恋愛詐欺師は愛を知らない(15)

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14話

『もう! あなたってば、いつもそう! 仕事仕事で、あたしの気持ちなんて、ひとっつも考えてくれない!』

『じゃあ言わせてもらうけどな、俺がそうやって、必死に稼いだ金を、お前は何に使ってるんだよ!』

 二人の怒鳴り合いに割って入ったのは、仁の冷静な、「ストップ」という声だった。劇団員の男と薫は、動きを止め、彼の言葉を待った。

「お前たちはどんな夫婦なんだ?」

 今日のエチュードのお題は「夫婦喧嘩」だった。女性の数が足りていないため、薫が妻役を買って出た。

「どんな、って……」

 薫は相手役の役者と顔を見合わせる。即興、という言葉の通り打ち合わせをする時間はほとんど与えられておらず、ぶっつけ本番で演じていた。

 仕事ばかりしている夫を詰る妻、という設定はわかりやすいだろう。薫が口火を切り、夫役の男はそれに乗った。

「確かに、情報共有する時間は与えていない。それでも自分の中に、確固たる人物のイメージは湧いているのか? 名前は? 何歳の妻で、夫との年齢差はいくつなんだ? 甘えているだけなのか? それとも、殺したいくらい憎んでいるのか?」

 考えてもいなかったことを問われ、薫はぐっと詰まる。拳を握って、仁の指摘を黙って聞く。

「台本に描かれているのは、登場人物の人生の、わずかな時間しかない。そういう意味では、俺は、写真や絵画に近いもんだと思ってる」

 長い人生のうちの一瞬を切り取った物が、舞台だ。そこまでに至る過去も、それ以降の未来も、描かれていないだけで、存在する。観客がそれを想像できることが、共感を、感動を生む。

 板の上や台本の中にしか、演じる役柄を見いだせない役者は、二流である。それが、仁の持論であった。

「描かれていない部分を演じ切ってこそ、板の上には一人の人間が存在するんだ」

 薄っぺらい二次元的な存在は、人間とは言えない。時間という軸を持ち、厚みを持った人間を生きることは、役者にしかできない。仁は語り、薫を見据えた。

「確かに、お前の声帯模写も顔も、武器になるだろう」

「……はい」

「でも結局、技術は技術でしかない。そいつを使って、リアルに生きる人間を客の前に出せなきゃ、何も伝わらないんだよ」

 わかるな、薫。そう念を押されて、薫は頷くしかなかった。唇を噛みしめて、下を向く。そうしているうちに、頬のあたりが熱くなってきて、薫は仁に背を向けた。

「……頭、冷やしてきます」

 薫の気持ちをわかっている仁は、「おう」とだけ言って、目もくれずに別の組のエチュードに戻った。

 薫は学生会館の裏口を出た。目の前にはグラウンドが広がっていて、晴れていれば運動部の学生たちが汗を流しているのだが、あいにく今日も梅雨空で、人通りは少ない。

 遠くから、いくつもの楽器の音が聞こえてくる。どんよりとした空に、明るい音色が響いているのが、滑稽だ。しかし薫には、笑う余裕がない。

 玄関口で深呼吸をして、「くそっ」と薫は小さく毒づいた。

 仁の指摘は、図星だった。慢心していた。声帯模写によって、自分は老若男女問わず、何者にでもなれると思っていた。 

 だが、薫が「演じている」と思っていたのは実は、「なり切っている」だけだったのだ。上っ面だけを表現して、演技をしている気になっていたのだ。薫が演じる役柄は、人間としては、存在していない。

 人間をテンプレート化していた。出会ったばかりの頃の遼佑を、笑うことなんてできないじゃないか。

 演じる人物を見つめ、掘り下げて、彼らの人生すべてを背負う必要があったのに、薫はしてこなかった。持って生まれた才能に溺れていた。

 過去があり、現在が、そして未来がある。経験は現在の生き方、物の考え方に影響する。今をどう生きるかが、将来に繋がる。

 それは虚構だろうが、現実だろうが同じなのだ。描かれていない部分を考えて、一人の人間を創り上げる。そのためには、しっかり考えなくてはならない。

 薫は頬を叩いて、気合を入れ直した。

「よし」

 おそらく、遼佑が薫の告白を本気で受け取らずに怒ったのも、演技と同じで、それが上辺だけの物だと見抜いたせいだ。

 薫は真剣な恋を、したことがなかった。いつだって相手から好意を寄せられて、頷くだけでよかった。

 薫から好きになって告白したのは、遼佑が初めてだった。

 シチュエーションを考えて、年下らしいあざとらしい可愛さを押し出せば、きっと、遼佑は折れてくれると思っていた。

 そういう薫のひどい思い上がり、浅はかな計算を、遼佑は看破し、嫌悪した。当然といえば、当然だ。遼佑もまた、女相手に同じことをしてきたのだ。

 女たちが望む白馬の王子様とやらを、意識的に演じていた。そこに遼佑自身の心はなく、女を落とすことができれば、それでよかった。

 だから遼佑は、薫の告白を信じない。人は、自分の経験でしか、物事を計ることができないのだから。

 次にもし、伝える機会があるのならば、頭で考えずに、ただひたすら、叫ぼう。

 あなたのことが好きだ、と。

 しかし今は、稽古に戻らなければならない。すっかり冷静になった薫は、学生会館の中へと戻った。稽古場である多目的ルームへと入室すると、ぺこりと仁に頭を下げた。

 彼は何も言わずに、頷いた。

16話

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