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<(7)
電車に揺られ、一路渋谷へ。若者たちの街は、土曜の午後ということもあり、非常に混雑していた。
「迷子にならないようにね」
「はい」
子どもみたいな注意だったが、人の波が尋常ではない。幸い、孝之のスタイルが日本人離れしていて目立つので、彼のきゅっとしまった腰を目印に、紫郎はついていった。
「醍醐。そっちじゃないって」
ふらふらと流されそうになっている穴沢の肩を抱いて引き寄せる仕草は、手馴れていた。身長差もちょうどよさそうで、やっぱり恋人なんだろうなと、漠然と思った。
連れてこられたのは、少々奥まった場所にある店だった。店先には花が飾ってあって、「祝開店」と書いてある。
「知人の店でね。明後日オープンなんだけど、今日は知り合いだけで開けるんだ。ごめんね、急に。知らない人間ばかりのところに連れてきて……」
恐縮した孝之に、気にしないでほしいと伝える。ついてきたのは最終的には拒否しなかった自分の意志である。
「それよりも、あの、えっと」
この場でなんと呼べばいいのだろうか。いつもの河合統括だとおかしいし、やっぱり「河合さん」とか?
紫郎の逡巡に、孝之はすぐに気がついて微笑んだ。
「下の名前でいいよ。ここの人たちとは、あんまりフルネームでお付き合いがないからね」
ばったりと店で出くわしたときに楽しく飲める、常連仲間ということか。納得した紫郎は、つっかえながらも「孝之さん」と呼びかけた。上手にできました、とばかりににこにこされると、調子が狂う。
「えっと、孝之さん。前髪」
ちょんちょん、と自分の髪を指して言えば、孝之がハッという顔をする。トラ猫のマスコットがついたヘアクリップをつけたまま、この人はここまで来た。銀座の街から電車に乗って。
途中で女子高生らしき女の子グループに、「見て、あの人カワイイ」と言われていたのだが、当の本人は気づかず、また、紫郎が指摘しようとする度に、穴沢が袖を引いてやめさせたのだ。
あれ、これって全面的に穴沢さんが悪いな?
「わ……ちょっと、恥ずかしい……」
ぼぼぼ、と顔が赤くなる。なぜかこちらまで熱くなってくる。
孝之は「トイレ行ってくる!」と、くるりと踵を返した。いってらっしゃいと見送った紫郎は、すぐ近くで笑いをこらえ切れていない穴沢に向き直った。
「趣味が悪いですよ」
「いや~、孝之ちゃん、いつ気づくかなって思ったら、全然忘れてるもんだから面白すぎて!」
穴沢に「座りなよ」と促されて、彼と同じ席に着く。店はそこそこの広さで、プレオープンの今日は、十人くらいの男女が訪れていた。華々しさに気圧されそうになるが、紫郎は平然としたフリをした。
何せ皆、孝之や穴沢たちと同世代。一回り以上若い紫郎がおどおどしていたり、動揺しようものなら、からかわれてしまう。賑やかな、いわば陽キャの集団というやつは、人をいじって仲間に入れようとするのだ。穴沢を見ればわかる。
提供された酒を呷り、紫郎は隣から突き刺さる視線に、無視を決め込んだ。
「ふふ……君も面白い子だね。どう? 孝之ちゃんのことなんて放っておいて、僕とこの後どっかいかない?」
「……あなたは、孝之さんの恋人ではないんですか?」
ちらとトイレを窺う。ちょうど孝之が出てきたところだったが、他の客に話しかけられて、足止めを食らっている。穴沢が勝手に、「こっちは気にするな」と手を振ったので、孝之はこちらを窺いつつも、立ち話に興じることにしたらしい。
「僕と孝之ちゃんが? そんなわけないよ」
ここに集まっているのは、ゲイやレズビアン、バイセクシュアルと言われる人ばかりみたいで、酒に酔って気分が乗ったのか、キスを交わしている人たちもいる。こういう雰囲気の場所に来るのは初めてで、紫郎は小さくなって、穴沢の話を聞いていた。
ぐいっと距離を詰めてこられて、ソファの端に追い詰められる。穴沢は、紫郎の耳に囁いた。
「だって、僕もあいつもネコだし」
「ネコ……?」
思い出すのは孝之の可愛らしい私物。今日プレゼントしたのと、あの日孝之がくれたハンカチ。
犬派か猫派かって、そこまで溝が生まれるものだろうか。キノコタケノコを模したお菓子だって本気じゃなくて、お遊びみたいなもんなのに、と首を傾げる。
「まあ、猫は可愛いですからね……?」
ちなみに、紫郎もどちらかというと猫派である。気まぐれで、あまり構ってやらなくてもひとりで生きていけそうな図太さがいい。
どうやら自分の返答は、穴沢にとっては予想外であった様子だ。目を瞬かせたと思ったら、一気に噴き出すと、紫郎の肩を叩いた。
遠慮のない力でバシバシとやられて、いくら美人でもこの人も男なんだな、と思う。それにしても痛い。孝之以上の馬鹿力なのでは?
