臆病な牙(1)

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「あー……腹、減ったな」

 時計の針がてっぺんを指したのを確認してから、冬夜とうやはわざわざ口に出し、外に出る準備を始めた。一人暮らしの大学生で、別に誰かが遊びに来ているわけではない。

 長期休暇で帰省した期間を除き、週に一度、毎週金曜日、冬夜が夜中にコンビニに出かけるようになって、半年以上が経過している。

 そもそも、極端な夜型生活を送っているわけではない。生活リズムが崩れがちな学生にしては、規則正しい生活を送っている方だ。

 冬夜の住む街は、閑静な住宅街だ。大学まで電車で一本という立地の良さからアパートを決めたが、この時間帯に駅方面へと向かう人間の少なさが、今はありがたかった。

 夜中なのに帽子を被っている不自然さは防ぐことができる。

 明るい店内を、冬夜はちらりと覗き込む。レジに立っている店員を確認してから、入店した。

「いらっしゃいませ!」

 経験したことはないが、コンビニの夜勤は辛そうだ。ここはまだ、居酒屋もなく平和な方だろうが、性質の悪い酔客も、たまには訪れる。時給千円以上とはいえ、給料に見合わない仕事量だ。

 だが、店内から聞こえた挨拶の声は、いつ聞いても変わらず、明瞭である。にこにこ笑っている彼の目は、真夜中なのに、死んでいない。

 冬夜は不自然にならないように、その店員の顔をちらりと見やった。

 彼について知っていることは、ほとんどない。せいぜい名札にある、「かざまき」という名前くらいだ。

 顔立ちは、コンビニに立っているのが場違いなほど、整っている。かといって、テレビに出てくる俳優やアイドルという雰囲気ではない。

 派手な格好の若い女性が彼に言い寄るのを見たことがあるが、俗っぽい感情とは無縁の美しさに圧倒されて、結局すごすごと逃げ帰っていった。

 金色に近い茶髪も相まって、彼の美貌は貴族的だと冬夜は思う。一般庶民でしかない冬夜は、彼に個人的に声をかけるのは、憚られてしまう。

 朝食用のパンと牛乳、それからスナック菓子を適当にカゴの中に放り込んで、レジに向かう。

 ここから会計を済ませるまでの数分間が、冬夜の至福の時間だ。

「いらっしゃいませ」

 彼の視線が、声が自分にのみ向けられていることに、高揚する。バーコードリーダーを片手に、商品を取り上げる手つきが優雅で、思わず見惚れそうになる。

「合計四点、八五〇円になります」

 告げる声に、慌てて冬夜は、レジ横に置いてあった小さなチョコレート菓子を一つ取り、「これもお願いします」と小声で付け足した。

 わずか三十円ほどのそれを最後に手渡すとき、冬夜はいつも、淡い期待をする。他の客に対するものと同じ、画一的な笑顔ではなく、「あっ」という表情を見せてくれるのではないか。

 そう思って、半年以上経過している。今日も彼は、変わらぬ微笑みを貼りつけて、改めて値段を告げた。

 小さく溜息をついて、千円札を出す。一秒でもレジ前に長くいるために、小銭も確認するが、今日はちょうど細かいのがなかった。

 釣銭を受け取って、冬夜は話しかけるかどうか迷う。コンビニエンスストアでは、客が自分から話すことなどほとんどないから、彼に自分を印象づけるには、何か言った方がいいのはわかっている。

 けれど、冬夜にはそれができない。

 外が暗いせいで、出入り口の窓ガラスは鏡になって、冬夜の姿を映している。自分の顔を見た瞬間、冬夜の中のわずかな勇気が、急にしなしなと萎んでいった。

 結局これまでと同様に、何も言うことができず、冬夜は店を出た。

2話

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