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<(15)
アズマはこの日、体調がよかった。秋晴れの空は高く、絶好の散歩日和だ。この機会を逃しちゃならないと思い立ち、部屋を出ようと横開きの襖という扉に手をかけたところで、制止された。
「シノブ?」
またこの男は、どこから入ってきたのやら。目の前のドアはしっかりと閉まったままなのに、いつの間にか背後に立っている。まさしく神出鬼没な男で、いまだに驚かされることが多い。
今日の彼は、黒一色の簡素な衣服を身に着けている。頭には頭巾まで被り、口元を隠している。モチヅキ流ニンジャの正式なコスチュームであるとわかり、これから仕事に行くのか? と、アズマは何の気はなしに問いかけた。
「いいや、現在進行形で仕事中」
ならばどうしてお前は己の傍にいるのかと。首を傾げるアズマをよそに、何やら外が騒がしくなる。
「いたぞ! 追え! 追え~!」
「若の許可は出てるからな! 一番活躍した者には、今日のおやつをひとつ、オマケしてやろう!」
師匠たちの言葉に、子どもたちの歓声が上がる。侵入者か? と、アズマは眉を顰めるが、シノブはなんだかニヤニヤと笑っていて、意味がわからない。子どもたちだけではどうにもならないのでは? お前が行くべきなのではないか、と提案したところで、「あ痛!」と、外から悲鳴が聞こえた。
「まさか」
聞き覚えがある声だった。身近にありすぎて、そのありがたさすら忘れてしまいかけていたのが、離れてみてどれほど大切であったことか。記憶にこびりついて離れていってはくれない彼の声を、この自分が間違えるはずがない。
慌てて窓の傍に寄る。案の定、子どもたちに追い回される男の姿が。
「リカルド殿下!?」
窓は開けていないが、アズマの叫びは聞こえたらしい。武器代わりのお手玉をぶつけられ――大風に吹かれて落ちたイガグリを容赦なく浴びせられ、それでも彼は、ズンズンと窓に近づいてこようとする。開けようとしたのを、シノブが邪魔した。
「シノブ!」
何を考えているんだ、リカルド殿下をお助けしなければ、と喚いた唇を、彼は人差し指一本で黙らせる。
ニンジャ、というのは暗殺者でもある。彼はその指一本で、本当に人を殺すことだって可能なのだ。
剣術の腕に覚えはあっても、穏やかな顔で殺気を放つことができるわけではないアズマは、息をするのも苦しく感じた。
「あー、あー。リカルド殿下にお知らせいたします。あなたはそこにいるチビニンジャたちの手から逃れ、このモチヅキが造ったからくり屋敷の罠を解除して、この部屋に来てください。さもなくば」
「さもなくば!?」
と、窓の向こうで子どもたちに体当たりを受け、逃がすまいと抱き着いてくるのをいなしているリカルドは反応した。
心なしか息が上がっているし、子どもたちはすでに、闖入者の確保ではなく、ただの鬼ごっこだと認識してしまっていた。きゃっきゃと楽しそうに遊びをねだられ、彼の真剣さが薄れるのが、少しかわいそうである。
「さて、どうしましょうね。どうしたらいいと思う? アズマ?」
急に話を振られても、頭がついていかない。剪定師を辞め、田舎に引っ込んでの静養生活は、アズマから鋭さや険しさを抜き取り、頭の働きすらも鈍くしてしまったらしい。
口ごもるアズマに、シノブはすりすりと近寄ってくる。親戚とはいえ、この距離感はいただけないと逃げるアズマの腰をがっしりと掴み、彼は窓越しのリカルドを挑発した。
「アズマが欲しければ、力づくで奪ってみせな」
と。
頭に血が上がったリカルドは、子どもたちを引きずり、家の入口へと向かう。からくり屋敷なので、実は目に見える玄関口はダミーだったりする。
「殿下、そちらでは……」
アズマが教えようとしたが、シノブに妨害された。
「シノブ、いったいどういうつもりなんだ?」
返答によってはただじゃおかないと目に力を込めたら、「おお怖」と、彼はすぐに身体を離した。
「ただ俺は、主人の相手にふさわしいかの試練を与えているだけさ」
おどけた口調に、間違いを訂正してやる。
「お前の主人は、ガートゥン王家。すなわちリカルド殿下も含まれている。それをあんな、馬鹿にするみたいなやり方で……」
「違うね。イザヨイはガートゥンに心からの忠義を誓ったが、俺らが額づくのは、イザヨイの血に対してだけだよ」
