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<9話
帰宅して、夕飯を食べるのも早々に、薫はベッドに横になった。稽古に参加した後はいつも、心地よい疲労感に包まれるのに、今日は違った。
土日も多目的ルームを予約することができたから、レッスンをすることになった。だが仁は薫に、自分の中の問題に折り合いをつけてこい、と言った。今日と同じであれば、参加しても意味がないのは自分がよくわかっている。
そのためにも、もう一度遼佑と話がしたい。そう思って、スマートフォンを手に取った。
だが、最後の一操作ができない。緑色のボタンをタップすれば、それで電話はかけられるのに、押せなかった。どうせまた、居留守を使われるに決まっていた。
そのままベッドの上に投げ出して、枕に顔を伏せて目を瞑る。このまま眠ってしまえればいいのに、肉体は疲労していても、ぐるぐる悩んでいると、目は冴えるばかりだ。
「もう寝てんの? やだ、電気つけっぱなしじゃない」
突如としてかけられた声に、薫はがばりと身体を起こした。振り向くと、静が戸口に寄りかかり、腕を組んで薫を見下ろしていた。
「いい加減ノックしてくれよ……」
げっそりした顔で懇願した薫のことは無視して、静は、
「そういえば、害虫駆除は済んだの?」
と、今更尋ねてきた。害虫、とはひどい言い草だ。
――遼佑は、害虫なんかじゃない。
そう言いたいのをぐっと耐えて、薫は「まぁ、男としての尊厳は失われたんじゃない?」と、やる気なく答えた。
「あらぁ……野蛮ねぇ」
何を想像したのか、姉は楽しそうに笑う。薫はちっとも面白くなくて、もう話すことはない、とばかりにスマートフォンのアプリで遊び始める。
珍しく何の反応も示さない薫に、静は何かを感じ取って、部屋から出ていこうとした。その時、彼女は不意に何かに気がついて、「あっ」と声を上げた。
「ちょっとこれ何!」
常に冷静な彼女にしては、素っ頓狂な叫び声に、薫は顔を上げた。静は机の上にあったぬいぐるみのうちの一つを取り上げて、「これちょうだい!」と叫んだ。とはいえ、別に彼女はぬいぐるみが好きなわけでも、なんでもない。
「これってクレーンゲーム限定の奴でしょ? ネットオークションで高く売れるのよね。いらないわよね、あんた。ぬいぐるみなんて」
そのぬいぐるみは人気のパズルゲームアプリに出てくる、精霊という触れ込みのキャラクターだった。ただし、「精霊」という言葉から連想される可愛らしい物ではなく、原色が目に痛い、毛玉だ。そんなものが「ブサ可愛
い」と巷では人気がある。
「だめ!」
勿論ぬいぐるみを集める趣味はない。ないのだが、そのぬいぐるみは特別だった。薫は静の手から、慌てて取り返した。
>11話
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