<<はじめから読む!
<(3)
店舗研修が始まって、一ヶ月が経過した。
連休中の忙しさも体験せよというお達しで、ゴールデンウィークも何日かは出勤した。忙しくて目が回るほどだったが、より一層、店のあれこれがわかってきたような気がする。
「いやあほんと、横山くんみたいな新人が来てくれてよかったよ」
今日入荷の新商品を並べながら、店長の清水がしみじみと言うので、紫郎はレジを開局する手を止めた。
清水は小柄で、学生バイトと間違われることが多いほどの童顔だが、キャワイ直営店で屈指の売り上げを誇るこの店を任されている、非常に優秀な人だ。
エリアマネージャーが週に何度か顔を出すが、受け答えを聞いていると聡明で、紫郎は接客をしながら、何度ここにメモがあれば、と思ったかわからない。
「なんですか店長。褒めても何にも出ませんよ」
最初の頃は緊張していた紫郎も、多少の軽口が出るくらいには慣れた。清水がそれをよしとする空気を作ってくれていて、忙しい店ながら、働いている人間は皆どこかリラックスしている。
「ほら、私店長だからさ、会議とかにも出席するじゃない? そこで新人を受け入れてる他の店の店長とも話すんだけどね、横山くんの話すると、めちゃくちゃ羨ましがられるのよ」
よくよく話を聞いてみれば、自分が本社の総合職採用だからと言って、店長を始め、実際店に立つ社員に面と向かって「俺の方が上だ」という奴がいるのだという。
さすがに驚きあきれて、うへぇ、と舌を出してしまった。そしてなんとなくではあるが、あいつだろうな、という予測がつくのも嫌だった。
浅田も確か、マルフィの配属だったはず。
新人研修で週に一度は本社に赴き顔を合わせるが、彼の話はいつも、店長や客のことを馬鹿にするようなものばかりで、聞いていられなかった。
「店長のことも、『Fラン卒』とか言って、挨拶もまともにしないから、お手上げらしいわ」
そういえば同期の間でも、あいつはまともに挨拶しなかったな、と遠い目になりながら、レジの開局を終えた。
「手伝います」
「あ、ありがと。それでさ、あまりにもひどいもんだから、店長会議の後に河合統括に報告を上げてたんだよね」
孝之の名前が出た瞬間、持っていたピクニック・行楽用のグッズを落としてしまった。すみません、と謝って、内心の動揺を悟られないように取り繕う。
研修は人事が中心となって行うが、店舗研修については店舗事業部の権限が強い。実際の店でのオペレーションや売り上げ管理に効果的な陳列など、現場の人間とともにマニュアルを作っているのは、彼らだからだ。
店舗研修の最高責任者である孝之は、忙しい身だ。紫郎が個人的に話をしたのは、ゲイだと打ち明けられた日が最初で最後だった。本社研修のときに顔を見る機会はあるが、最初に話をした後は、すぐに研修室を出て行ってしまう。
あいつのいる店に、河合統括が顔を出すのか。
場合によってはもっと厳しい店長のいる場所に異動させる。その見極めをするためにも、孝之は浅田と言葉を交わすのだろう。
あいつ、上司に媚びるのだけは上手いんだよな……統括が騙されなきゃいいけど。
そんなことを考えていたら、開店まであと二十分。朝礼の時間になっていた。
褒められて調子に乗っていた覚えはないが、自覚がなかっただけなのかもしれない。
木曜日。今日は店長が休みであり、紫郎の他には女性社員がひとり。秋田という名前の、二十代後半の女性だったが、紫郎はどうも、この人が苦手だった。
「おはようございます。今日もよろしくお願いします」
「おはよーございまーす!」
他のスタッフは皆、元気に挨拶を返してくれるのに、彼女だけは無言である。清水店長がいるときは、小さい声ながらも返してはくれるのだが、不在時は全然だ。
原因は、わかっている。
店舗研修が始まったばかりの頃は、秋田の対応も普通だった。挨拶もするし、質問にはちゃんと答えてくれた。
それが変わったのは、歓迎会だと店長が主催した飲み会での席のことであった。
酔っぱらったのか、そうでないのかわからないが、秋田が紫郎の腕を取り、粘着質に絡んできた。
彼女はいないのかだとか、どんな女が好みなのかだとか、最終的には「私と付き合ってみない?」と、プライベートの連絡先を渡されそうになって、紫郎は拒絶した。
秋田は店長とは真逆の、クールな大人の女性である。マルフィのようなナチュラルで可愛いがコンセプトの店よりも、ハイブランドでセレブの接客をしている方が似合う、そんな人間だ。
店先でも、接客のときの笑顔は最低限の作り笑いという感じがして、正直紫郎は、他の店員との差異を感じていた。