「いつの話をしているんだ」
イザヨイがガートゥンを立てようとしているから、モチヅキの家を始め、東の国からの亡命者たちの子孫は、王家に仕えている。それでもいいか、と思っている節があった。イザヨイが王家を裏切ることはあり得ないのだから、と。
けれど現状、アズマ・イザヨイが冷遇されている。籍を分けたとはいえ、血の繋がりまでは消えない。今でもシノブは、アズマのことを主人であると認識し、守ろうとしている。それがたとえ、リカルド・ローゼス・ガートゥンに歯向かうことになっても。
アズマは言葉を尽くして、彼を説得にかかる。俊敏さも単純な腕力も、シノブに敵わない。リカルドを迎えに行こうにも、彼がすんなりとドアまで通してくれるとは思えなかった。
「シノブ。殿下はただ、顔も見せずに自分の前から姿を消した私を心配して来てくれただけだよ。彼にはきちんとした、対の花がいる。私が見込んだ相手ではないかもしれないけれど、こんな、この年で変化した得体の知れない花生みなんて……」
「その変化が、偶然の産物じゃないとしたら?」
真剣なまなざしに、アズマが「え」と言ったきり固まる。
突然変異でないとして、じゃあ一体、なんなのだろう。最初から本当は花生みとして生まれたけれど、何らかの原因で、花を咲かせることができなかっただとか? まさか。あんな動けなくなるほどの体調不良は初めてだったのだ。もとより花生みであれば、幼い頃から症状に見舞われていたに違いない。
シノブは、アズマが花生みに変化したのは、人為的なものだといいたいのか?
誰がそんなことを……。
ぽかんと口を開けて固まるアズマの耳に、賑やかな子どもたちの声が聞こえてきた。シノブとともに扉を見つめると、
「あのねー。ここの襖はねぇ……」
「へえ。面白い錠前だなあ。マリンはすごいな。こんな速さで解けるのか」
「えへへー」
「ずるい! 僕だってできるもん!」
「ああ! せっかく開けてくれたのを戻すなって!」
と、子どもたちの歓声に交じって、リカルドの声がして、襖を外から閉ざしていたらしい錠が何度も開け閉めされる音がした。
「こら、遊ぶんじゃない! 俺は中にいる人に、用事があるんだよ。大切な、話があるんだ」
「でもシノブが言ってたぜ? 兄ちゃん、中のお姫様をさらっていっちゃう、ワルモノなんだろ?」
お姫様とは誰のことだ? と、隣に立つ男をじと目で睨みつけると、シノブは口笛を吹いてごまかした。無駄に上手いのが腹が立つ。
「……本当に、話があるんだ。俺は謝って、彼に許してもらわなければならない」
リカルドのその言葉に、周囲は静まり返った。あれだけ騒がしい子どもたちが一斉に黙るところなんて、訓練中ですら、ほとんどないことである。
やがて、完全に開錠され、襖が開いた。
「アズマ……!」
「殿下……」
感動の再会と言うには、役者が多すぎた。リカルドは子どもたちひとりひとりの名前を呼んで――この短時間で、ずいぶんと仲良くなっていた――、「ありがとう」と告げる。男児は得意げに鼻を擦り、女児はリカルドの王子様そのものの美貌にうっとりして、「また遊んでね」と、ハグをした。
「子どもたちを味方につけるとは、なかなか考えたもんですね」
シノブも予想外だったのだろう。からくり屋敷はかなり複雑なつくりになっていて、素人がちょっとやそっとじゃ破ることはできない。
防犯設備としてはばっちりなので、リカルドの安全を考え、百花王の住居である花の館にもどうかと打診したことはあった。が、コストがかかりすぎるという王宮と、技術を明け渡したくないモチヅキ家の両方に断られてしまったのも、記憶に新しい。
リカルドはこの家について何も知らないが、修練場兼遊び場である屋敷について、子どもたちは詳しい。王子としての対人スキルと生まれながらの性格によって、子どもたちを懐柔したのは、最短ルートであるのは間違いなかった。
リカルドはアズマに微笑みかけたあと、スッと表情を消してシノブに目を向けた。ふたり並んでいる以上、直接視線を向けられたわけでなくても、どんな目をしているのかがわかってしまう。
こんな彼を見たのは、初めてだった。学園でも王宮でも、いつも笑みを絶やさない穏やかな人格者で通っていたリカルドに、こんな獰猛な獣の表情ができるなんて、想像したこともなかった。シノブのことを、まるで親の仇であるかのように睨みつけている。
