花食みの王子は、夜桜の愛を咲かせる(14)

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(13)

 一夜明けて、アズマは正気を取り戻した。身体から媚薬は抜けていた。

 リカルドによって呼ばれた使用人によって、問答無用で風呂場へと連行された。自分でできると言い張ったが、リカルドが首を横に振った。それに、足腰が立たなかった。

 身体や髪の毛は洗ってもらった。男はその間、ずっと黙していた。

 さすがに中の洗浄までは任せることができなかったし、彼も引き下がった。惨めな気持ちで風呂から上がり、極上のタオルで包まれ、同じ生地で作られたローブを着せられた。

 部屋に戻ると、使用人はふたりに頭を下げて退室する。リカルドの手を借りて、浴室にいる間にきれいなシーツに交換され、整えられたベッドに寝かされた。

 身体は重いが、薬によるものではない。下半身を中心に鈍い痛みが続き、とてもじゃないが眠れそうにはなく、アズマはもぞもぞと柔らかな枕を腰の下に入れて、上半身を起こした状態でいる。

 無言で差し出されたのは、いつものブレンドハーブティーだった。アズマ専用のもの。

 おそらくここは、王宮の中。バスルームとは違う扉の向こうには、普段通される、リカルドの執務室が広がっている。奥の寝室に入るのは、もちろん初めてだった。

 ありがとうございます、というのもなんだか憚られて、アズマは受け取り、爽やかな香りのする液体を口に運んだ。叫びすぎて嗄れた喉を労わってか、普段は入っていない、ハチミツの甘さが優しい。熱い茶はアズマの身体を潤し、頭の中をスッキリとさせる。

 いつまでも沈黙している場合ではない。

 カップを持ったまま、アズマは頭を下げた。

「申し訳ございませんでした」

 頭を上げよと言われない限り、下げっぱなし。相手の言葉を待つ。向こうの怒りが深かったり、性格がねじ曲がった人間ならば、(幸いなことに、今のガートゥン王家にはそんな気質の人間はいない)なかなか許可は出ない。

 リカルドは、すぐに許可を与えるタイプだった。どれだけ失敗をしても、臣下を一方的に貶めることはなく、一緒に対応策や繰り返さないようにするにはどうしたらいいのかを考えてくれる、ありがたい主人である。

 けれど、今日はなかなか「よし」が出なかった。アズマはじっと耐え、目を閉じる。当然だ。あんなに迷惑をかけてしまった。望まぬ言葉すらかけさせる真似をして。

「アズマ」

 名を呼ばれて、ようやく顔を上げることが叶い、同時に目を開ける。

 リカルドの表情は、強張っていた。ぎゅっと握られた拳が震えている。あれで頬を殴り飛ばされても、甘んじて受け入れる覚悟はできている。

「……君は、何に対して謝罪をしているんだ?」

 低く小さな声は、すぐ傍にいる自分にすら、よく聞こえなかった。聞き返すのも無礼になるかと、「たぶん彼は今、こう言ったんだろうな」と想像して、アズマは答える。

「私が卑劣な男によって薬を盛られたせいで、リカルド殿下のお手を煩わせたことについてです」

「君が悪いわけでは!」

 リカルドは庇ってくれるが、当の本人であるアズマは首を横に振った。

「いいえ。御身が情けをかけてよいのは、愛した対の花のみ。私などのために、その、貴重な……子種を、ええ、無駄打ちさせるようなことは……あってはならない、と」

 現状、対の花に最も近いテオは男だ。男の身体に精子を注ぎ込んでも、実を結ぶことはない。だが、花生みの体力を補う最高の栄養剤としては機能する。アズマの身体では、そうもいかない。この身の内でいくら彼の欲望を受け止めたところで、何の役にも立たない。

 風呂場で中に吐き出されたものを掻き出して洗いながら、死にたい気持ちになった。体内に吸収できず、留めたところで腐らせるしかないこの肉体を、完膚なきまでに壊してしまいたかった。

