<<はじめから読む!
<2話
土下座をなんとかやめさせた敬士は、キョウ……本名・鈴木響一と、リビングダイニングのテーブルを挟んで向かい合った。
響一は、茶を出してくれた。湯呑みを持つ手が、カタカタと細かく震えており、敬士は慌てて両手を差し出して受け取った。
響一は下を向き、大きな身体を小さくしている。このままでは埒が明かないと判断し、敬士は自分から「あの、キョウ?」と、声をかける。
「あ、え、は、はい!」
大げさに肩を跳ね上げて、響一は恐る恐る、敬士の表情を窺った。「キモい」と罵られるよりも、辛い反応だ。
「あの、オレ、キモくてごめんなさい。好きな人に会えたからって、馬鹿みたいにはしゃいで」
何が空気を読むのが得意、だ。相手に嫌がられることをして、怯えられているじゃないか。
そんなつもりじゃなかったのに。後悔しても、言い訳しても、謝っても遅い。
自分にできるのは、この場を立ち去り、彼の要望どおり、出会いを最初からなかったことにする。ただそれだけ。
敬士は出された茶に口をつけることなく、「お世話になりました」と言って立ち上がり、部屋を出ようとした。
「ま、って」
喉の奥から振り絞るような、けれどいつも画面越しに聞いていた声に、振り返る。
「あなたは、悪くない。悪いのは、俺が、俺が」
上手に喋れないことを、響一は苦悩している様子だった。下を向いてもじもじ、顔を上げてぱくぱく。
そんな彼を置いて退出することもできず、敬士は席に戻り、根気よく付き合うことに決めた。
「ゆっくりで、いいです」
そう言って、待つこと五分。話すべき内容がようやく脳内で決まったらしく、響一は、もたついた調子で話し始めた。
曰く、鈴ノ音屋はドレミ……響一のいとこが始めたチャンネルであった。
彼女は小説投稿サイトに作品を発表していて、PV数を伸ばす施策として、音声配信を思い立った。うまくいけば、広告収入を得られ、小遣い稼ぎにもなる。
当初は読み上げソフトの機械音声を使用していたが、彼女の望む結果にはならなかった。
そこで白羽の矢が立ったのが、響一であった。
「本当は、やりたくなかった。恥ずかしいし」
だが、年上のいとこには逆らえない。女は身内に対して、かなりえげつない要望であっても、なんとか通そうとするところがある。
妹のわがままをいつもスルーできない自身を思い返し、敬士は同情を寄せて頷いた。
当時、響一は高校生。少しの報酬と引き換えに、いとこの台本を朗読すること二年余り。
彼はこの仕事に向いていた。対面ではなく、マイクに向かって話すだけというのは、コミュニケーション能力に欠ける響一にとっては、リラックスできる作業でもあり、受験勉強の息抜きにもなってよかった。
嘘でも誇張でもなく、彼はその点については、無理矢理誘ってくれたいとこに感謝しているようだった。
「でも、最近登録者数が増えてきて」
注視していたわけではないが、彼らの動画再生数がガンガン回り始めたのは、ここ数ヶ月のことだった。響一が無事に高校を卒業したことで、少々性的な要素を含む脚本を読んでも、誰からも咎められなくなった。
いとこは元々、女性向けの官能小説のようなものを書いていたこともあり、脚本の傾向が変化していった。
幸か不幸か、響一の声はエッチだ。ノン気のはずの敬士ですら、掠れる声、興奮した息遣いが伝わってくるのがエロいと感じるのだから、もともとそうしたシチュエーションボイスを好む百戦錬磨のお姉様方は、もっと細かく、彼の声を評価するだろう。
顔出しを望まれるようになったのは、それからだ。昨今は声優も、ビジュアル売り上等。声優オタクの女性ファンが多く、アマチュアのキョウにも顔出しを求めていた。
「好きになってくれたのはありがたいけれど、声だけでイケメン扱いされているのが、辛いんです。和音……ドレミは顔出し生配信したら、十万人も夢じゃないと言うんですが、とてもじゃないけれど、こんな顔、見せられません!」
テーブルの上で握られた彼の拳が、力の入れすぎで震えていた。
イケボ=イケメンという図式は、確かに敬士の頭の中にもあった。SNSで相互フォローの女子たちが、こぞってキョウの想像イラストをアップしていたのもある。どれもが例外なくキラキラしていて、タイプは違えど、イケメン風であった。
「幻滅されたくないんです。本当の俺は、こんななのに」
ボサボサの髪の毛を、忙しなく掻きむしる。そんな響一を、敬士は冷静に見つめた。
別に、言うほど悪くない。万人が認めるイケメンとは言わないが、前髪を切って、眼鏡をコンタクトにして、服装を変えれば、十人中八人は、好感を抱くだろう。
そのうちの六人は「カッコいい」と言い、二人は「好き!」と、熱烈な恋に落ちるに違いない。
少なくとも熱烈なファンのひとりである自分は、彼の素顔を知っても、幻滅などしていない。
「だから、どうかお願いします。何でもするので、俺のことは内密に」
必死になって頼み込んでくる響一を見つめる敬士は、冷ややかに見えているかもしれない。
しかし、敬士の脳内は、わかりやすく興奮していた。
そもそも最初から、他人に暴露するつもりはない。現実世界の知り合いは誰ひとり、鈴ノ音屋のキョウのことなんて、知らない。
かといって、SNSのフォロワーたちに教えることができるわけもない。抜け駆けだの嘘つきだの、罵倒されるのは目に見えている。
だが、敬士は響一に、そのことを言わなかった。黙して少し悩んだフリをして、それから言った。
「本当に、なんでもしてくれるんですか?」
>4話
コメント