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<13話
また来週、という約束は、反故にされた。
コール音だけが、むなしく耳元で響いている。学生会館の廊下で、誰もいないことをいいことに、冬夜は小さく舌打ちをして、通話を切断した。
授業後にミーティングを行い、そのまま三・四年生のお疲れコンパが行われる。今の時間帯ならば、慎太郎も起きているだろうと思い、ミーティング前に抜けて電話をかけたが、彼は出なかった。
「なんなんだよ……」
苛立ちは、口にしても消え去ることはない。
あからさまに無視をされ、避けられている。そろそろ血を吸わないと、また倒れるのではないかと、一昨日は家まで行ったのだが、オートロックが解除されることはなかった。
もしかしたら、本当に留守だったのかもしれない。一縷の望みをかけた今日の電話だったが、結果は見ての通りだ。
きっかけが何なのか、冬夜にはまるでわからなかった。ただ、あの映画を見に行った日の反応がおかしかったことだけが気にかかる。
「あ、いたいた。月島。もうミーティング始まる」
呼びに来た香山に、「今行くから先戻ってて」と言って、冬夜は慎太郎に、トークアプリでメッセージを送る。
既読スルーの可能性が高いが、それでも彼のことが心配だった。
ミーティングはつつがなく終わった。コンパのみ参加のグループと合流したところで、冬夜はひとり、胃がしくしく痛むのを覚えて、飲み会をキャンセルしようかと考えていた。
というのも、次期サークル長に指名されてしまったのである。冬夜としては、器用で人当たりのいい、香山に決まると思っていたので、寝耳に水だった。
何度も「俺なんかが無理です!」と抵抗しようとしたのだが、三年の現サークル長の他、四年の先輩にまで懇々と説得されれば、最後には頷くしかなかった。
さらに悪いことに、冬夜が中心となって動く慰問が、例のいわくつきの施設であると言い渡されたときには、卒倒してやりたい気持ちになった。
出入り禁止状態になっている施設に、責任者として赴くなんて、地獄だとしか言いようがない。
施設のほとんどの子供たちが、一瞬の沈黙ののちに、泣き声を爆発させたあの一件は、トラウマだ。
悪夢の再来は避けたいと言い続けたが、先輩方には、「挨拶のときにはついていってあげるから」と、まるっと無視されてしまった。
問題が山積で頭が痛い冬夜に、少し離れた席から聞こえてくる橋本たちの笑い声は、煩わしかった。
「月島。隣いい?」
異様な目つきで沈んでいる冬夜に話しかけてくる勇者は、香山以外にいなかった。頷いて、了承の意志を伝えると、グラスを片手に香山は隣に座った。
意外と香山は、酒に強い。冬夜が動く前に、彼は手近のピッチャーを取り、自分のグラスにビールを注いだ。
「あのさ」
喧噪が遠くに聞こえた。香山は大事な話をしようとしている。冬夜はよく聞くために、身体ごと傾けた。
「こないだも言ったけど、俺は、月島に全部背負わせる気はないよ。でも、サークル長に選ばれたのは、月島だから。逃げないでほしいんだ」
「香山」
香山はビールを一気に呷った。飲みすぎじゃないか、とピッチャーをこっそり遠ざけようとした冬夜だったが、失敗に終わり、香山にひったくられる。
二十歳を過ぎているのかと疑われる童顔の頬を染めているのは、アルコールのせいだと思っていた。だが、不自然に視線を合わせない香山に、次第に冬夜は、彼の照れ隠しなのだと理解した。
冬夜は香山の酒を止めるのをやめた。飲まなければやってられない、というのは今の彼のような状態を指すのだろう。
「月島が、自分の顔のこと気にしてんのは知ってるけどさ、俺はお前のことがうらやましいくらいだよ?」
「ぶふっ」
誰もが認める可愛い系美少年であるところの香山のセリフとは思えず、冬夜は飲んでいたサワーを噴き出した。
あーあ、と言いながらも近くにあったおしぼりでテーブルを拭く香山をまじまじと見つめるが、視線はなかなか合わなかった。
ほんのりと酔いに染まった頬と潤んだ目は、瑞々しいフルーツのようで、やっぱり可愛らしい。
そんな香山が、俺を?
「いやいやいやいや……ないわ」
「嘘じゃないし」
さくらんぼを思わせる唇を尖らせる様もキュートだった。
「いや~……だって、香山、可愛いじゃん」
「ほらそれ」
びし、と指を顔面に突きつけられる。
「可愛い可愛いって言われて、嬉しいと思う?」
芸能人じゃあるまいし、男なら格好いいと思われたい。香山は力説する。
確かに、女子にまで「可愛い」と言われれば、プライドもあるだろうし、舐められやすくもあるだろう。
だから香山は、いつだって気を張っている。弱いと思われないように、強い言葉と視線で、周囲を威嚇して生きている。
そう思うと、香山の言うことも、わかるような気がした。
「月島は、可愛いとか言われないだろ? ワイルドでいいじゃん。俺、月島みたいな顔だったらよかったなー」
「いや、そんないいもんじゃないからな」
声を低めて、元恋人との失敗談を話すと、さすがの香山の気の毒そうな表情を浮かべた。
「ま、まぁ俺も、好きだった女の子にゲイだと思われたり、『私より可愛い男に抱かれるなんてイヤ!』とか言われたりはあったからなぁ……」
「それはそれで……」
愚痴は何も生まないというが、香山と冬夜の間には、奇妙な連帯感が生まれていた。
誰もが自分自身の顔に、身体に、心に、醜いコンプレックスを飼っている。冬夜は一人で悩んでいて、慎太郎と会うまでは、自家中毒を起こしていたといってもいいだろう。
だが、慎太郎の優しさに触れた。誰かに親切にするのは冬夜にとって、当たり前の行動だったが、逆は当たり前ではなかった。
思えば、慎太郎の隣でコンプレックスを感じたことは、一度もない。客と店員の関係だったときは、自分の目つきを理由に、あれほど話しかけるのを躊躇していたというのに。
そして今、香山と酒を飲み、自分たちの顔についてないものねだりをしてばかりいると知った今、冬夜は自分の中の醜さが、少しずつ払拭されていくのを感じていた。
>15話
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