重低音で恋にオトして(2)

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 目を開ければ、見知らぬ天井だった。

 敬士がヤリチンと呼ばれる人種なら、隣に見知らぬ女性が……というシーンである。しかし悲しいかな、敬士は童貞。ベッドには、他人の温もりはない。

 しばらくぼーっと、前夜のことを思い出していた敬士だったが、自分の吐く息の酒臭さに「ウッ」と胸を押さえると、一気に醜態が脳裏に蘇ってくる。

「うわあああ……」

 なかったことにしたくて、頭を掻きむしる。

 酔っ払った自分を心配していた声、あれは間違いなく、紛れもなく、そう。

「えっと、目、覚めましたか?」

 ドッタンバッタンとベッドの上で暴れているのを聞きつけて、家主が寝室に入ってきた。彼はすっかり朝の身支度を整えており、開いた扉からは、焼きたてのパンの匂いが漂ってきて、敬士の胃を直撃した。

 青ざめた敬士を見て、朝食は無理そうだと判断した男は、ゴミ箱を敬士に持たせると、一度寝室を出て行った。すぐに戻ってきた彼の手には、薬と水の入ったグラスがある。

 吐くものもなく、ただ嘔吐くだけの敬士の背を優しく擦る手のひらは、大きい。なのに、がさつなところはひとつもなく、繊細で、どこか臆病な手つきだった。

 確認しなければならないことがあるのに、敬士ができることといえば、目の端に涙の粒を浮かべながら、大丈夫かと問いかける男に、頷いてみせることだけだ。

 薬を飲んで、ようやく落ち着いた敬士はベッドから脱出した。足取りはふらついて、男の腕に支えられる。

 見上げた顔は、イケメンの域に達しているかどうかは、微妙だった。

 ボサボサの前髪が長く垂れていて、目まで到達している。黒縁の眼鏡は、いったいいつの時代に購入したのかというくらい分厚くて、輪郭を歪めている。

 ただ、その奥に位置する目は、はっきりとした二重瞼も相まって、形がよい。理想的なアーモンド型だ。彫りが深すぎるということもない。スッと通った鼻筋も、唇も、しっくりくるような形、配置で並んでいる。多少血色がよくないことを除けば、玄人好みの風貌であると感じた。

 自身の顔立ちが年相応とはとても言えず、甥っ子たちに丸い頬をぷにぷにと弄られる敬士からすれば、彼のシャープなフェイスラインは、うらやましいほどである。

 思わずじっと見つめてしまった敬士だが、男に抱えられた体勢に、昨夜の醜態がフラッシュバックした。

 そうだよ、昨日、オレ、この人に……。

「あああ、あの、ごめんなさい! 服、汚しちゃった! 弁償します!」

 言うと、彼は目を瞬かせた。そうすると、睫毛が案外長いことにも気づく。

「いや、弁償してもらうほどのものでもないので」

「でも」

 ようやく動き始めた敬士の頭は、この部屋が立派なものであることを認識していた。

 他に生活音が聞こえないから、男は独り暮らしだろう。昨夜、医大生と名乗っていたことから、同年代であることも推測できる。学生の独り暮らしなんて、普通はワンルームか、せいぜい1K。しかし見たところ、この家は何部屋もありそうだった。

 その男の言う、「弁償してもらうほどのものではない」というのは、敬士基準ではものすごく上等な品なのだろうことは、アホでもわかる。

「せめてクリーニング代を!」

 言い募った敬士に、青年は頑として首を縦に振らなかった。

「本当に、安物だから。洗濯機で洗えますし。あ、あなたの服も洗濯しておきましたよ」

 何から何まで、本当に申し訳ない。

 居たたまれない気持ちで小さくなった敬士に、男は、「急性アルコール中毒じゃなくて、よかったです」と言って、寝室から出て行こうとする。

 その背中に、敬士は呼びかける。

「あの……鈴ノ音屋のキョウ、ですよね」

 動きを止めた男に、追撃する。

「オレ、怪しいもんじゃなくて! ただ、鈴ノ音屋の、キョウのファンだから何回も聞いてて、それで覚えてるっていうか」

 言えば言うほど、言い訳じみていた。焦りで早口になるし、自分でも何を言っているのかわからない。

「本当に本当にファンで! キョウの声毎日聞いて、もうセリフ全部暗記して、言えちゃうくらいで」

 頭の片隅で、冷静な自分が「落ち着け!」と叫んでいる。しかし、口は止まらない。

 どれだけ自分がキョウの声に癒やしを感じているのか、どんな人なんだろうとずっと考えていたことだとか、SNSそのままのテンションで述べていると、彼の耳が真っ赤になっていることに気づき、口を噤んだ。

 怒らせたに違いない。ああ、やっぱり気持ち悪いよな。そうだよな。

 謝らなきゃ、と思うのに、口がパクパク動くだけ。さっきまでは、マシンガンのように言葉を連射していたというのに。

 謝罪をしたその瞬間、罵倒されるだろう。でも、その声ですら「レアシチュ!」などと、喜んで受け取ってしまいそうで、自己嫌悪で言葉が喉に貼りつく。

 肩を落とした男は、ゆっくりと振り返った。表情は硬く、それでいて眉や目尻は下がっていて、怒りとは対極の顔であることに、ホッとするよりも、恐れを抱く。

「あ、あの」

 敬士が何かを言う前に、男は――憧れのキョウは、勢いよく頭を下げた。

「お願いします! 俺のことは、何も見なかったことにしてください!」

 と。

3話

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