 リカルドにそんな真似をさせて、しかし抱かれた事実に歓喜する自分の心を、葬ってしまいたかった。

 アズマはゆっくりとハーブティーを飲み終えると、カップを持ったまま、ベッドから床に足を下ろした。肉体に亀裂が走るような感覚に悶絶しつつも、二本の脚でひとり立つ。服を探したが、処分されてしまったらしい。仕方なく、外で見張っているだろう先ほどの使用人に声をかけ、着替えを用意してもらおうと扉の方へと向かった。

「待て」

 肩を掴まれ、振り向かされる。

 引き結ばれた唇。どうかもう、偽りの愛など延べないでほしい。

 昨日の情熱的なキスも、自分のことを愛していると言わんばかりの言葉も、アズマの症状に合わせてくれただけだと知っている。子どもの頃から、アズマが悲しい顔をしているのを察知して慰めてくれる、優しい人だから。

 その思いやりを受け取る相手は、もはや自分ではない。

「昨日のことは、お忘れください。私もそうしますので」

 いいや、忘れられるはずなどない。一生の傷として抱え込んで、リカルドに仕え続けるこれからの人生を、アズマは覚悟していた。幸せなことなのか、それとも不幸なことなのか、自分でも判断ができないまま。



 つつがなく過ぎていく日々であった。

 お互いに忘れようと言った手前、アズマからリカルドに何かアクションを起こすことはない。彼の方は何か言いたそうにしていても、多忙がふたりきりになることを許さず、話す機会はなかった。アズマは安心して、テオへの講義をすることができていた。

 花生みの少年も、ディアンが来なくなったことについてはホッとしていた。

 騎士たちがしらみつぶしに捜査を行ったことで、娼館では違法薬物のやり取りがあったことが証明され、オーナーのディアンを始め、関わった人間が捕縛された。今は裁判にかけられるのを待っているところだと聞く。

 もちろん、そんな人間を学園へ引き入れたことについて、学長は猛抗議した。百花王の対の花候補への性的な虐待であると、アズマもこれまでのノートを提出し、内務大臣の訴追に動いた。

「ディアン先生がいなくなったのはよかったんですけど」

 講義中からずっと、テオは難しい顔をしていた。彼の言いたいことはわかる。そしてそれを口にしていいものか、迷っている気持ちも。

 アズマの立場は、事件前よりも悪化した。

 内務大臣はすぐに罷免されたのだが、次に立ったのがなんと、ウィンプ侯爵その人であった。彼は自分の縁戚である前大臣のことをこき下ろしつつ、被害者として事情聴取に応じたアズマについては、「君も乗り気だったのではないか?」「お前が誘ったのでは? 黒髪に黒目は、悪魔の形容だろう」と、散々に侮辱した。一緒にいてくれた騎士は注意したが、騎士風情が、と聞き入れようとしなかった。

 最悪なことに、ウィンプ卿は息子・エリオットにもアズマの身に起きたことを吹聴していた。完全なる被害者であるにもかかわらず、毒婦扱いである。

『淫売が、対の花候補に何を教えるつもりですか?』

 と、面と向かって言われたときには、怒鳴ってやろうかと思った。向こうは侯爵子息で、こちらは伯爵の息子。しかも分籍しているから、実際には伯爵家の一員であると名乗ることすらできない。

 立場は圧倒的に弱く、少数の生徒以外はすべて、敵に回ってしまった。表立って庇い立てしてくれるテオやショーンは、花生みであることから連座で虐められることこそないものの、遠巻きにされている。

 何度、自分のことはもういい、捨て置いてくれと訴えても、彼らは頑固に「アズマさんはそんな人じゃないって、みんなにわかってもらう」と言い続けた。ありがたいが、申し訳ない。

「アズマさん、顔色が悪いです。もう少し、休んで行かれた方が」

 テオの気遣いに、無理矢理微笑んだ。体調不良が続き、さらに心が弱ると、表情は緩むらしい。凛々しく結んでいた口を、常に少し開けていないと息苦しいこともあって、皮肉なことに、アズマはほんの少しだけ、笑うのが上手くなっていた。

