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<17話
錦の案内に従って、ウサオは大学内を散策した。俊や高山を捜索しているはずなのだが、錦の饒舌さに流されて、ただ大学見学をしに来たお上りさんのようになってしまっている。
「えっ、記憶喪失!?」
気がつくと自分の身の上話に発展しており、ウサギの耳についてはさすがに伏せたが、自身が記憶喪失であることは明かしてしまっていた。
「そうか。だからウサオって」
「うん。本名わかんないから……病院の先生たちがつけてくれた」
嘘は言っていない。笹川はあれで医師免許を持っていると俊が言っていた。
「高山っていう先生や病院の先生が、俊と一緒に住めって言ってくれて、それで世話になってる」
ふーん、と錦は唇を尖らせて、あまり興味がないという表情をした。話をしていて違和感を覚えたのが数回。一瞬黙ってしまったり、鼻で笑ってみせたり。ウサオが俊の話をする度に、錦は微妙な顔をする。
同じ学科だと言っていた。呼び捨てをするくらいだから同じ大学院生なのだろう。
「……錦はどんなことを勉強してるんだ?」
「俺? 俺はね~、金儲け、かな」
「金儲け?」
「そ」
「え、でも心理学科なんだろ?」
ウサオの問いに対して錦は首肯した。普通金儲けと言ったら経済学部とか経営学部とか商学部とか、そういう学部で勉強をするのではないだろうか。テレビでは株やらFXやらで儲けている大学生も出ていたが、確か経済学部に通っている学生だったと思う。勿論文学部の学生が株をやらない、という訳ではないだろうけれども、錦の言い分はどこかおかしい気がする。
「株、とかすんの?」
「しないよ。そんな面倒なもん」
ますますおかしい。ならばどうやって稼ぐというのだろう。ウサオには想像がつかない。
「……今、何年生?」
「俺? 三年」
「大学院の?」
「いや」
やはりおかしい。俊は修士課程の一年生だ。同い年だとしたら、二年も留年していることになる。大学に入学したてのときはわからないが、そうした不真面目な人間のことを、俊はあまり好きではない。この短い付き合いの中でも、それはわかる。
いよいよおかしい。ウサオの胸がざわつく。このまま錦についていっていいのだろうか。もうここでいい、と言うべきだろうか。ウサオは携帯電話を取り出した。
「? どうした?」
「もしかしたら俊、今なら電話出られるかもしれないから……」
番号を呼び出そうとしたが、それは叶わなかった。ウサオの手首は錦に捉えられた。
「に、にしき……?」
「大丈夫だよ、ウサオくん。俺がちゃーんと、責任持って高山先生のところか三船のところ連れてってやるから。電話なんて必要ないね」
携帯電話を取り上げられる。尻尾のある辺りが落ち着かない。テープで無理矢理止めてあるが、それを突き破ってしまいそうだ。
身の危険を覚えたウサオは、錦の手を振りほどいた。
「も、もう一人で探せる!」
「遠慮すんなって。あ、この辺がうちの研究室なんだ」
そう言われて肩を抱かれ、連れ込まれた建物は、明らかに研究室などなさそうな雰囲気だ。薄暗く、使われていないのではないかと疑ってしまうほどだ。
「ほ、ほんとにこんなところにいるのかよ……」
「ん? うん、そうだねぇ」
それはお前のこれからの行動によるかなぁ。
錦はそう言って、どん、とウサオを壁に押さえつけた。
「!?」
「なぁ? 三船と一緒に住んでんだって?」
その声音が今までと違ってべたついたものになっていて、ウサオは嫌悪感を抱く。かろうじて「ああ」と頷くと、錦は唇を笑み曲げた。
「へ~え。それで? あいつのこと抱いてんの? それとも抱かれてんの?」
「は?」
何を言い始めたのかウサオにはわからなかった。抱く? 抱かれる? 誰と誰が肉体関係にあるって? 自分と、俊が?
「そんなこと、ない!」
悲鳴を上げた。脳裏にはあの日見せられた、ウサギたちの痴態がよぎる。絶対にありえない。自分と俊がそういう関係になってしまったら、自分が自分ではなくなってしまう。
ウサオの否定をものともせずに、錦は勝手に話を進める。
「あいつがゲイだってわかったら、どうなっちまうんだろうなぁ。コーディネーターとかいうのにもなれないんじゃねぇか?」
「違うって言ってるだろ!」
俊はゲイではないし、ウサオも無論、違う。それにコーディネーターは国家公務員職。ゲイセクシュアルだということを理由に就職できないということはないはずだ。
だが錦にとっては真実などどうでもいいのだろう。表情からそれがわかる。そしてウサオは、錦の言う「金儲け」の手段を知る。
「……脅迫、する気か?」
錦は笑った。勉強も何もない。この男は他人の弱みを握り、脅迫することで金を得ている犯罪者だ。ますます俊と友人だというのは信じがたい。いいや、嘘だと言い切ることができる。
「俊はそんなデマを流されても、お前なんかの言うことはきかない!」
冷静で理性的な俊ならば、自分がゲイだといううわあsを流されたところで、きちんと否定してみせるだろう。ウサオが一緒に住んでいることが問題ならば、嫌がられようが笹川のところに身を寄せることだって可能だ。
「どうかな」
カシャリ、と音がしてはっとした。錦が自分にスマートフォンのカメラを向けていた。
「何を……!」
「お前らが出来てようが出来てなかろうが、関係ねぇんだよな。三船がお前のこと、見捨てられないってのがわかってればやり方はもう一つある」
錦の手がウサオのスウェットに伸びた。
「何を!」
抵抗をするが時はすでに遅かった。
「お前のことヤっちまえば、あいつだって言うこときかざるをえないだろ!」
「やめろ!」
下半身が丸出しになるのが怖いのは、羞恥心によるものではない。尻尾が見えてしまったら、おしまいだ。それを恐れてウサオはがむしゃらに腕を突っ張って、どん、と錦を突き飛ばした。
尻もちをついた錦の目は真っ赤な怒りに燃えている。逃げなければならない。ウサオは走り出す。それと同時にパーカーのフードが外れ、暴れた衝撃でニットキャップが落ちる。
――しまった!
驚いた錦と目が合う。ウサギ……? と呆然とした錦の声に、キャップを拾う暇などない。人気のない建物の中を、めちゃくちゃに走って逃げる以外、ウサオには道はない。
「助けて……!」
俊、と唯一の味方の名前を呼ぶ。届かないことは承知の上で、でも、呼ぶしかなかった。
>19話
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