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<15話
ついていない、と俊は学食で溜息をついた。食べたかった魚のA定食は自分より少し前に売り切れてしまったが、そのせいではない。サラダを口に運びながら、高山の顔を思い出す。
昨日眠れないままに書き綴ったレポートは四〇〇〇字。最終レポートはもっと書かなければならないし、修士論文だってそろそろテーマを考えなければならないのだが、こんなにたかが四〇〇〇字ごときで苦労したことはなかった。書いては消し、消しては書き。何度すべてを消し去ったか、正確には覚えていない。
邪魔をしてはいけない、と考えたのか、ウサオは寝室にはやってこなかった。ウサギのように本当に目が赤くなっていたから、ウサオもあまり寝ていないのかもしれない。
あれだけ苦労をしたレポートを、俊は家に忘れてきた。明日提出します、と言っていたにも関わらずレポートを持参しなかった俊に対して、高山は驚いた顔をした。それだけじゃないことに、俊は気がついていた。
あれは失望だ。期待をかけていたのに、簡単なレポートすら提出できない俊への、軽い失望。
『じゃあ明日……は僕がいないから、次の講義のときに持ってきてね』
次の講義、というのはすなわち来週のことだ。うなだれるように頷いた俊に向かって、高山は笑った。それから俊の頭をぐしゃぐしゃと掻き回したのだった。まるで大人に叱られた子供を宥める仕草だ。
学食はピーク時とは違い、静寂に満ちていた。今日はこの後講義もないし、チューター業務もない。そのまま帰宅をしてもいいのだが、ウサオがいると思うと気が重かった。
どう接すればいいのか、わからない。幼い頃は純粋に、彼らヒューマン・アニマルのことを少し年上で、動物の耳や尾をもった、少し変わった兄弟のように思っていた。何の屈託も、葛藤もない。
けれどあのときから俊は変わってしまった。まだまだ子供だった俊の、心の傷はいまだに塞がっていないのだ。相手は庇護対象であり、かつ、問題を起こす因子を持っている。人間の家庭に問題が起きないように――自分と同じ経験をする子供がいなくなるように――俊はコーディネーターを目指した。
ウサオは特殊な事情があるとはいえ、庇護対象であることは間違いなかった。犯罪被害者というその一点に置いて、同情した。だから実習の名目の元、同居に同意した。
しばらくの間我慢して、観察日記をレポートとして記録すればいいだけだ。そう思って始めた同居生活だったが、ウサオとは最初から覚悟が違ったのだ。
自分はウサオがどうしても駄目なら、高山に言えば空いてを変えてもらうこともできるだろう。だが、ウサオは記憶もなく、俊の部屋を追い出されたらどこに行くことになるのかも、わからない。
出会ったときの乱暴さも鳴りを潜めて、ウサオはいじらしくも俊に尽くそうとした。それが俊の調子を次第に狂わせて言った。
情に流され、絆されて、一緒に笑い合うのが楽しくて。レポートの存在なんて、すっかりと忘れていた。こんなことでコーディネーターになれるのか。そう思ったら怖くなった。
アニマル・ウォーカーとヒューマン・アニマルたちの付き合いは一年間。必ず来る別れを意識しながら、四季を過ごす。俊はいつしか、離別を忘れていたのだ。ウサオと友人関係を築いたまま、このままずっと共に過ごしていけるのだと、勘違いしてしまった。
それを突きつける、レポート。主観ではなく客観的に、ヒューマン・アニマルとの暮らしについて記録をしなければならない。個人の日記であってはならない。
静かな中で一人で食べる食事は、こんなにも味気ない。ウサオの作ったハンバーグが恋しい気持ちを押し殺して、俊は黙って目の前にある冷めてしまったハンバーグを口に運んだ。
鞄の中に入れたスマートフォンが震えていることにも、気がつかないままに。
>17話
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