「そんなおっかない顔しないでくださいよ。褒めてるんですから……ほら、ガキども。行くぞ。お兄さんは、お姫様と大事な大事な話があるんだから」
肩を竦め、リカルドの無言の圧を軽く受け流すと、シノブはリカルドの変貌に驚いている子どもたちに雑に声をかけて、回収していく。「アリス、ガキじゃないもん!」「ガキって言う方がガキなんだからな!」と、それこそ子どもらしい屁理屈を言いつつ、今度は若様に遊んでもらえるとはしゃいでいる。
シノブは子どもたちを抱きかかえたり、足にへばりつかれたりしながら、退出する。その間際に振り返った。
「お姫様っていうのは、あながち間違いじゃないんでね。俺たちの大事な大事なイザヨイの御方を泣かすようなことがあれば、あんたがガートゥンの王子だろうと百花王だろうと、容赦はしませんので」
脅し文句は微笑みを浮かべながらだったが、当然、目は笑っていなかった。
あっけに取られているアズマをよそに、リカルドはようやく肩の力を抜き、「肝に銘じる」と請け負った。シノブは彼の顔を見て、「よし」と確認し、今度こそ子どもたちと一緒に、部屋から姿を消したのであった。
「あの、殿下……」
皆の後ろ姿を見送り、沈黙に耐え切れなくなったアズマが声をかけると、リカルドは驚くべき行動に出た。
なんと、畳に膝をついたのである。それから額が床につくほどに頭を下げる。内務大臣たちの前でアズマが行った動作、土下座であった。
まさか目上の、一国の王子にそんなことをさせるわけにもいかず、アズマはパニックに陥りながら、彼の腕を掴み、無理矢理顔をやめさせようとする。だが、リカルドは相当頑固者であった。
「いや、このくらいしなければならないほど、俺はアズマに対して悪いことばかりをした……」
まったく心当たりがなかったアズマに、リカルドは土下座をキープしたままで、釈明を始める。
「まず、迎えに来るのが遅くなって悪かった。君がいなくなったのに気づいたが、あのウィンプを黙らせなければ、呼び戻しても無駄だと思って……もう奴らは登城することもないから、安心してほしい」
落ち着いて彼の姿を見ると、少し痩せたかもしれない。アズマが剪定師を解任されてから、そこまで長い時間は経っていない。それでやつれるということは、心労が重なっているということだ。
これまでも折に触れ、ウィンプ侯爵や宰相について調べを入れていたらしいが、本腰を入れて調査することになった。というか、勝手にシノブがあれこれと調査報告書を提出していったらしい。
そうすると、次々に後ろめたい事実が出てきた。その中には、リカルドの使用人を私的に拷問したことも含まれている。
――リカルドは何も知らなかった。
突然辞職して、郷里へ帰ったと聞かされ、信じていた。けれど、王都を流れる川から遺体が上がった。
彼には本当に申し訳ないことをした、とリカルドは呟く。指を見せつけられたのを、生々しく思い出したアズマも瞑目し、ふたりはしばし、亡くなった男の死を悼んだ。
彼の死体が上がったことが、ウィンプ侯爵家を追い詰めることにもなった。身分は低くとも、れっきとした王家の使用人である。威信にかけても犯人を特定させるべく、リカルドを筆頭に王族一同で地道な捜査を続けたところ、侯爵家の関与が疑いようのない事実だということが判明し、現在おもだった一族の者は、分家にいたるまで幽閉されているという。
「直に処罰が下されるだろう」
淡々と告げるリカルドの言葉に、悲しみはみじんも感じられなかった。
「では、殿下はエリオット・ウィンプとはつがいになっていないんですね?」
念のための確認であったその問いかけに、リカルドは弾かれたように顔を上げた。とてつもなく嫌そうな顔、心外だという顔をしている。
「ありえない! あんな性悪を花の館に入れるはずがない」
ウィンプ家の没落関係なしに、彼はあの毒花を選ぶことなどなかったのだと、アズマは安堵した。ならば自分の目論見どおり、リカルドはテオと仲良くやっているのだろう。よかった。心底そう思っていると、ふたつめの懺悔が続く。
「ディアン・マクギリスの件もだ。俺は奴のことを、テオから聞いて知っていたんだ」
