、紫郎の悩みの種である孝之その人だった。

 キーボードを打つ手を止めて、慌てて立ち上がる。すると彼は、そのまま座っていていいとジェスチャーで伝えてきたので、もう一度座る。

「河合統括。私に何かご用ですか?」

 久しぶりに言葉を交わす。ドキドキしつつも、ここは職場である。当たり障りのない言葉を返すと、孝之はデスクに手をついて、屈んだ。

「今日、一緒に飲みにいかない?」

「へ……ッ?」

 小声なのは、他の人間が、「いいな~、私もいきた~い」「俺も!」と集まってくるのを避けるためらしい。

 何せ孝之は、人気のある上司だ。公明正大、エネルギッシュで仕事ができる。社長の親族なのに、全然鼻にかけたところがなく、気さくな人。

 店舗事業部に配属になって、彼がいろんな人に好かれていることを知った。もちろん、恋愛感情を抱いている人ばかりではない。それでも、もやもやしたものが胸に積もっていくのは、仕方のないことだった。

「嫌だったらいいけど……」

「行きますッ!」

 存外大きな声が出て、慌てて口を押えた。周囲の注目を浴びている。これでは、孝之が何のためにこそこそと誘ってくれたのかわからないじゃないか。

 あわあわして、周りに「なんでもないんです」と紫郎は愛想笑いをする。孝之の丸くなっていた目は、そんな自分を見ているうちに、柔らかく細くなっていたのだった。

 残業は最低限で終わらせて、ビルを出たのは十八時過ぎである。向かった先は、以前プレオープンに連れてこられ(そして泥酔して醜態をさらし)た、渋谷のバーだった。

「あれ~? 孝之ちゃんじゃん」

「醍醐」

 見覚えのある細身のシルエットに、紫郎は会釈する。嫌そうな顔になったのが見えないように。

 恋愛相談いつでもウェルカム、と連絡先をもらってはいたが、結局まともな相談はしなくて正解だった。

 紫郎が穴沢に尋ねたことと言えば、男同士のセックスについてだけ。しかも紹介されたゲイ向けのポルノ動画は、めちゃくちゃえげつないものだった。信用できない。

「今日は横山くんと話があるから」

 と、放っておいたらいつまでも喋っていそうな穴沢を退けて、彼は紫郎を連れて、ボックス席へと座る。マスターが持ってきてくれたおしぼりで手を拭いて、孝之は注文をした。

「君はどうする?」

「えっと……なんか適当に、ビールでいいです」

 どうしても居酒屋のドリンクメニューしか思い浮かばない。どういうのが好みなのか、と二択の質問を繰り返された後、孝之はこの店にあるビールの中で、紫郎に一番合うであろうものを注文してくれた。スマートで格好いい大人の心配りに、改めて惚れ直す。

 自分が彼と同い年になったところで、果たして同じように振る舞えるかどうか、はなはだ疑問である。

 すぐに運ばれてきたチーズとナッツ、それからハムの盛り合わせとドリンクで、まずは乾杯をした。

 好きなひととふたりきり、緊張から一気に呷ってしまいかけた紫郎を、孝之は制止する。

「待って。酔っぱらう前に、ちゃんと話をしたい」

 彼の頭には、先日の泣きわめいての告白という醜態が浮かんでいるに違いない。

 アルコールが入ったからって、またあんなふうにはなりませんよ! と、言い訳をする雰囲気ではなく、紫郎は半分に減ったグラスを置いた。脚を閉じ、いそいそと彼の方に身体を向ける。

 孝之も、ぎゅっと膝に置いた拳を握り締めている。

「その、返事だけど……よろしくお願いします」

 頭を下げた彼の、つむじがきれいに巻いているな~、と、全然関係ないことを考えた紫郎がまず発したのは、「……へっ?」という、間抜けな音だけだった。

「……『へっ?』ってね、君。やっぱりお断りしようかなあ」

 返事、というのが自分の告白に対してのもので、「お願いします」というのは恋人になってくれるということだと思い当たり、じわじわと実感が湧いてくる。同時に、「俺みたいな若造でいいんですか?」という疑問も。

 孝之は微笑み、紫郎との距離を詰めてくる。触れ合った太腿に、彼の手が載せられ、撫でられる。そのセクシーな手つきに、年上の男ってやっぱり色気がすごい……と、紫郎は唾を飲んだ。

「ホテルのティーラウンジで、つまらなさそうにしてる君を見たときに、腹が立ったんだ。こんな若くて可愛い子、女だからって簡単にデートに持ち込めてずるいって」

 それって、ママ活相手に嫉妬していた……ってこと!?

 話を聞いてみれば、初対面のときから、彼は紫郎のことを憎からず思ってくれていたのだという、思ってもみなかった告白である。

 太腿に載せた手はそのままに、逆の手は紫郎の首に触れる。急所に触られて、体温が上がっていく。

「好みじゃなかったら、脅しつけて、それで終わり。あんな風に丁寧にお説教なんてしないし。それに今回だって、ポケットマネーで探偵なんて雇わない」

「あ……」

 嬉しいが募って、言葉にならない。なんならまた泣いてしまいそうになって、慌てて顔を上げ、深呼吸をしてやり過ごす。

「君が僕を好きになる前に、僕の方が好きだった。もちろん、それを言葉になんてできやしなかった。年が離れすぎてるし、あのとき君は大学生だし、何といってもノンケなのは一目瞭然だし? そうしたら君は部下になっちゃうし……社長の親族がセクハラ問題で懲戒、なんて特大スキャンダル過ぎる」

「っ、孝之さん!」

 太腿にあった手を両手で握り締めた。顔はきっと、真っ赤になっている。

「好きです! 大好き! 本当に俺でいいんですか?」

 やれやれ、と溜息をついた孝之は、

「君がいいって、何度も言ってるでしょ」

 と、唇に小さくキスを落とした。ようやく現実味を帯びてきて、紫郎は思わず、「うおおおお!!」と、雄たけびを上げた。

「あ~、うるさいうるさい。ちょっともう、オーナー! この子出禁にして~」

 離れたところで様子を見守っていた穴沢が、ビーフジャーキーを噛みちぎりながら言う。犬を追い払うみたいに、「しっしっ」という身振りつきである。

 寡黙なマスターは頷いた。孝之は呆気にとられつつも、「じゃあ、出よっか」と笑い、先に立ち上がって紫郎に手を差し伸べたのだった。

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