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テオの花嫁教育を施す一方で、リカルドの成年祝いの儀式も近く、そちらの準備もしなければならない。
本人や王宮の内のことを行う女官たちはもちろん、花の館で引き続き仕えることが決まっているアズマも、学園と王宮を行き来することが増えていた。
「ふぅ」
疲労が溜まっているせいか、身体が重い。頭の中にもやがかかったみたいに、思考能力が落ちている。こんな状態で鍛錬をしたら、怪我をしてしまうな、と思った。王宮と学園の行き来は普段は徒歩だが、体調の悪さは顔にも出ていたらしく、シノブが近寄ってきて、馬車に無理矢理乗せられた。
この日は午前中、典礼部との打ち合わせを経て、放課後に間に合うように学園に戻ってきた。一息つくアズマだったが、どうも様子がおかしい。
イザヨイ家は武人の家系だ。他人の気配や目には、人一倍敏感であった。
「?」
門をくぐった途端、突き刺さった視線は、自分への敵意や疑惑を孕んでいる。しかも、ひとりではない。何人も、何方向からも似たような負の感情をぶつけられ、アズマはさほど気にしていないながらも、首を傾げた。
一朝一夕で、ここまで劇的に変化するとは思えない。多忙を理由に感覚も鈍っていたのか、兆候を見逃していたようであった。イザヨイの名折れである。
父や先祖への謝罪と反省は後回しだ。どうしてこうなっているのか、原因を突き止めて、改善の一手を打たなければならない。
リカルドに向けられたヘイトを、こちらに誘導したことは、今までも何度かあった。だが、今回は違う。人望のない人間が、百花王の傍仕えとなれば、敬愛する主が侮られる。それだけは絶対に、回避しなければならなかった。
まずは、今日も一日、学園で授業を受けて過ごしていたはずのテオに話を聞いてみよう。何か知っているかもしれない。
剪定師の執務室に割り当てられた小さな教室をノックして開けたが、誰もいない。
おかしい。
テオには、自分がまだ到着していなければ自習をするように言ってあるし、実際、これまでは大人しく、復習なり予習なりに励んでいた。授業が大幅に延長している、ということもないはず。生徒たちは放課後の時間を、思い思いに過ごしている。
アズマはテオの教室に行ってみることにした。その間も、視線が突き刺さって居心地が悪い。
何も気にしていない風を装って、アズマはいつもよりも速く歩くのだった。
果たして、テオは自分の所属するクラスの教室にいた。ただ、ひとりではなかった。
彼の前に出て、身を挺して庇っているのはショーンである。よく見れば、向かい合っている五人組のうちのふたりは、最初の頃だけ呼び出した、花生みの少年少女たちであった。
彼らには、すでにつがいがいたため最初から候補には入れていなかったが、同じ花生み同士、仲良くやっているとばかり思っていたアズマは、自分の勘違いを恥じた。
どう見ても、明日遊びに行く計画を立てている、という風には見えない。
ショーンは睨みつけているし、そんな彼をテオは腕を引き制止しようとしているが、対峙している相手を見る目は強く、唇に一寸の緩みもない。
対して、相手はふたりを馬鹿にした態度を取っている。テオたちが平民であるのに対して、喧嘩相手の中には貴族もいる。花生みも、王都の豪商の娘と、騎士の息子だ。
テオが正式にリカルドのつがいになっていれば別だが、ガートゥンは階級社会。何のステイタスもない彼らが、一方的に貶められることは、珍しくない。
仲裁しなければならない。
教室に押し入ろうとしたアズマを止めたのは、彼らの喧嘩の中身が、自分を巡ってのことであると気づいたからだった。
「だから、アズマさんはそんな人じゃない! 毎日講義を受けている、僕が一番よく知っている!」
温厚なテオが、なりふり構わずに叫んでいる。ショーンもまた、「あの人はそりゃ、おっかない顔してることも多いけどさ、理不尽なことは何も言わない、いい人だ! おやつを分けてくれたこともあるし」と、庇ってくれていた。
「だから、騙されてるのよ、あんたたち。そもそもさぁ、百花王のお相手として、平凡な農民やら教師の息子やらを、普通選ぶ?」
「そうだ。お前らのことを操って、リカルド殿下を動かしたいだけだ。みんなそう言ってる」
ずいぶんと歪んだ見方をされている。
机を並べて授業を受けているわけではない、いち卒業生が任務のために学園に入り浸っているのだから、不審に思われるのも必然か。
アズマは、対の花となる資格がある人間としか関わってこなかったことを、悔いた。もう少し他の生徒にも目を向けていれば、候補から外れた花生みのケアをもっとしっかりしていれば、こんなおかしな噂が立つこともなかったのに。