店長たちは自社商品を愛し、買ってくれるお客さんを同志として受け入れているのを見ているのがわかるから、彼女だけが際立って悪く見える。
そんな秋田は、プライドが高かった。新入社員で立場の弱い紫郎が、自分の誘いを断るはずがないと思い込んでいた。
『なによ、大した顔でもないくせに、私の誘いを断るなんて、後悔させてやるわ』
と、面と向かって言われたときには、完全に酔いも覚めた。
それ以降、ぎくしゃくした関係が続いている。
自分の方が大人になろう、無視されるくらいなら実害もないし。
紫郎は黙って耐えていたのだが、逆効果だった。
「あの、横山さん。この推し活グッズって、青じゃなくて緑じゃなかったですっけ?」
開店前、アルバイトの女性に言われて、紫郎は首を傾げる。
「え、この間秋田さんに確認したら、青だって言われて……そうですよね、秋田さん」
作業の手を止めた彼女は、無表情のまま、首を横に振った。
「聞いてないわよ、そんなの」
「は……」
紫郎は絶対に確認した自信がある。何せ、自分の不得意な分野のことだったから。
昨今の推し活ブームに乗っかって、キャワイでも自社商品の推し活グッズを扱っている。パキっとした原色の雑貨を扱うのは他の店に任せて、マルフィに置いてあるのは、店のイメージに合うくすみカラーのものだ。
アイドルのコンサートに行くときに便利なトートバッグや、アクリルスタンドを入れて持ち歩くことのできるクリアケース、ぬいぐるみポーチなど、多くの種類を用意して、売れ行きも好調だ。
新宿には、ライブハウスやイベントスペースが多数存在する。アイドルも多種多様で、最近は、地下と言っても馬鹿にならない経済効果を生み出すグループもあって、ライブやイベントの日程に合わせて、いわゆるメンバーカラーのグッズを事前に発注をかけるようにしている。
秋田から渡された発注メモをもとに、紫郎が本部への在庫問い合わせと注文を済ませたのが、一週間前。そのときもメモには、確実に「青」と書いてあった。
「キラピカのふたりは赤と緑だって、調べなかったあなたが悪いんでしょ?」
やられた、と思った。
木曜日は店長がいないから、秋田が責任者になる。新人の紫郎は、何事も彼女にお伺いを立ててからじゃないと仕事ができない。店長の目がなく、他はアルバイトだけだ。隠蔽工作も余裕だ。
紫郎に仕事のできない新人というレッテルを貼って、留飲を下げたいのだ。
文句のひとつやふたつ言いたくなったが、紫郎は我慢した。今は水掛け論で時間を浪費するわけにはいかない。
「俺、近くの店に在庫余ってないか聞いてみます! 余ってたら取りにいくんで。皆さんは開店準備を進めてください」
本部の物流倉庫に発注をかけても、入荷は三日後。そのときにはまた、別のアイドルのファンがやってきて、別の色を買い求める。今欲しい緑色のグッズは、来週には他の色にとって代わられる。
紫郎は延々と電話をかけ続けた。新宿エリアの他の店舗、渋谷、手当たり次第にかけたが、緑はそもそも、推し活と関係なく、人気のあるカラーだ。どこの店も在庫は自店舗の売り上げに繋ぎたいから、ギリギリしか融通してくれない。
「すみませーん。これの緑って……」
開店してからは、ひっきりなしに緑の推し活グッズの問い合わせがくる。その度に、アルバイト従業員が頭を下げている。秋田はといえば、我関せずでレジ対応だけをしていた。
もとはと言えば、あんたのせいだろ、と言いたい気持ちをぐっとこらえて、紫郎はどうにか確保できた分を、他店まで取りにいくため、エプロンを外して、棚の中へと放り込んだ。
「秋田さん、俺行ってきますんで、店のことは……」
ツン、と無視されて、そんなに俺が悪いことをしたのかとイラっときた。好みじゃないから誘いを断っただけだというのに。これもママ活なんてやって、女を弄んだ報いだというのか。
深呼吸をして、「店長が来たら、話をしましょう」とだけ言った。ぎろりと睨んでくる。もはや構っていられない。
店の外に出ようとした紫郎だったが、「横山くん」と声をかけられて、振り返った。その瞬間、安堵して、どっと身体が重くなった。どうにかリカバリーしなければならないというプレッシャーを、気合いでどうにかしていた反動である。
「河合統括……」
「必要なものはこれだね? 僕が並べておくから、君は他店に融通してもらった分を、取りにいってきなさい。事故に遭ったりするといけないから、落ち着いて、ね?」
台車に載せた段ボールの文字から、推し活グッズのグリーンであることがわかった。秋田に冷たくされて困っていたところに、救世主がやってきて、涙が出そうになる。
紫郎は目元を擦って、「はい!」と、小走り気味にその場を離れた。
>(5)

コメント