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<28話
好きな人? そんな馬鹿なこと、あるか。
だって和嵩は、「男」で「弟」だから。恋をすることなんて、ありえない……そう思っていた。
けれど、振り返ってみれば、自分の胸の高鳴りは兄弟愛の一言で片づけられる代物ではない。
デートの度に「あそこに行こう」「あれを食べよう」と、行く前から楽しかったこと。キスの練習は複雑な気持ちだった……他に好きな人がいるくせに。そして深いキスをされて怒りを覚えたのも。
和嵩がゲイだと知り、一つ目の枷は外れた。強固な「弟」という縛りをどう扱うべきか。
わからないままに圭一郎は家までの道を走り抜けた。自覚しつつある気持ちは、暴発寸前に膨れ上がっている。とにかく早く、和嵩に会いたかった。
「ただいまっ……!」
両親は仲良く買い物に出ているため、在宅しているのは和嵩だけのはずだ。しかし、玄関には家族の誰も履かない男物のブーツが一足。持ち主の顔がすぐに思い浮かんで、圭一郎は慌ただしく靴を脱ぐと、階段を駆け上がった。
黒崎がただ遊びに来ただけならばいいが……なんとなく、嫌な予感がした。
和嵩の部屋の扉を開けようとした直前、「ちょっと! やめてくださいよ!」という弟の声が聞こえた。普段大人しい和嵩の切羽詰まった声に、最悪の展開がいくつも脳裏に浮かんだ。
許さん! と、扉を開けると、案の定黒崎が、弟に迫っている。
向かい合った状態で、黒崎は和嵩の頬に触れ、至近距離から顔を覗き込んでいた。和嵩は嫌そうな表情で、上半身を仰け反らせて、魔の手から逃れようとしている。闖入者に気づくと、黒崎は悪びれる風もなく、フレンドリーに話しかけてくる。
「あ、お兄さん。どうもお邪魔してま……」
皆まで言わせず、圭一郎は弟を襲う不届き者を殴った。問答無用で拳を繰り出しながら、「俺の和嵩に、手を出すな!」と、怒鳴り声を上げる。呆然と頬を押さえる黒崎を無視して、圭一郎は和嵩の身体検査を行う。
傷なし、服装の乱れなし、涙なし!
「兄ちゃ……」
「和嵩! こんな奴と付き合うくらいなら、俺にしろ!」
興奮のまま口走った言葉が、告白になってしまったことに、圭一郎はすぐに気づけなかった。相手の意志を無視して行為を進めようとする男なんて、最低最悪、和嵩にふさわしくない。
罵詈雑言を浴びせるつもりで振り返った黒崎が、腫れた頬を撫で摩りながらも、ニヤニヤと生温い笑みを浮かべているのを見て、圭一郎はようやく、自身のセリフを思い出した。
顔が燃えるように熱い。最初、自身の言葉をどうにかごまかそうとした圭一郎だったが、自分に負けず劣らず赤い顔を見て、何も言えなくなった。
「いやあ、殴られた甲斐があったよ、オショーくん」
「黒崎さん、ほんと、うちの兄がすいません……」
「和嵩! お前が謝る必要なんて!」
兄ちゃんは黙ってて、ときつく睨まれて、圭一郎は即座に大人しくなる。和嵩は黒崎に土下座して、「このお詫びはワルプルギスオンラインで……」と、謎の交渉をしている。黙らされた圭一郎は面白くなくて、唇を尖らせた。
「お兄さん、大丈夫ですよ。僕はオショーくんの恋人にはなりません」
「……じゃあ、さっきは何してたんだよ」
「僕のやってるビジュアル系バンドに勧誘をしていただけです」
斜め上の回答に、圭一郎はぽかんと口を開けた。
黒崎がバー務めをしながら、ビジュアル系バンドを組んでいるという情報は、初耳だった。どうりで歌が上手いわけである。
オショーくんは素顔もきれいだけど、化粧映えしそうだなあと思って、顔を触らせてもらってただけなんですよ~、と、黒崎はにこにこ笑顔である。
話がここに来て、圭一郎は和嵩の横にすすす、と音もたてずに正座して「勘違いでぶん殴って、すいませんでした……!」と全力の土下座を決めた。
人間が出来すぎている黒崎は、鷹揚に笑う。
「いえいえ。自分から当て馬を買って出たもんですから、このくらいは覚悟のうえですよー。あとはちょっと、オショーくんがメイクして、ステージに出てくれたら……」
ねー、と和嵩の同意を得ようとした黒崎は、「もう帰って!」と怒られても、ちっとも悪びれることなく、両手を挙げた。
>30話
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