 前からこんな顔ができていたら、もっと自分を信じてくれる人が多かっただろうか。

「そうもいかない。これから王宮で、宰相たちと面談があるんだ」

 テオは顔を曇らせた。宰相以外にも、あのエリオット・ウィンプがいるのだと、推測できたからだろう。

「それじゃあ、また」

 身支度を整えて、ふたり揃って部屋を出る。鍵のかかる部屋を借りられてよかった。被害は扉への落書き程度で収まっているのだから。

 学生寮へ向かうテオとは、校門で別れる。気をつけて、とお互いに言い合いながら歩き出そうとした途端に、ばしゃりと頭上から水をかけられた。

 振り向くと、エリオットとその取り巻きの男たちである。体格がよくて頭と柄が悪い連中を手懐けて、護衛にしているのだ。ニヤニヤと醜悪な笑いを浮かべている様は、とても美少年とは言えない。

「……何をしている」

 剣術をよくするアズマは、師匠である父によって、自身が抜き身の刀となって敵を威圧する方法を仕込まれている。少年たちは視線から殺気をもろに感じ取って、顔を青くした。 

 だが、そんな状態でも高飛車な態度を崩さないのが、エリオットである。自分の「勝ち」を確信した態度で、彼は言う。

「百花王の対の花にふさわしいのは、身分と美しさを兼ね備えた僕しかありえないんだよ。あんたがどれだけ画策したところで、僕らウィンプに勝てるはずがないんだ」

「言いたいことはそれだけか……今回の所業は、明日にでも学園長に報告しておく」

 ハッ、とエリオットは鼻で笑った。

「明日も学園に来れればいいけどなぁ!」

 と。

 どういう意味だと詰問する前に、彼らは笑い合いながら、校舎へと戻っていく。エリオットの襟足からは、彼の花であるダリアが咲き誇り、ポトリと足跡を残すように落ちる。それだけ感情が高ぶっているということなのだろう。

 冷めた目で悪ガキたちを見送ったアズマは、約束の時間に間に合わなくなると、びしょぬれのままで道を急いだ。


 みすぼらしい姿のまま、アズマは宰相たちのところに連れていかれた。

 まるで罪人のようではないか。身だしなみを整えるだけの時間すら与えられない。

 お前のところの息子のせいだぞ、と、新内務大臣であるウィンプ侯爵を睨みつけた。

「それで、アズマ剪定師」

 宰相が咳ばらいをして、注意を引きつけようとする。そうだ。呼び出しは宰相からのものであった。短く返事をすると、何やらごちゃごちゃと前置きをしようとしたので、アズマはスパッと断ち切った。

「ご用件をお聞かせ願えますか?」

 イザヨイの人間は、まどろっこしいことが嫌いだ。短剣を飲みこまされたように黙ってしまった宰相に代わり、ウィンプ侯爵が息子とそっくりな意地の悪い顔で話を引き取った。やはり首謀者は、こちらか。宰相は、傀儡だ。何か弱みでも握られているのだろう。

「君らイザヨイを見習って、単刀直入に言えば、君はクビだ」

「……なぜでしょうか。私は剪定師として、百花王になられるリカルド殿下に誠心誠意お仕えし、彼の対の花を迎える準備を進めております」

 この三年、アズマがどれだけ忙しく、去年までは学業と並行して、花生みたちとリカルドの間を取り持とうとしたのかを、彼らは報告書で詳しく知っているはずだ。結果に結びついていないのは、リカルドと花生みたちとの相性問題で、今年こそは、相思相愛の相手が見つかったのだ。花生みの教育も進んでいる。何の落ち度もない。

 ……何も、ない?

 ウィンプ侯爵の顔が歪んでいる。ただの底意地の悪さではない。そう、これはあの男と同じ。吐き気がするほどの……。

「剪定師が主人と関係を持つなど、前代未聞ではないか?」

 知らず、握り拳に力が入った。相手が市井の人であれば、殴りかかっていたかもしれない。だが、相手は高位貴族だ。アズマが何かすれば、イザヨイの家にも迷惑がかかる。下手なことはできない。

「……何をおっしゃいますか」

 証拠はない。淫らな行為に耽っていたことを知るのは、アズマの身体を清めるのを手伝ってくれた、あの使用人しかいない。彼はリカルドの忠実なる僕。ちょっとやそっとじゃ口を割らない。

