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<19話
早見は日高の話を、何も言わずに聞いていた。目を見つめ、手だけはぎゅっと握りしめてくれる。
だから、日高はあの日のことを話す覚悟ができた。
「父親の会社が不渡りを出して……資金調達のために、俺を金持ちの家に売った」
自分の居場所をわざわざ調べ、会いに来た父。感動の再会なんて期待していたわけではないが、ああもクズだとは思わなかった。かすかに残っていた家族の思い出も、すべて吹き飛んだ。
「嫌がっても、無理矢理番にしてしまえばいいと考えたあの男は、俺を監禁して、薬を盛った」
強制であろうが、生理的なものであろうが、発情は発情だ。その状態で性交し、うなじを噛まれてしまえば、番関係は成立する。
最悪なことに、オメガから解消することはできない。いつだって、搾取されるだけの存在なのだ。
「卑劣な……!」
早見は自分のことのように怒りを露わにし、ギリリと唇を噛みしめる。悲しみや怒りを共有してくれるだけで、日高の心は慰められた。
「だから俺、運命って言葉が一番嫌いなんです。そのせいで俺は、それに母さんは、散々な目に遭ったから」
運命。
その言葉だけで、周りは「仕方ないね」と母や日高に言った。運命の番を求め惹かれるアルファの性だから、と。
だからといって、たいした慰謝料も払われず、日高の養育費も途中で振り込まれなくなるなんてこと、あっていいはずがない。
ベータに何がわかるというのか。本能ではなく、理性と情で、ごくあたりまえに恋ができるじゃないか。
「運命なんて、くそくらえだ」
日高が最も恐れることは、父に起きたことが、自分の身にも降りかかるのではないかということだ。
どうして自分はベータに生まれなかったのか。アルファ男性とベータ女性の間に生まれてくる子どもは、九割以上の確率で、ベータだというのに。
もしも自分にパートナーがいるときに、運命の相手に出会ってしまったら、本能に抗うことができるのだろうか。
ちらりと早見の顔を窺う。きれいなラインを描く横顔。喋る度に隆起する喉仏の雄々しさに、目を奪われる。
日高は、恋を知らない。そんなものしないと誓って生きてきた。自分の恋心は、誰かを傷つける。
幸い、「いいな」と思う相手は、これまでに一度も現れなかった。けれど、早見に出会ってしまった。
ああ、駄目だ。
これ以上、彼を巻き込んではいけない。
なるべく自然な動作で、日高は早見の手から逃れ、目を逸らした。
身の上話をすべて聞き終えた早見は、立ち上がり、本棚を漁った。すぐに目当ての文庫本を見つけ、手渡してくる。
「これは?」
中を開くまでもなく、早見の著作の一冊だ。表紙の雰囲気、タイトルからして、恋愛小説らしい。
「最近文庫になった本で……これは、運命について書いたもの」
「運命……」
日高の手に本を載せ、さらにその上に、自分の掌を載せる。
「俺は、こうして日高と出会ったことも、運命だと思っているから」
日高を翻弄する運命。それから、早見の考える運命。そこに違いは、あるのだろうか。
沈黙した日高に、早見は少し困った様子で、文庫からどけた手をさまよわせた。それから、おずおずと日高の頭を撫でた。
「気が向いたらでいいから」
「うん……」
ずいぶん長くお互いのことを話していた。文庫本を持ったままでぼんやりしている日高を現実に引き戻したのは、自分の腹の虫が、大きく鳴いた声だった。
>21話
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