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<8話
ガシャン、という物音に驚いて俊は飛び起きた。すわ泥棒か、一人暮らしの部屋でこんな音が鳴るなんて、と慌てて寝室を出て、はたと気づく。
そうだ、昨日から一人の生活ではなくなったのだ。実習という形で体よく複雑なヒューマン・アニマルの世話を命じられたのを思い出す。
「ウサオ?」
記憶喪失の彼の名前は仮のもので本人も不満気であったが、それ以外に呼び名を知らないのでその名を呼んだ。ウサオはとっくに目を醒ましていて、どうやら音の正体は台所で彼が何かをしていたから、らしい。
「ウサオ、何して……」
さほど広くはない台所でウサオは食器や鍋やフライパンを棚から出してた。一人暮らしをし始めて約半年、月に一回か二回出番があればいい方の調理道具たちだ。こんなもの買っただろうか、というようなものまで混ざっている。
「今日からここは、俺の城だ!」
「はぁ?」
「毎日カップ麺やコンビニ弁当はごめんだからな! ちゃんとした飯を食う!」
宣言しながら冷蔵庫と冷凍庫を探って、「うわ何にもねぇ……酒すらねぇ……」と呟くウサオの背中をぼんやりと俊は見つめた。カップ麺とコンビニ弁当とレトルト製品と学食で生きている俊は、別に不都合なんてものはない。若い男の一人暮らしなんてそんなものだろう。
「……ついでだからお前の分も作ってやる」
「は?」
――別にいいよ、ウサギの作ったもんなんか食えるか。
寝起きの頭に浮かんだそのフレーズを口にすることは寸でのところで耐えた。言ってしまっていたらきっと、被害は皿の一つや二つじゃすまなかっただろう。
ウサオは皿を見つめて俊とは視線を合わせない。なのにちらちらとこちらを窺って、何か反応を待っている様子にも見える。
「お、お前のも、作る、し、大学行ってる間に掃除とか洗濯とかしとくから……」
顔の横についた人間の耳の方が真っ赤になり、ウサギの耳はへたりと垂れている。そこまで聞いてようやく俊は、ウサオの言わんとしていることに気づく。
同居させてもらう礼として、家事を引き受けようというのだ。じっとその顔を見ると、目の下は濃い隈ができている。寝ずに考えた結果だと思うと、いらないと言うのは罪悪感を覚える。
「……わかった。よろしく」
そう言うとウサ耳が一瞬大きく揺れた。それから表情がぱっと明るくなって「おう、任せろ」とウサオは言う。ウサギの耳や尾の方が感情と連動して反応が早いのか、とぼんやり思った。
「なにぼーっとしてんだよ」
「え?」
「俺は家から出られないんだから、買い物はお前の仕事だろ? 俺は今から食器とか鍋とか全部きちんと使えるように洗うから、食材買ってこいよ」
先ほどまでの殊勝な様子は一体どこへ行ってしまったのか。横柄な態度と口調で家主に命令する居候がどこにいるんだよ。ウサオに急かされた俊だが、「まだ着替えてすらいないんだから、落ち着け」とマイペースを貫くことにした。朝食くらいはその辺にあるパンでいいだろう、と。
>10話
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