教室内の口論は、一向に終わる気配がない。短気なショーンが、挑発に乗って殴りかかりそうになっている。
いけない。止めなければ。
扉にかけた手に力を籠め、開けようとしたその瞬間、別の手が重なった。
驚いて仰ぎ見ると、リカルド・ローゼス・ガートゥンその人であった。
「殿下」
彼はアズマに目を向け、少しだけ微笑むと、すぐに真顔に戻り、わざと大きな音を立てて扉を開けた。室内の全員の目が、集中する。
「あ、リカルド、殿下……」
「ご、ご機嫌うるわしゅう……」
先ほどまで声高に、アズマが陰謀を企てていると主張していた者たちの声が上擦り、ぼそぼそと語尾は聞き取れなくなった。背を丸め、もじもじしているのが、リカルドの陰から見てもわかった。
彼らは背後のアズマにも気づいて、サッと顔を赤らめた。本人が聞いているところでの陰口は、きまりの悪いものである。一歩横にずれて、アズマは主人の隣に並ぶ。
リカルドは、誰もが見惚れる笑顔を向けた。糾弾していた側の人間は、許されたと肩の力を抜くが、付き合いの長いアズマには、真逆であるとわかった。笑っているようで、笑っていない。
「俺の第一の側近にして友であるアズマを、よくも侮辱したな?」
ひっ、と悲鳴を殺しきれなかった連中が、カタカタと小さく震えている。リカルドは花生みのふたりの耳に何事かを吹き込むと、彼らはさっさと走って逃げていってしまった。残された取り巻きが、慌てて跡を追う。背中を見送るリカルドの目は厳しい。
「あの、殿下……」
「ああ、すまない。俺が気づくべきだった。嫌な思いをしただろう?」
こちらに向けられた目は、いつも通りだった。アズマの背に触れ、そのままテオたちに向き直る。
「我々が学園を離れている間に、何があった?」
ふたりは顔を見合わせ、テオが代表して話し始めた。ショーンは理路整然とした話ができない性格で、テオの言葉に相槌を打つにとどまっている。
テオ曰く、「突然だったんです」と。
「いきなり、アズマさんの悪い噂が出回り始めて……僕らはアズマさんのことを知っているから、一生懸命に否定したんですけど、全然ダメでした。噂の出どころを探ってみようと思ったんですけど、僕らにはあまり教えてくれなくて」
どうやら、噂が広がっているのは一年生だけらしかった。二年、三年はアズマが在学していたときのことを知っている生徒もいるからだろうが、このまま蔓延すると、彼らも「ひょっとして、噂は本当なのかもしれない」と、デマを真に受けるようになるかもしれない。
「ひでぇよな。もしアズマ先輩が、噂通りのひどい奴だとしたら、それを手元に置いてるリカルド王子のことも馬鹿にしてるようなもんだぜ」
ショーンが鋭いことを言ったので、思わずまじまじと見つめてしまった。学力では測ることのできない賢さの片鱗に、アズマはわずかに気分が浮上した。テオとショーンの仲が良くてよかったと、本気で思った。
百花王にも、その対の花にも、よき友人は必要だ。自分はリカルドたちにとってそのような存在になれているかどうか……正直、自信がない。
隣に立つリカルドを見つめる。この美しい男を、自分の欲望で日々、夢の中とはいえ穢している。胸を張って並び立つことなどできず、アズマは一歩横にずれ、距離を取った。
「アズマさん、大丈夫ですか? 顔色が……」
自分が陰で散々に言われていることを知って、気に病んだのだろうと勘違いしたテオが、心配して声をかけてくる。安心させるように、できる限り柔らかな笑みを浮かべて、首を横に振った。
「大丈夫。最近少し、疲れているだけだ」
今日だってこれから、テオのために講義をしなければならない。
いつもの部屋に行こうか、と促したアズマの腰を、がっしりと支える腕。
「殿下?」
強い力で抱きかかえられて、振り払うわけにも突き飛ばすわけにもいかない。ここまで距離が近いのも久しぶりのことで、戸惑うアズマをよそに、リカルドはテオたちに向かって言った。
「アズマは体調不良で、今日は休みだ。君たちも疲れただろう。寮に帰って休むといい」
有無を言わさぬ口調であった。平素は王族の中で親しみやすい雰囲気の人物だが、人を従わせることだって、もちろん手慣れている。
「殿下。あまり時間が……」
「アズマ。君が倒れたら、テオたちも心配する。今君ができるのは、しっかり体調を回復させることだけだよ」
本当は、立っているのもつらいはずだ。
指摘されると、気が抜ける。どっと重さを感じて、アズマは机に手をついた。
「アズマさん……」
