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孝之への無自覚であった想いに気づかされてから、紫郎の生活は、より一層張りのあるものになった。
認められたい。釣り合うようになりたい。外見だけじゃなくて、中身の面で。
そう思うと、今まで以上に仕事に身が入るようになった。
これまでは、店長の指示を待っていることが多かったが、自分で売り上げを見て、発注の提案をしたり、商品のディスプレイ方法についてあれこれ考えたりするようになった。
清水店長は、以前から孝之のことを評価してくれていたが、「なになに。ずいぶんやる気じゃないの」と言って、任せてくれる仕事も増えてきた。
紫郎に敵愾心を持っている秋田は、不満そうにこちらを見ていたが、すでに一度、孝之を含め上層部からも注意がいっているからか、明確なアクションは起こしてこない。
ただひたすら、じっとりとした視線を送られるだけだ。そんなものは、はなからなかったものとして、無視してしまえばいい。
秋田の存在は極力意識から消して、紫郎は誰よりも声を張ったし、困っていそうな客がいれば、積極的に話しかけた。
店舗での実地研修は順調である一方で、週に一度、総合職の新人が集められる本部研修では、細かいヘマをやらかしがちだった。
理由はわかりきっている。研修室の前方に、孝之が座っていることが多いせいだ。
彼は全体に気を配り、そんな中で紫郎の視線に気がつくと、にこりと笑う。その瞬間、バッと顔を下に向けてしまう。
帰り際に話しかけられたりすれば、挙動不審もいいところだ。声はひっくり返るし、まともな敬語が出てこない。
孝之ファンの山本からは、「あの河合統括に話しかけられてるのに、まともに対応できないなんて舐めてんの?」と、すごまれた。
別に、初めての恋ではない。中学のときから、彼女と呼ばれる存在は定期的に出現しては、いつしか紫郎の前を去っていった。大抵は、「他に好きな人ができたの」と言って。
繋ぎとめることができるほど、紫郎は魅力的ではなかった。たとえ告白してきたのが向こうからだったとしても、恨み節を抱くことなく、「それじゃあ、元気で」と、あっさり別れることに同意してきた。
たぶん、本当に好きではなかったんじゃないか、と思う。胸の奥が熱くなり、言葉が上手く出てこなくなる。そんな気持ちを、これまでの恋人たちに抱いたことはなかった。
付け加えて、歴代彼女をオカズに自慰行為をしたこともない。オナニーはオナニー、セックスはセックス。紫郎の中では別物で、性欲を手っ取り早く解消したいときには、肉感的なグラビアアイドルやアダルト女優で抜くのが常であった。
なのに今は、孝之でペニスをシコっている。オカズは写真とハンカチだけじゃなくなった。一度だけ触れた胸と尻を思い出して、「ネコ」である彼の、あられもない姿を妄想する。
ゲイ向けのアダルト動画も参考に見た。できる限り孝之に似た特徴を持つ男優を探したが、途中でギブアップした。握りこんだペニスは、ちっとも反応しなかった。けれど、男同士のセックスの「いろは」がわかったことで、妄想はより具体的になった。
孝之の胸を吸い、ペニスを扱く。あの体格だし、きっと自分よりも長くて太いに違いない。ガチガチになったそれから、精液が吹き上がるまでひたすら擦るのだ。「僕だけじゃいやだ」と、半泣きになった彼が、自分の雄に触れてくれる。最終的には尻をこちらに向けて、「横山くん、紫郎くん、入れて……」と、ねだるところまで。
孝之とセックスをしたい。
そんな邪な気持ちを、夜ひとりになる度に、抱いている。とてもじゃないが、当の本人と平静に話をすることはできない。
「あ、横山く……」
こちらに近づいてくる孝之に気づかなかったフリで、隣にいた同期にわざわざ大きな声で、「昼飯どこに食いに行く!?」と、紫郎は呼びかけた。
新宿方面の店舗で研修中の面々と、適当な店に入って昼食を済ませた。午後からは店舗勤務だ。今日は秋田がいない日なので、精神的な疲労も少なく済む。
七月に入って蒸し暑い。外に出た瞬間、むわっとした空気が襲ってきて、これは無理だな、と判断した。
店舗勤務の間は、スーツでいる必要もないため、ややカジュアルな格好でも許されるが、今日は本社研修だから、スーツだ。紫郎はジャケットを脱ごうと立ち止まった。
そのとき、後ろから追突された。相当の力が加わって、転ぶまではいかずとも、よろめく。やはり、もっと鍛えた方がいいかもしれない。
「急に止まってんじゃないよ!」
と、だみ声の女がどうやら犯人らしい。
紫郎は端に寄って、邪魔にならないようにして立ち止まっていた。女は手にスマホを持っていて、周囲をよく見ておらず、速足で行こうとしてぶつかったのである。
こちらの過失の割合は低そうだが、ここで揉めても面倒になるだけだ。
「すみません」
大人の処世術だと割り切って頭を下げた。
ふん、とそのままいなくなると思われた女だったが、どうしてか、頭を上げるまでそこにいた。まだ何か文句を言い足りないのか、勘弁してくれよ……と、おくびにも出さず内心で毒づく。
女は四十代後半から五十代半ば、紫郎の一番苦手とするタイプである。香水臭くて、化粧が濃い。自分で稼いでいるキャリアウーマンでもなければ、セレブの夫にふさわしいマナーを身に着けた淑女でもない。
紫郎がかつて、ママ活相手に選んでいた中にも、こういう女がいた。金もないし、継続して会うことはなかったが。
じろじろとこちらを見てくる女に、さすがに不快になる。
「あの、何か」
言いかけた紫郎を遮り、女は大声を出した。どうしておばさんは、声のボリューム調節機能を失うのだろうか。キーンとした耳を押さえて、
「な、なんなんですか!?」
と、鋭く問えば、「あたしよ、あたしぃ」と自分を指さし、迫ってくる女の姿。たじたじになって一歩引く紫郎とは逆に、まったく引いてくれない。
「ちょっと何よぉ、お腹を痛めて産んでやったお母さんを、忘れたっていうの!?」
ヒステリックに叫んだ女を、まじまじと見つめる。
「……母さん?」
記憶にあるのは、まだ若いときの姿だ。皺も目立たなかったし、目の前にいる女よりも、断然痩せていた。けれどあの頃から、けばけばしい化粧と服装は、そういえば変わらない。
「そうよ、紫郎。お母さんよ!」
感動の再会のつもりだろうか。自分の意志で息子を捨てたくせに、図々しい。
紫郎の頭はスーッと冷めた。血が繋がった親子だからといって、嫌悪感がなくなるわけではない。むしろ諸悪の根源である彼女とは、一生会いたくなかった。
「ねぇねぇ、そこでお茶しようよぉ。お母さんに話したいこと、いっぱいあるでしょ?」
「ないですね。僕、仕事中なので失礼します」
慇懃に、他人行儀に早口で進める。
「ああん、待ってよぉ」
腕に縋ってこようとするのを振り払って、紫郎は逃げた。
どうして今さら、あんな女に振り回されなければならないのか。
結局着たままの上着の下で汗が冷たくなっていく。
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