迷子のウサギ?(28)

スポンサーリンク
BL

<<はじめから読む!

27話

 帰りにドラッグストアでウサオの言っていた風呂用洗剤の詰め替え用と、少し考えてスポーツドリンクを購入した。朝の発熱が収まっていればいいが、またいつ熱が上がるかもわからない。何事もなければないで、風呂上りの水分補給にでも飲めばいい、と俊は家路を急いだ。

 昼間の電話の様子であれば、今頃はかいがいしく夕飯の支度をしている頃だろう。もしも身体が辛ければ、電話があるはずだからそのまま元気になったのだろうと俊は楽観していた。

「あ、雪」

 道理で寒いはずだ。白くちらちらと舞い散る雪を見ていると、寒さが更に身に沁みてきて、俊はマフラーをしっかりと巻きなおした。

 家に帰りついて、扉を開けた。真っ暗で、音がしない空間に、俊の発した「ただいま」の声だけが空しく響いた。夕飯の匂いも漂ってはこない。

「ウサオ……?」

 電話もできないくらい体調が悪化したのだろうか。笹川を呼ばなければならないかもしれない。電気をつけたリビングに、ウサオはいない。朝食の片づけをしていったままの台所の様子に、もしかして昼も食べずに倒れているのだろうか、と心配になる。

「ウサオ」

 眠っているかもしれない、と小声で、扉をゆっくりと静かに開けた。寝室もまた、真っ暗だった。ウサオがどこにいるのか目を凝らして見つめると、ベッドの上で蹲っているウサオがかろうじて見えた。

「ウサオ、大丈夫か?」

 眠っているわけではないようだった。よく見ると、かすかに震えているのがわかる。寒いのならば、布団にくるまっていればいいのに、ウサオは布団の上にいて、小さくなっている。

 触れた瞬間、俊の視界は反転した。ウサオの背後には、天井が広がっている。鍛え上げられたウサオの腕で押さえつけられていた。

「しゅん……」

 名前を呼んだウサオの口の端から、つぅ、と涎が落ちた。後から後から垂れてきて、とうとう俊の頬を汚す。ウサオの目は不穏に潤んでいる。

 俊はこの目を、知っていた。

 ――そういえばあの日も、クリスマス直前だった。

 せっかくウサオとの生活で、すべてを忘れていられたのに。

 小学校から帰ってきて、見知らぬ車が家の前に泊まっているとき、俊は落胆するか、狂喜するかのどちらかだった。その日は後者の方だった。知らない車は新しい友人を連れてくる。友人に手を振って、走り出した。

「ただいま!」

 優しい母と、今日は休みを取った父が、そこにいた。

「おかえりなさい」

「お母さん! 新しい子、来たのっ?」

 一年間限定の、心優しい友人たち。最初はおどおどと人を怖がっているが、十日もしないうちに慣れて、二人で庭で遊ぶ。別れは寂しいけれど、彼らが幸せに暮らしていると信じているから、そのときは辛くても平気だった。

 手を洗ってうがいをしてからね、と母に言われ、慌てて洗面所へ寄り、うがい手洗いを済ませる。その間に母はおやつを用意してくれて、三船家の儀式が始まる。

 俊の物心つく前から、三船の家はアニマル・ウォーカーのボランティアをしていた。初めてやってきた日に母の手作りのクッキーを食べるのが、出迎えの儀式としていつの頃からか定着していた。滅多に菓子作りをしない母が作ってくれた素朴なクッキーは、俊にとっては何よりも美味しいもののように感じられた。

 リビングには怯えた様子のヒューマン・アニマルがいた。真っ白な長い耳と丸い尻尾。髪の毛は黒いけれど、肌は透けるように白く、唇は赤い。目の端もほんのりと化粧したように紅色なのが、俊には鮮烈に感じられた。

「ウサギのお姉さん? 女の子、初めてだよね?」

 線の細い美しい姿に、俊はてっきり女性だと思ったのだ。両親は顔を見合わせて、「やだこの子ったら」と母は笑い、父は「この子は男の子だ」と言った。

 両親は必ず、男ばかりを預かってきていた。それが、俊との間に過ちが起きないようにという両親の配慮だったのだ、ということに俊は、あの事件が起きてしばらく経過してから、気がついた。気がついたところで、どうにもならないけれど。

