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<29話
黒崎が帰宅してから、室内には微妙な沈黙が続いていた。
圭一郎は黒崎の残していった「当て馬」という言葉の意味を考えていたし、和嵩は和嵩で、圭一郎の発した「俺にしろ」というセリフについて、正しい意味を見出そうと悩んでいる。
お互いにちらちらと相手の出方を窺っていて、タイミング悪くばっちりと視線が合って、思わず圭一郎は笑ってしまった。
緊張した空気が一気に緩み、圭一郎は和嵩に一歩近づいて、「なぁ」と声をかけた。
「和嵩、俺に何か言いたいことがあるんじゃないのか?」
弟は耳まで赤くなった。つい先ほど、自分が振った津村のことを思い出す。彼女と同じように、和嵩も真剣に恋をしている。
誰にって?
答えはもう、出ている。
「言わないと、俺が先に言うぞ」
圭一郎は素知らぬ顔で和嵩を挑発するが、頬に熱が集まっているのを、隠すことはできない。顔を見れば、一発で恋をする男であることを看破されるに違いない。
和嵩は、簡単に乗ってくる。待って、と圭一郎に向き直り、すっかり短いのが定着した前髪の奥から、情熱に満ちた目を向けてくる。
真正面から見据えられると、圭一郎の胸の奥から、愛おしいという気持ちが込み上げてきて、まだ何も言われていないのに、抱き締めそうになる。
「俺の好きな人、兄ちゃんは勘違いしてるでしょう」
「……だって、優しい人だって言うから」
それを聞いて、「自分だ!」と思い込むのは、自意識過剰にも程がある。優しいか優しくないかの二択で、自分が前者であるとは言いづらい。
圭一郎は、弟に対しては過保護だが、歴代彼女からは「なんか付き合ってみたら、意外とドライだった」などと評される男だから、余計に。
また、紹介された黒崎が、優しさの化身とも言える柔らかな態度の男だったせいもある。勘違いするに決まっているじゃないか。
「確かに黒崎さんは優しいけど。でも、俺のことを全部肯定してくれる人なんて、この世にたった一人しかいないよ。俺が好きなのは、ずっとずっと、兄ちゃんだけ」
「和嵩……」
「兄ちゃんが練習相手になるって言ってくれたとき、チャンスだと思ったんだ」
圭一郎が、和嵩のことを弟としか見ていないことを、彼は自覚していた。これまで一切、口にも態度にも出すことがなかった。
ゲイばれしても、圭一郎に気持ち悪いと言われなかったことに、和嵩はわずかな望みを見出した。デートの練習相手になると圭一郎が言い出したときには、願ったり叶ったりだった。
少しずつ距離を詰めて、自分を意識させてやる。
そう決意して、和嵩は行動に移した。デートのためにファッションをがらりと変え(これも黒崎のアドバイスだというから、彼には頭が上がらない)、圭一郎の喜びそうなことをした。
>31話
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