重低音で恋にオトして(1)

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 四人兄弟の三番目として生まれて、今年で二十一年。

 そのおかげか、空気を読む能力には長けていた。

 年上の新入生相手にどう対応すべきか悩んでいる先輩とか、タメ口になっては語尾だけ「……ッす」と、中途半端な敬語に直す同級生。

 彼らの前ではおどけて、「二浪もすれば、ワセダやケーオーに受かると思ったんだけどなあ」と、自虐してオチをつけることで笑ってもらって、コミュニケーションを円滑にしている日常である。

 いわゆる飲みサーの、一年から四年までメンバーが一同に回する飲み会は、月に一回。飲み放題の時間はあと半分残っていたが、あそこで我慢して、周りと一緒になって笑うことができるほど、敬士けいしの心は広くなかった。

 梅雨入り直前の生ぬるい風では、アルコールと怒りで火照った身体を鎮めるには足りない。

 肩を怒らせて、ズンズンと店から早足で立ち去った敬士は、途中のコンビニに立ち寄って、適当な酒を買った。

 飲み足りないし、飲まないとやっていられない。酩酊して、今日の出来事をすべて忘れ去ってしまいたかった。

 ギャハハ、という下品な笑い声が耳に蘇る。その中心で、敬士のスマホを指した同級生の、こちらを小馬鹿にした表情の細部まで、鮮明に思い出す。

 スマートフォンを置きっぱなしにして、トイレに行ってしまったのは自分の落ち度だ。

 プライベートな情報の塊である端末を勝手に覗き、あまつさえ馬鹿にして嘲笑った。酔った勢いや出来心じゃないのは、冷め切った石橋いしばしの目の色からわかった。

 石橋哲弥てつやは、中学のときの同級生だった。

 高校は別で、彼は敬士の母校とは比べものにならないくらいの進学校に通っていたが、それでも最難関の医学部入試を突破するのは難しかったらしい。

 同じく二浪で経済学部(同じ大学であっても、医学部と違い、こちらはFランと格付けされる三流だ)に入学した敬士が石橋と再会したのは、ゴールデンウィーク前。

 それまでは、なんとかうまくやっていた。陽キャラばかりのサークルでは、勉強できないおバカキャラでネタに走ることで、受け入れられていた。

「けど、それももう終わりかな」

 会費を学年幹事に叩きつけ、敬士の剣幕に気づかず、ずっと馬鹿にして大声で喚いている石橋の手から、スマホを奪い返した。

 強く睨みつけてやったけれど、もともと丸みを帯びた目は、吊り上げてもたいした迫力はない。石橋は一瞬怯んだものの、すぐに鼻で笑い、酔っぱらいたちの輪の中に戻っていった。

 自分が馬鹿にされるのは、慣れている。中学時代から石橋は、あんな奴だった。返却されたテストの答案、点数を折り返して隠しているにも関わらず、敬士や他の成績下位者たちの答案を取り上げて、晒し上げたりしていた。自分の点数は、尋ねても決して教えないくせに。

 再会してからも、彼は中学時代とまるで変わらなかった。

 過去のエピソードを嬉々として語る。一部は悪ノリし、残りは引いていることに気づかない。

 敬士は怒りを覚えたが、その場の空気を読んで、愛想笑いで話題を変え、いつも流していた。

 今回、石橋を許せずにキレてしまったのは、自分以外の人間を貶されたからだった。

『うっわ。コイツ、男の配信者にコメント送ってる』

『キモいわぁ。ホモじゃん』

『相手も愛想よく返事してるし、まさかの両想い? 二浪でホモとか、親かわいそ~。あ、でもそんな息子に育てたのは自分たちだから、自業自得ってか?』

 不出来な息子を叱咤し、温かく育ててくれた親まで馬鹿にされたのはもちろんだが、敬士にとっては石橋が名指しした配信者も、大切な人物であった。

 スマホでSNSのアプリを立ち上げる。石橋はこの画面を見て、敬士をホモだと罵った。

 そんな事実はない。高校時代は一応、彼女がいた。キスより先に進む前に別れた結果、童貞のままだが、恋愛対象も性的欲求の対象も女性、だと思う。

 言い切ることができないのは、その配信者――動画配信サイトにも関わらず、頑なに朗読音声のみを配信し続ける、謎の人物の声に、並々ならぬ執心を抱いている自覚があるからだった。

『もうすぐ登録者数一万人! 記念配信のリクエストがあればリプライで教えてください』

 一番上に固定されたつぶやきには、多数の返信がついている。その多くは、「キョウくんの顔が見てみたい!」「マスク姿でもいいから、ご尊顔を拝みたい」という、顔出し配信を求めるものだ。

 鈴ノ音屋すずのねやは、脚本と編集、広報などを一手に引き受けるドレミと、実際に台本を朗読しているキョウのユニットだ。

 なかでも、いつまでも耳に甘く残る低音ボイスのキョウは、若い女性を中心に、人気がじわじわと高まっている。

 有象無象の動画配信者たちの中、1万人のチャンネル登録者達成が見えているというのは、かなりのことであった。

 敬士は一目見た……いや、一声聞いたときから、キョウの声のファンだ。

 最近は、「夢」というタグがついた女性向けのシチュエーションボイス(視聴者をヒロインに見立て、イケメンが口説いてくるという奴だ)が多いが、それも欠かさず聞いている。