「彼はシロ」

「シロ……」

 ネーミングセンスがないね、と言うと「俺が考えたんじゃない」と父は軽く、俊の頭を小突いた。本気で怒っているわけではないし、それが愛情表現だと知っているから俊は笑っていたが、目の前でその光景を見ていたシロは、ただでさえ白い顔を真っ青にして「やめてください!」と叫んだ。

「ぼ、暴力は、反対、です……っ」

 家族三人の注目を受けたシロはか細い声で下を向いた。

「暴力、じゃないよ?」

 子供の頃は詳しいことは教えられていなかったが、最低最悪の環境でヒューマン・アニマルたちは育ってきたということは父から言われていた。だからといって、特別に優しくすることはしてはならない。それは差別意識を相手に芽生えさせるから、と。俊が友達と過ごすように、彼らとは接しなさい、と口を酸っぱくして言われてきた。

 だから当たり前の家族や親しい人々とのやりとりがわからずに、父の行動を暴力だと勘違いしたのだろう。まずは慣れること。そして仲良くなること。

 俊はシロの傍に寄って、彼の手を握った。とてもきれいな手だった。何もしたことのない、手だと思った。

「ねぇ、おやつ食べよ! お母さんのクッキーね、おいしいよ、たぶん」

「たぶんって何よ!」

「だってこの間は、変なの入れたじゃんか! 草みたいなの!」

「ハーブよ、ハーブ!」

「あー……あれは確かに、微妙だったなぁ……」

「あなたまで!」

 そんな遠慮のない家族のやり取りに、シロはまず目をぱちくりさせていた。それからぎこちない笑みを浮かべた。彼の笑顔はきれいで、もっともっと見ていたいな、と俊は思った。一口クッキーを食べてから、

「ほら、美味しいよ!」

 とシロにも勧める。シロは恐る恐る手に取った。

「これが……クッキー」

「クッキー、食べたことないの?」

 こくん、と頷きしげしげとクッキーを眺めているシロは、外見年齢よりもだいぶ幼い。今まで三船家にやってきたヒューマン・アニマルたちは俊が幼かったこともあって、兄のように慕っていたが、小学校も高学年になり、大人びてきていた俊は、シロは弟なんだ、と考えた。

 俊はシロの前で大きな口を開けて、もう一枚クッキーを頬張った。じっと俊が食べるのを見ていたシロは、小さな口で、クッキーをひとかけ、咀嚼する。ゆっくりともぐもぐ動く唇の動きを追いかけると、なぜだか俊はドキドキした。

「……おいしい!」

「だって! よかったね、お母さん」

 シロは先ほどよりも自然な笑顔でクッキーをさくさくさく、と噛み砕いていく。美味しいものが、家にやってきたヒューマン・アニマルを家族の一員にしていく。

「僕、ウサギ、大好きなんだ! 可愛いもん」

「可愛い? ……僕も?」

「うん! クラスの朝比奈さんよりも、可愛いっていうか、きれい!」

 クラスで一番の美少女よりも、テレビに出てくるその当時好きだったアイドルよりも、シロは可愛いし、きれいだった。美しい、という言葉は知っていたけれど、心から実感して使ったのは、シロに対してが初めてだった。

 俊の褒め言葉に対して、シロは頬を染めた。そして紅い唇をきれいな弓なり型にして、微笑んだ。

「……ありがとう」

 俊はこの時まだ、彼の不思議な笑みを形容する言葉を知らなかった。両親には見えないところで俊に向けられた笑顔に対して、ぞっとすると同時にかっと身体が熱くなるような気がした。肉厚な舌が、微笑みを刻んだ唇を舐めるその仕草に、惹かれた。

 それを「妖艶」と形容するのだと知ったのは、もっとずっと、あとのことである。

29話

ランキング参加中!
にほんブログ村 BL・GL・TLブログ BL小説へ
にほんブログ村 小説ブログ 小説家志望へ
にほんブログ村 BL・GL・TLブログ BL小説家志望へ



コメント

タイトルとURLをコピーしました