ひとしきり笑って、爆発しすぎて滲んだ涙を拭った穴沢は、「あのね」と、再び唇を寄せた。
「ネコっていうのは、つまり……」
しかし、彼が紫郎に真実を教えることはなかった。
「こら、醍醐。君、僕の可愛い部下に何してんの?」
と、孝之が戻ってきてしまったせいだ。
彼はその大きな身体を、無理矢理紫郎と穴沢の間にねじ込もうとする。ぷりっとした形のいい尻がアップになって、思わず「うわっ」と言ってしまった。
「え、ごめん。横山くん。お尻、当たっちゃった?」
「い、いえ、大丈夫です」
今日は胸といい尻といい、どうもラッキースケベの相が出ているらしい。なんだよ、ラッキースケベの相って。上司相手にそんなもの発揮しなくても。
細身の穴沢は、孝之のヒップアタックに屈し、横にずれた。
「何を話してたんだ?」
紫郎ではなく、まず穴沢に話を振った孝之は、少し怒っているようだった。向こうを向いているから、紫郎からは彼の表情がわからない。
その分、にやにやとこっちを窺ってくる穴沢のいやらしい顔はよく見えたが。完全にこの人、愉快犯だ。
「んー? 大した話はしてないよ。ねーえ?」
うわ、ここで話を振ってくるんじゃない。巻き込まないでくれ!
焦りを顔には出さなかった。孝之が振り向いて、じい、とこちらを見つめてくる。精悍な顔つき、真面目な顔をしているけれど、この人さっきまで、可愛いヘアピンつけてたんだよな……。
現実逃避は許されず、「横山くん?」と、詰め寄られ、紫郎は結局、言ってしまう。もちろん、孝之の話をしていたということは伏せて。
「あの、ネコってなんですか……っていう質問に答えてもらっていたところなんですが……」
孝之がフリーズする。一般的な動物の「猫」とは、やはり違うのだな、と思った。孝之が「ネコ」であると教えてもらった、ということは言わなくて正解だった。
答えに到達した孝之は、穴沢に食ってかかった。余計なことは言ってないだろうな! という低い声は、会社では一度も聞いたことのない、どすの利いた低いものだ。自分に向けられていたら、震えあがっていたに違いない。
しかし穴沢は、飄々としていた。
「余計なことって何が? 例えば?」
ぐぬぬ、と孝之が詰まる。穴沢の方が、一枚上手らしい。
「ほらほら、横山くんが答えを知りたがってるよ?」
お膳立てには乗っかるしかない。
「孝之さん。俺、知りたいです」
まっすぐな目を向けると、孝之は視線をあちこちにさまよわせて散々悩んだ末に、深く息をついた。諦めたのである。
「ネコっていうのは、その……」
「はい」
彼は紫郎を見ない。照れている。腿の上に肘をつき、口元を両手で押さえて、ごにょごにょと何事かを言う。
「はい? なんて?」
耳を寄せると、自棄を起こした彼が、少し大きな声で教えてくれた。
「その、男同士でセックスするときに、入れられる方……」
入れる。入れられる。ナニを、ドコに?
紫郎とて、自分自身のことだ、男の体の構造は把握している。女と違って、挿入に適した孔はない。適していない孔はあるが、まさかそこに、ペニスを?
紫郎の性癖はこれまでまっとうで、特殊プレイを伴うアダルトコンテンツに触れてこなかった。男女でもアナルセックスを好む層がいることは知っていても、まるで興味がなかったのである。
しかし、孝之の尻は別だった。先ほど目の前にでーんと張り出した、大きな尻。スポーツをやっていたから、引き締まっていた。ああ、もっと目に焼き付けておけばよかった。
孝之がネコということは、彼はその尻に男を受け入れたことがあるということだ。孝之は社交的だしイケメンだ。過去の恋人のひとりやふたり、いいや、もっといてもおかしくはない。
「……」
面白くない。
紫郎は酒のおかわりを要求し、強いアルコールを一気に呷った。
「横山くん!? そんなに一気に飲む酒じゃないぞ!」
孝之の制止も聞かなかった結果、紫郎は悪酔いした。初対面の男とも女とも肩を組み、大きな声で歌い、騒ぎ、踊り……そして、酔いつぶれた。
目を覚ますと、全身が痛かった。ソファの上で眠っていたらしい。
あれ、俺んちにソファなんてあったっけ?
