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学園から、王宮から追放された形になったアズマが向かったのは、実家ではなかった。
伯爵家の跡継ぎでもなんでもなくなった自分を、いつまでも手元に残しておくような父親ではない。強い男になってたまには顔を見せに来い、と言われた手前、今のみすぼらしい己を両親や弟の前にさらすわけにはいかない。それが、たったひとつアズマに残された、小さなプライドであった。
頼ることができる人間は限られていた。アズマはシノブを頼り、モチヅキ家に匿ってもらうことにした。親戚と言いつつ、明確な上下関係が存在する家である。主家であるイザヨイ家には、すぐに報告がいくだろうが、シノブはきっと、うまくとりなしてくれる。
モチヅキの家に迎え入れられた途端、アズマは倒れた。心労が祟ったのだと誰しもが言った。栄養を取り、しっかりと休養すればすぐに元気になるものだと思っていたのだが、五日経っても、十日経ってもアズマの体調は回復せず、どころか悪化の一途を辿っている。
すぐさまイザヨイの家族が見舞いにやってきたが、身体を起こして話をし続けるのも辛いほどの眩暈に、すぐに出て行ってもらわなければならなかった。
すでに体調不良には慣れていた。学園にいたときも、同じようなことがあった。あのときは、そう、リカルド殿下に淹れてもらった茶を飲んだら、スッと気分がよくなったのだっけ。
彼から与えられたブレンド茶は、すでに手元に戻ってきている。学園の教師寮を間借りしていたアズマの私物は、そう多くはなかった。モチヅキの家に仕える人間に頼んで淹れてもらう。
「ああ……美味しい」
何を食べても味がしなかったり、逆に過敏になって舌が痺れるほど塩辛く感じたりだった。久しぶりに美味しいと思えるものが見つかったことに、静養中の話相手であるシノブは「よかった」と、安堵した。
けれど、期待していたほどの劇的な回復は望めず、アズマはかろうじて、立って歩くことができる程度であった。まさしく医者も匙を投げる事態である。
どうしてあのときの茶は、あんなにもよく効いたのだろう。いつもと違うところなんて、何もなかった。
アズマとふたりきりになったときには、リカルドは毎回、特製茶葉を取り出し、手ずから準備してくれたものだ。何か特別なものを投入していたのだろうか。わからない。
王宮を離れて三週間あまり。ようやく不調の原因が判明した。それと同時に、アズマはどうして今さら、と深い絶望を味わった。
寝ぼけ眼を擦り、枕元を見て悲鳴を上げた。
「どうした!?」
聞きつけたシノブが、どこからともなくやってきた。ニンジャ、と呼ばれる隠密の次期棟梁であることから、彼は神出鬼没だが、今は来てくれて助かった。こんなの、自分ひとりでは抱えきれない。
枕を中心に、桜の薄い花びらが散らばっていた。もしも色が濃い赤であったとしたら、血塗れの現場と見間違うほどである。
今もなお、長い黒髪からはぽこぽこと生み出され続けている、花。
「殿下……」
そしてリカルドを想って流す涙も、桜の花弁へと変わる。
目の前で呆気に取られているシノブではなく、アズマはリカルドの名を呼んだ。
花生みや花食みであるか否かは、生まれてすぐに決まっている。途中で変化するなど、アズマはついぞ聞いたことがない。未知の出来事に恐れおののくも、実際に自分が花生みに変貌してしまったことは、間違いない。
もっと早くに。出会ったばかりのあの頃に変わっていたのなら、自分も彼の対の花候補となることができた。剪定師として、老獪な貴族たちとひとりで対峙する必要はなかった。
選ばれる保証なんてものはない。それでも、彼とつがうことのできる可能性があるだけでも、自分の人生はきっと、全然違ったものになっていたはずだ。
「リカルド様……ッ」
けれど、何もかももはや遅い。アズマは失脚し、宰相はウィンプ侯爵の言いなりだ。エリオットが彼の隣に立つことに、決まってしまったのだろう。
リカルドの意志とは関係なく、テオにも諦めさせようと手を回すことは、いくらでもできる。彼は貴族のやり方などひとつも知らない、普通の少年だ。より強力な味方がいなければ、勝てやしない。
テオだから、許した。
自分の持てる知識と力を総動員し、百花王の対の花として、どこに出しても恥ずかしくない、洗練された花生みになった彼だから、リカルドの隣を譲った。友人として、想いをひた隠しにすることしかできない自分の分まで、彼を愛し、大切にしてほしいと願って。
それももはや、叶わないのだ。
近々夜会がある。成人前、王族の一員としてのリカルドが参加する、最後のパーティだ。すべての貴族は参加せよという命が下っているはずだ。
そこでおそらく、対の花のお披露目がある。