アズマが羞恥のあまり報告できなかったことを、自分よりも年下の少年であるテオが、わざわざ王子に面会を申し込んであれこれと文句を言っていたことがわかり、頭を殴られたかのような衝撃を受ける。
「平民の子どもは、あのくらいのことは平気だろう」
純朴そうな顔をして、実際、頬を染めていたはずなのだが、全部ではないにせよ、実は自分ほどの衝撃を受けていたわけではないと知り、立ち直れなくなりそうだった。自分ばかりが顔を真っ赤にして、あのくだらない特別講義を受けていたのかと思うと、頭を掻きむしりたくなる。
すでにディアンによるセクハラ授業の存在を知っていたにもかかわらず、リカルドが口を出さなかったのは、これもまた、内務大臣や宰相、ウィンプ侯爵家の罪を立証するために泳がせていたのだと、謝罪を受けた。
「テオには激怒されたよ。自分のつがいにしようとしている相手がひどい目に遭っているのに、馬鹿じゃないのかって」
「え……?」
アズマは顔を上げる。つがい……対の花は、テオのはずだ。
リカルドは正座のまま、こちらをまっすぐに見つめてくる。
「それから、これが一番謝らなければならないことなんだが……同意なしに、アズマ。君の身体を作り替えてしまった。本当に、すまない」
息が止まりそうになった。シノブが言っていたのは、このことか。声が出ないアズマに、リカルドは一生懸命に、弁明を始める。
花食みが、花生みに執着し、一歩間違えば依存してしまうことは知っているだろう、と問われる。
無論、愛する主人の特質に関する事項はきっちりと頭に入っている。だがアズマは記憶しているだけで、その本質を理解しているとは言い難いものだと、今初めてわかった。
「花生みに限らないんだ。花食みは、コレと決めた人間を一途に愛し、時に粘着する。その多くが花生み相手だっただけで、同じ花食みであったことも、普通の体質の人間であったこともある」
初耳であった。百花王の記録は、少し難しい文章が読めるようになった十歳の頃からずっと読み通しているが、花の館に迎え入れられたのは、花生みばかりであったはずだ。そうでなければ、ブートニエールにはなれない。花食みと花生みは一対の存在なのだから。
「そう。自分のものにしなければ気が済まないのに、花生み以外はつがいにできない。だから、王家には代々、秘薬の製造法が伝わっている」
それは、人間の身体を花生みに作り替える秘術。
そんな薬を飲んだ記憶はない、と断言したアズマに、「いつも飲ませていた」とリカルドは真顔で告げた。
いつも飲まされていた、もの。
「まさか……殿下のブレンドしたお茶、ですか?」
彼は頷いた。
「ああ、あの中に薬草を混ぜていた」
薬に精製すると、非常に独特な苦みが出るからバレると思って、試行錯誤したんだ、と告白をされ、アズマは衝撃のあまり、よろけそうになる。「危ない」と立ち上がり、自分の身体を支えるリカルドの腕は逞しく、安心して身をを委ねることができるが、今は自分の脚でしっかりと立たなければいけない局面だ。
アズマはリカルドの腕からやんわりと逃げ、離れた。
「体調不良は、身体を根底から作り替えられているせいだったんですね……」
呆然と呟くアズマに、リカルドはばつの悪そうな顔をする。
「すまない。変化が緩やかだった分、眩暈や頭痛なんかの症状も長引いたんだよな。しかも、俺の前から姿を消してから、花生みになっていたなんて……」
辛かっただろう、とリカルドが労わってくる。
すべてあなたが元凶じゃないか、と詰ることができる自分であったのなら、とアズマは思った。同時に、そんなのはもはや、私ではないな、と。
リカルドの罪の告白を受け、この心の内に溢れてくるのは嫌悪や憎しみではなく、ただただ歓喜であった。
自分ばかりが、相手のことを愛しているのだと思っていた。幼い頃からの恋心を殺して隠して、一生をかけて仕えることで、自身の愛の証明を行おうとしていた。
リカルドは、花食みというにはあっさりしているな、とは前から感じていた。その心に、重いものはない。愛するものをがんじがらめにしようという独占欲はないとばかり思っていた。今まで一番傍にいた自分が何も感じないのだ。そういう性格なのだろうと思っていた。
けれど、彼の愛情は、自分に注がれていたのだ。巧妙に、気づかれないようにと彼が振る舞い、アズマは鈍かった。あんなにもわかりやすく、自分以外と話したくないという態度を取ったり、ベタベタと触れたりしてきたのだから、気づくべきであった。