 もちろん、チャンネル開設初期の頃の可愛らしい童話や、おどろおどろしいホラー小話も大好きだ。

 小説は読むと眠くなってしまい、挫折するのだが、朗読はよい。それが、心落ち着く声音の持ち主なら、なおさら。

 キョウの声は重低音だが、それは平板というわけではない。いくら美声でも、演技が棒だったら、登録者は増えないだろう。

 些細な言い回しやアクセント、抑揚のつけ方で、感情を揺さぶってくる。辛く長い浪人生活を乗り切ることができたのは、キョウの配信があったからだ。

 敬士にとって、彼の声は心のオアシス、精神安定剤だった。

 キョウのことが知りたい。これほど感情を波立たせる彼は、いったいどんな人物なのだろう。

 ファンの女性たち同様、敬士もキョウの顔出しを望んでいた。ファンアカウントも取って、積極的に布教活動をした。もちろん、彼らの迷惑にならない範囲で。

 敬士は駅に向かう足をいったん止めた。家でやけ酒をしようと思っていたが、妹や母がアレコレとうるさいと、考え直した。それなら外で飲んでいった方がいい。

 たまたま通りかかった児童公園は、夜も遅いため、誰もいない。昼間遊んでいた子どもが忘れていったのだろう、スコップがベンチにぽつんとあって、敬士はその隣に腰を下ろした。

 鈴ノ音屋のアカウントのトップページから、自分のアカウントのホームに戻る。

『キョウの声、マジでカッコいいよね。深みがあるっていうの? 一回聞くと、何度も何度も聞いちゃう』

『鈴ノ音屋の新作キター!』

 独り言だったり、ファン仲間との熱いやりとりだったり、鈴ノ音屋への直接の感想だったりする自分のつぶやきを眺めて、敬士は「……キモ」と、小さな声でこぼした。

 実際、自分のことを気持ち悪いと思っているのは、石橋だけではない。彼に自分のアカウントのつぶやきを音読されたことで、引いていた女子もいた。馬鹿にして一緒になって笑っている先輩もいた。

 男のファンが珍しいからか、鈴ノ音屋のファンを自称するアカウントの中でも、敬士はそこそこの知名度があり、フォロワーも多かった。

 普段付き合いのあるフォロワーはいい人ばかりだが、「鈴ノ音屋 キョウ」でパブサをすると、フォロワー外のアカウントが「男のくせに」と、明らかに敬士を罵っていたりするのも見かけていた。

 鈴ノ音屋のアカウントを運営しているのはドレミの方だが、リプライはキョウも読んでいるだろう。敬士のことを認識して、気持ち悪いと思っているかもしれない。

 そんな人じゃない。信じていても、実際のところ、キョウの人となりはまるでわからない。

 優しい人のはず、というのは所詮、敬士の思い込みに過ぎない。

 もしも本当に、キョウ本人に、裏で笑われているとしたら……。

「死にたい」

 購入したチューハイを一気に呷った末に、敬士はぽつんと言った。

 いや、本気で死ぬ気はないが。

 石橋という性悪にアカウントがバレたのを機に、少なくともネットの世界から消えるのはアリでは? 別にSNSをやらなくたって、動画は見られるんだから。

 酔った勢いでアカウント削除ボタンを押すが、最後の確認ボタンは、なかなか押せなかった。

「うう……」

 唸り声を上げて俯いた。

 すると、「だ、大丈夫、ですか?」と、控えめな問いかけがした。

 敬士は顔を上げられなかった。

 耳だけじゃない。心の底に問いかけてくるようなその声には、聞き覚えしかなかった。

 キョウの正体は、さぞ名のある声優であろうと思い、オタクでもないのに毎クールのアニメを視聴して、ずっと探していた。けれど、同じ声の持ち主はいなかった。

 この自分が、決して聞き間違えるはずがない。

「あああ、あの、俺、怪しい者じゃなくて! その、医大生なので、具合悪そうだなって思って……だから、その」

 長い文章になると、より一層確信を持てた。慌てているし、どもっているけれど、間違いない。

 敬士は立ち上がった。勢いあまって、覗き込んでいた男に頭突きを食らわせそうになる。

 暗い公園内には、切れかけた電灯しかなく、男の顔は見えない。

「あの、もしかしてあんた、キョウ……」

 名を問いただそうとした瞬間、蓄積された酔いが一気に血液に乗って、全身に回った。胸にせり上がってきた苦いものを、敬士は飲み下すことができなかった。

「あっ」

 倒れかけた身体を支えてくれた男の胸に向かって、

「おろろろ」

 と、盛大に胃の中身をすべてぶちまけたところで、敬士の意識は一度、ぷつりと途切れたのだった。

 

2話

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