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ローストビーフにチャーシュー。それからチキンロールに、ステーキ。皿の上にたっぷりと載せた食事を、百合子は大きな口で頬張る。
「……百合子さんは、お肉が好きなんですね」
百合子の耳には浅倉文也のその言葉は、「よく食べる女の人っていいですよね」と翻訳される。
百合子は口の中で肉のジューシーさを味わいながら、ぱっと笑顔を向けた。よく食べて、よく笑う女の子は魅力的なものなのだ。百合子は自分の武器をよくわかっている、と自負している。
「ええ、大好き! 浅倉くん、知ってる? お肉って、ダイエット効果があるんですって! だからいっぱい食べても大丈夫なの」
美味しく食べてきれいになれるなら、百合子にとって願ったり叶ったりだ。そして同じ料金でたくさん食べられるビュッフェスタイルは、最高。
文也はいつもどおりの優しげな微笑みを浮かべて、自分が持ってきたサラダの盛り合わせのボウルを百合子の方に寄せた。
「でも、野菜も食べた方がいいと思いますよ?」
「えぇ~。でも、野菜ってどれだけ食べても、お腹膨れないじゃない? 勿体ないわよ。せっかくのバイキングなのに」
チキンロールの中にゴボウとニンジンが巻かれているから、十分に野菜は摂っている。サラダボウルの中に、ポテトサラダかマカロニサラダがあれば、百合子だって美味しくいただいていたのだが、残念ながら、葉物野菜ばかりだ。
骨付きのローストチキンを、百合子は手づかみにした。指も口も、脂でギトギトになるが、それが美味しさの証だ。
ふと百合子は、文也の皿の上の食べ物が、あまり減っていないことに気がついた。
「浅倉くん、食べないの? 美味しいわよ?」
「あ、はぁ……あまり食欲がなくて」
文也はサラダを口に運ぶ。皿の上には、パスタや温野菜、肉類も乗っているが、百合子の半分ほどの量しかない。
「男の子なんだから、食べなきゃだめよ」
うふふ、と百合子は指先の脂を舐めて、文也に流し目を送った。
浅倉文也は百合子の後輩だ。「初めまして」の挨拶をした瞬間、百合子は彼に一目惚れした。
爽やかで優しい微笑みを絶やさない。短大卒のせいもあったのか、百合子が彼の指導をすることはほとんどなかった。むしろ、彼の方が百合子のフォローに回ることさえあった。
廊下で持っていた書類をばらまいてしまったときに、文也は無視することなく、「大丈夫ですか?」と拾ってくれた。
顔だけではなく、中身も好青年だなんて、と百合子は感激した。
ずっと女子校育ちだった百合子にとって、恋愛は、漫画やドラマの中の世界の出来事であった。好きな俳優やアイドルはいても、自分の身に降りかかってくるとは思っていなかった。
渡辺家の女性は、百合子を含めて全員、肥満体であった。だが、誰もそれを気にしていなかった。世の中の女性たちが痩せすぎなだけなのだ。それが、渡辺家の常識であったし、なかなか体型のことは、外の人間が指摘することは難しい。
だから百合子は、自分が太っているのではなく、グラマラスなのだと信じていた。そして、豊満な肉体は、男にとって性的な魅力があり、惹きつけられるものだと思っていた。
恋愛経験のない百合子は、文也に大胆に迫った。周囲も百合子の想いに気づき、失笑するほどであったが、文也のことしか見えない百合子には、雑音に構っている暇はない。
ちゅぱちゅぱと指を吸いながら、意味を含ませた視線を送る。当然、性的な誘惑だ。この辺りにいくつかラブホテルがあることは、百合子もすでに調査済みだ。
文也がいくら、見るからに草食系であるとはいえ、そろそろその気になったところだろう。
百合子は三十を過ぎても処女だ。それを恥ずかしいと思うことはない。初めての体験すべてを文也に捧げられるのだから、むしろ変な男相手に捨てないで、正解だったのだ。
文也はすでに食事を終えて、口をナフキンで拭いている。上品な仕草の彼が、自分をどう美味しく食べるのか。
想像するだけで百合子は口の中にまた、唾液が充満していくのを感じた。
アイスクリームでも食べて、まずは落ち着かなければ。
百合子は一度、席を立った。
>2話
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