瞬間、覚醒する。記憶がなくなる性質ではなく、昨日の醜態は覚えている。起き上がると、頭がひどく痛んだ。息をする度にアルコールの匂いがして、胃がムカムカしてくる。
死体は紫郎だけではなく、店のあちこちに転がっていた。近くにいた女性など、パンツが見えてしまっている。なるべく見ないようにして、スカートをそっと直してやった。
昨夜はあのまま酔っぱらって、寝てしまったらしい。今日開店じゃなくて、本当によかったと、飲み会の惨状を見て思った。
オーナーも、椅子に座って眠っている。背もたれもないのに、器用なものである。
紫郎はひとまず、片づけておいた方がいいのだろうな、とグラスを集め、ゴミをまとめる。ゴミ袋の場所は店長に聞かなければわからないし、できることは限られているから、気休め程度だ。
「んん~……」
すぐ近くで眠っていた穴沢が、どこかセクシーな声を上げて起きた。ぼんやりとした目を擦り、紫郎の存在に気がつくと、「おはよぉ」と言ってくる。
「おはようございます。あの、孝之さんは……」
店の屍たちの中に、孝之の姿はなかった。自分がつぶれた後に、帰ったのか。なんだか寂しい気持ちになる。他の面々は、ほとんど転がっているというのに、彼の姿だけない。
「孝之? 孝之……あ~、そうそう。朝から仕事だからって、終電で帰ったよ。ほんとは横山くん連れていこうとしたんだけどさ、ゲイの男が新人くんを部屋に連れ込んだら、まずいっしょ?」
こちらとしては、連れ込まれても全然かまわなかった……というのが、顔に出ていたのだろう。何むくれてんだよー、と、穴沢にデコピンされる。
「あたっ」
華奢な外見と違って、穴沢の攻撃は容赦なかった。痛む額を押さえている紫郎に、彼は意味ありげな視線を向ける。
「何か?」
声が冷淡になるのは、穴沢が気に入らないとかではなくて、ただ単に、頭が痛いせいだった。帰りがけにドラッグストアで薬を買って帰ろう。こんなにひどい二日酔いは初めてだ。
「横山くんさぁ、あいつのこと、好きでしょ?」
「は……」
好き? あいつ? 誰が、誰を?
なんて、愚問だった。横山紫郎が、河合孝之のことを、好いていると言いたいのだ。
そんなことないです、と首を横に振ることは簡単だったけれど、紫郎はそうしなかった。
穴沢の言葉が真であると、心の奥に隠れた自分自身が叫んでいるような気がした。
孝之の写真とハンカチでオナニーに励んだことも、誰彼構わず欲情するバケモノになってしまったわけではなく、性欲を伴う恋心を抱いているからだとすれば、すべて納得がいく。
そもそもの話だ。
初めて会ったとき、別れ際にもらったハンカチの出どころをわざわざ調べた。わかりやすいブランドでもなかったし、洗濯を繰り返して長く使っていたのか、タグの文字も読めなくなっていた。
ネットを駆使して執念でキャワイのオリジナル商品であることを突き止め、そこの会社を第一志望として就職活動を始めたあたりで、つまりは最初の段階で、気づいているべきだった。
自分は彼に、恋をしている。
八つ当たりにママ活をしていた。子どもでしかなかった自分。今になって冷静に振り返ると、あれは自傷行為でもあったのだと思う。悪ぶって、傷ついて、それでも辞められなくて。
そんな自分を諭して導いてくれた孝之の、お茶目な部分も仕事ができる部分も、そしてもっと他の一面も、見てみたいと思っている。
首がかゆくなってきて引っ掻いていると、
「まさか、今自覚したの……?」
と、信じられないものを見るような目で、穴沢が見てくるものだから、いたたまれない。
「……そうですよ」
体の方はとっくに気がついていたみたいだけど! とは、さすがに白状できない。
そっかそっかぁ、と楽しそうな穴沢が、ひたすら鬱陶しい。
「孝之ちゃんはねぇ、いい男だよ。優しいし、ハンサムだし。横山くんもお目が高いねぇ。ネコじゃなかったら、僕だって付き合いたいくらいだもん」
「……俺じゃ、力不足ですか?」
穴沢が孝之のことをほめちぎるので、紫郎は唇を噛んだ。なんでもできる上司と、社会人一年目の自分とでは、到底釣り合うはずがない。
「うーん……それはこれからの、君の努力次第じゃないかな?」
ま、なんか悩みがあったら連絡しなさい。
と、穴沢は名刺を取り出す。すでにもらっていると言うと、裏面にサラサラと個人的なやり取りをするための連絡先を記入して、改めて渡してきた。
恋のキューピッド、ということでいいのだろうか?
にやにやしている穴沢を見ていると、親切心よりも野次馬根性の方が強く感じられて、彼を頼るのは本当に、いざというときだけにしようと、紫郎は心に決めた。
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