今、リカルドの自分を見る目の奥には、確かに炎が宿っている。恋と呼ぶには灼熱すぎる、炎だ。触れた瞬間、花が炭となってしまうほど、高温の火を宿している。
彼の愛になら、焼かれたい。ずっと、夢見たことなのだから。
「テオは……よいのですか? ずいぶんと仲がよかったみたいなので、私はてっきり」
「あの子はなんというか、うん、なんでもかんでもお見通しなんだ。俺がアズマに深く執着していることを一目で見抜いてさ。いろいろ相談に乗ってもらったよ」
何度か随行することのあった彼らの図書室デートのとき、内緒話をしていることが多かったのは、そういうわけか。目の前で自分のことについて話しているなんて、気がつかなかった。間抜けすぎる。
赤面し、反省するアズマの手を、彼は取った。
「アズマ。俺は君を、花生みに変えた。花食みの、俺の体液なしには、健やかには生きていかれない」
「はい」
「責任は取る。もとよりそのつもりだ。許せないと言うのなら、何度だって謝罪するし、どんな無理難題であっても、応えよう。だから」
言葉を切り、アズマの指先に口づける。そのまま引っ張って、アズマの手のひらに自身の頬を寄せるリカルドの目は、真剣そのものだ。そして、拒絶を突きつけられる可能性を考えて、怯えてもいる。
本当に、隠すのが上手い人。こんなにもわかりやすいのに、今まで自分に気取らせることがなかったなんて、とんでもない男。
「……もう二度と、私に嘘をついたりしないと誓えますか?」
「誓う!」
食い気味に返ってきて、あまりの勢いにアズマはきょとんとしたのち、おかしくなって笑う。すると、髪の毛からポポポ、と桜の花が咲いた。
「ああ……これがアズマの。君を飾るところを見るのは初めてだが、うん。やはり、いいな」
なんだか花だけなら見たことがあるような口ぶりだと思って、そういえば、シノブが花を持って行ったことがあったな、と確認する。
あっさりと、「私室に桜の花と、この場所の地図が置かれていて」と認めた。確実にシノブの仕業である。王宮の、しかも表の政治の場ではなく奥の王族のプライベート空間にまで入り込むなんて、やりすぎだ。
途端に皺が寄ったアズマの眉間に、リカルドはキスをした。身長差があまりないため、彼が背伸びをすることになって、やや格好がつかない。唇を離した彼は、アズマの長い黒髪に指を差し入れて、「もらっても?」と、許可を求める。
「ええ、もちろん」
桜の花がもぎ取られる。痛みがないのが不思議だと、いつも思う。自分から生まれた花弁が、リカルドの口に吸いこまれていく様子を、ただ見守っていた。
「……ッ、アズマ!」
小さな花である。一瞬で飲みこんだリカルドは、感極まったように名前を呼び、抱きすくめ、そして唇を奪った。顎を掬われ、舌を使われ、彼の唇から、唾液がアズマの口の中へと流れ込む。
甘露とはまさしく、このことか。
乾いた砂漠で、迷子の旅人が求めた命の水と同じくらい、自分にとっては貴重で、命を長らえさせるものだ。疑似的な薬なんかよりも効く。
唇の柔らかさをも堪能したアズマは解放され、潤んだ瞳に、リカルドの姿が映る。
「アズマ……君が欲しい」
婉曲的かつ直接的な誘いの言葉がわからないほど、アズマは子どもではない。
けれど、首を横に振った。
「なぜ!?」
受け入れられ、すべてを自分のものとするつもりでいたリカルドは驚き、肩を掴んで揺さぶってくる。
ここまで来て拒むのは、アズマとしても忍びなかったが、物事には順序というものがある。それを一切守ろうとしなかった主人に、ちょっとした意趣返しも必要だろう。
「最初がなし崩しだったので、今度はちゃんと、手順を踏みたいのです」
まずはデートをして、それからうちの親にも会ってもらいたいし、自分も陛下たちに挨拶をしたい。
「ちゃんとできたら、私のこと、まるごともらってください」
「ああ……! もちろんだ! 愛してる、アズマ!」
なんて、リカルドは嬉しそうに抱き着いてきたけれど。
成人の儀、百花王として立つまで忙しい中、順を追った婚約まで追加されることに気がつくのは、彼に伴ってアズマが戻り、スケジュールを淡々と整理し始めてからだった。
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