テオはぎゅっとアズマの手を握ると、そのまますぐにショーンと連れ立って、教室を出て行った。
「さて、行くぞ。歩けるか?」
歩けないと言ったら、どんな行動に出るのかわからず、アズマはだるい肉体に鞭打って、彼の手を借りつつ、自分の執務室として割り当てられた部屋へと、ゆっくり歩いて行った。
「待ってろ。茶を淹れる」
お気遣いなく、という言葉は出せなかった。息をするだけで辛い。声を出したら、そのまま咳き込んだり、ひどいと嘔吐してしまいそうな気がして、アズマはただ机に突っ伏した。やけに喉が渇く。
てきぱきと準備をしているリカルドを、手伝いたくても動けない。胃のあたりを押さえ、目を閉じた。扉が開閉する音が聞こえる。水を火にかける設備はないため、リカルド自ら、給湯室へと向かったのだ。
ベルひとつで誰かが飛んでくる王族とは思えない、フットワークの軽さである。本来なら、自分の方が率先して動かなければならないのに。
この後はおそらく、ゆっくり身体を休ませながら、リカルドには事情を聞かれるろう。彼が必要だと判断したら、恐れ多いことに御典医が呼ばれてしまう。一度、怪我をしたときに隠していたら、立派な髭の医者を呼ばれて驚いた経験がある。
不調は確か、二週間くらい前からだった。眩暈がして、視界が揺れることによって馬車酔いのような症状が出て、吐き気もたまに。だけど実際に嘔吐することはめったになかった。これだけ具合が悪いのなら、自然と食べられなくなるはずなのに、食欲は相変わらず、むしろ旺盛なのだから、意味がわからない。
「お待たせ」
この国で最高の医師を呼ばれないようにするためには、どうにかごまかさなければならないと唸りつつ考えていたら、十五分くらい経過していた。声がするより、顔を上げるよりも先に、ふわりといつものブレンドティーの香りが漂う。甘くて、けれどスッキリとした花の香りを、アズマはこの茶以外では嗅いだことがない。
「ありがとうございます」
気休めに過ぎないと知っていても、リカルドの好意を無下にするわけにはいかない。カップに口をつけた。するとその途端、吐き気がすーっと治まった。こんなことは初めてで、熱いのを冷ましながら、アズマは夢中で茶を喫する。
ふと視線を感じて、リカルドを見た。向かい側に座った彼は、頬杖をついて、こちらを見つめていた。
その目がどこか嬉しそうにすら見えた。心配か、あるいは怒りの表情を浮かべているのだろうと思っていた。少し意外だった。それになんとなく、自分というよりは、持っているカップに意識が向いているような気がする。
「殿下」
「ん? ああ……顔色が少しよくなったと思って」
たかが一杯の茶、されど一杯の茶。張りつめていた精神が、ふっと緩んでいく。リカルドがティーポットからおかわりを注いでくれて、ありがたく受けた。
「しかし、あんな噂……いったい誰が」
許せない、と彼は机を叩く。ソーサーに一度戻した飲みかけの茶が揺れた。彼がここまで感情をあらわにすることも珍しく、アズマは逆に、できる限り落ち着こうと、涼しい顔を装った。自分ごとだからこそ、冷静に対処しなければならない。
「私のことを疎んじている人間は、それこそ多いでしょう」
イザヨイ家は、外様でありながら、王家からの信頼も篤い。それを面白くないと思う貴族は多く、絞ることができない。剪定師と成り代わりたいと考える人間は、ごまんといるのである。
「ここが学園じゃなけりゃ、徹底的にやるものを」
学園は社会の縮図、階級社会であることは避けられない。だが、実際の大人たちの社交界ほど厳然たるものではない。王宮なら王族の命令ひとつでどうにでもなるが、学園では少々難しい場面もある。
悔しそうにてのひらに拳を打ちつけたリカルドをたしなめつつ、アズマは「うちの手の者を出してもらいますから、あと少し我慢してください」と、説得した。シノブには世話になりっぱなしである。あとで特別報酬を出してもらわなければならないな、と思う。
本来なら、イザヨイの本家から分かれたアズマの命令など、彼は聞く必要がない。けれどもシノブは、今までと同じように自分に尽くしてくれているのだ。棟梁はおそらく、深入りするなと忠告しているにもかかわらず。
次第に元の顔色を取り戻したアズマに、「今日のお茶も口に合ったようだな」と、リカルドは言った。いつもと特に味は変わらなかったと思うが、変なことを言うものだ。
「ええ。殿下のお茶を飲んだら、具合が悪かったのが、すっかりよくなりましたよ」
そうか、と微笑むリカルドの目は、優しかった。
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