 ウィンプ侯爵は「証拠というには弱いかもしれないがね、ほら」と、笑った。傍に控えさせていた内務省の役人(もしかすると、自分の息子のひとりかもしれない)が持ってきた小袋を、ほら、とアズマに投げてよこした。反射的に受け取る。

 顎をしゃくって命令してくる大臣に、見て見ぬふりをしている宰相。アズマは仕方なく、中に入っているものを取り出して、絶叫しかけた。

 弾みで取り落としたソレは、指であった。もちろん、人間の、である。

 心臓が嫌なリズムを刻む。胸を押さえ、恐る恐る拾い上げたのは、成人男性の、小指だ。爪はすでになく、剥がされる拷問を受けても、口を割らなかったせいで、指を切られたようだと理解する。

「まさか」

 誰の指なのか。アズマの脳裏に浮かぶのは、もうはっきりと顔も覚えていないけれど、大人しい男の像だ。

「ソレの持ち主は、吐いたぞ。貴様が認めないならば、二本目、三本目と切り落とせるように、別室に待機させている」

「やめろ!」

 アズマは叫ぶ。

「やめろ?」

 口の利き方に気をつけろと、邪悪な男は表情をスッと消した。アズマは俯き、声を振り絞った。

「……やめて、ください」

 ここまで、するのか。

「ならば、認めるんだな?」

 息子を百花王のつがいにするために。分籍するとはいえ、王家ゆかりの者と連なるために、ここまでするのか。

 アズマは床に膝をついた。両足を揃え、正座をする。そのまま頭を下げるのは、イザヨイの家に伝わる、最上級の謝罪の礼であった。椅子に座る者よりも、低い位置に座る。頭を地面につくほど、低く低く。

「……私、アズマ・イザヨイは……リカルド殿下と……」

 なんと表現していいのかわからずに、言葉が出てこない。口を出してきたのは、意外なことに宰相であった。

「貴様が、殿下を誘惑したのだな?」

 王族が、つがうべきではない相手と関係してしまったなどと知れたら、大きな醜聞となってしまう。それを避けるために、万が一外に漏れたとしても、悪いのはリカルドではなく、アズマであることにしたいのだと悟る。

 宰相の言うことは事実だ。媚薬に蝕まれたアズマが誘った。その通りだ。自分が弱かったから、リカルドは哀れみ、助けてくれただけだ。

「はい……その通りでございます」

 アズマの言葉を聞いたその瞬間、盛大な溜息と同時に、高笑いが部屋に響き渡った。



 アズマ・イザヨイの剪定師解任は、すぐに決まった。代わりの人間も、すでにウィンプ侯爵が見繕っていた。学園には戻ることを許されず、残してきた荷物(といっても、ほとんどないから捨て置いてくれても構わなかった)は、後で所定の場所へと届けると言われた。

「最後に、殿下にご挨拶を……」

 アズマの願いを叶えてやろうという慈悲深い人間は、この場にはいなかった。宰相は真面目くさった顔をして、

「殿下に過ちを犯させた貴様に、そんな資格があると思うな」

 と、厳しいことを言った。この人たちは、リカルドにはアズマの処遇について知らせていない。成人の儀に向けて忙しいのを慮って、というのは表向きの態度で、実際は解任について猛反対するのが目に見えているからだろう。

 アズマはおとなしく引き下がった。貴族としての籍も半ば失い、人生を賭けた剪定師としての立場を奪われた自分には、対抗する手段がない。今後、リカルドと直接顔を合わせ、話をする機会は二度と訪れないのだ。

 王宮を出て、アズマは三歩歩き、振り返る。

 高く聳え立つ城を、今まで恐ろしいと思ったことはなかった。いつだって、リカルドが出迎えてくれていたからだということに、今さら気づく。

「愛して、いました」

 ほろり、涙が落ちる。頬を滑る間、確かに水滴だったそれは、地面を濡らす前に白い何かに変わった気がした。えっ、と思って確かめようとしたけれど、すぐに風に巻き上げられ、どこかへ消えてしまう。

 気のせいに違いない。涙はいまだ止まらないが、あとは服や大地に沁み込んでいくだけだ。見間違いだったのだ。

 ――白い花びらに変わった、なんて。


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