アズマは貴族の一員から少しはみ出してはいても、ウィンプ侯爵はきっと、完膚なきまでに打ちのめすためだけに、自分宛の招待状を実家に送付しているだろう。
あの悪魔のような少年が、つがいとしてリカルドの腕を取り、笑っているところを想像しただけで、胸が引き裂かれそうになる。実際、アズマは無意識のうちに胸を掻きむしっていて、シノブに止められた。見下ろした皮膚は真っ赤になっていて、痕が残りそうだ。
「王都を離れよう、アズマ」
手を握ったまま、シノブは提案した。
「お前が花生みになったことを、他の誰も知らないんだ。原因不明の体調不良って医者も太鼓判を押してくれてるんだ、うちの田舎に引っ込もう」
「シノブ」
「お前も来たことあるだろ? うちの忍術道場がある……」
モチヅキ家は、一族の者や志望者を集め、幼い頃から英才教育を施している。剪定師になる前に、アズマも訓練に参加させてもらった。
「誰とも会いたくないなら、俺が会わせない。大貴族も王子も関係ないね。俺はお前を利用するだけ利用して、泣かせる奴らのことが許せないんだ」
だから俺と一緒に、田舎に行こう。
シノブの誘いはありがたい。王都にいれば、どうしてもリカルドとその対の花の噂は耳に入る。
もう何も見聞きしたくなかったアズマは、小さく頷いた。
モチヅキ家の田舎は、イザヨイ本家の領地よりもずっと東の山奥にある。
石造りが基本のガートゥン建築とは違い、亡国の建築技法をできる限り活かした家は、木造の平屋づくりだ。特殊な草を編んで作ったマット(畳、という)の上を、靴を脱いでくつろぐのがこの家の流儀である。ベッドではなく、畳の上に直接寝具を敷いて寝るのだが、これがアズマには、なんだか居心地がよかった。
花生みになったことがわかり、体調不良を治す方法も明らかになった。要は、栄養失調である。花食みの体液をもらうあてのない花生み用に、市販の薬が売られている。高価なものだが、背に腹は変えられず、アズマは三日に一本、瓶の中の薬液を飲みほした。
モチヅキの屋敷は、いつも賑やかだった。壁が薄いのか、外で訓練に励んでいる子どもたちの声がよく聞こえた。元気が良すぎて、あちこちにぶつかったり、転んだり、喧嘩をしたりしている。
アズマは客人ということで、修行中の子どもたちと関わることはない。病気で寝込んでいる、と年長者から言われているが、幼い彼らの中には、好奇心に負けて部屋を覗きにやってくる者もいる。
そういうときには邪見に扱わず、アズマは相手をしてやる。激しい遊びの相手は無理なので、あやとりだとかお手玉だとかの、イザヨイに連なる者たちに伝わる手遊びをした。
血相を変えて迎えに来る師匠たちは、「馬鹿もん。あの方はイザヨイ流剣術の達人だぞ。そんな方に遊びをねだるなど、恐れ多い」と言って聞かせるが、青白い顔のアズマしか知らない子どもたちは、「嘘だぁ」と、けらけら笑って逃げていくのだった。
今日もそうやってわぁわぁと離れていく彼らを見送り、使っていた紐でひとり、あやをとって遊ぶ。連続してひし形の段をつくるハシゴという技を練習しているのだが、どうしても思い出せずに途中で詰まってしまう。他にやることもなく、アズマは夢中になっていた。
「そうやってると、本当に深層の姫君みたいだな」
「シノブ」
黙って寝ているか、ゆっくりと外を散歩するくらいでのんびりと過ごしているアズマとは違い、次期モチヅキ忍び衆の棟梁は、忙しく立ち働いている。
「都に用事があったんじゃなかったのか?」
ここは王都からはかなり距離があり、馬車ならば三日はかかる土地だ。だが、シノブたち忍者の極秘技術を使うと、半分ほどに短縮できる。
シノブはアズマの問いかけには、応えなかった。王家からの任務を、アズマに教えることはできないのだ。
「今日もたくさん咲いたな」
「ああ……」
花生みになったばかりのアズマは、幼子と同じでコントロールができず、毎日桜の花を歩く道筋に散らしている。特に眠っているときにはまるで制御できずに、目を覚ますとこんもりと枕元に花びらの山ができているほどであった。
その山を眺めていたシノブが、「なぁ、これちょっともらっていってもいいか?」と、打診してきた。
人間が生んだ花は、自然のものと違って、季節に関係ない。そのため、貧民街に生まれた花生みは、真冬に自分の花を売る。
売買も譲渡も禁じられていないから、シノブにあげることは構わないが、彼はガートゥン国民にしては珍しく、花を愛でる趣味がほとんどない。
「いいけど。何に使うつもりだ?」
シノブは「ニシシ」と笑った。
「内緒」
その顔は、いたずら坊主で鳴らした子ども時代と、何ら変わりないものだった。
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