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木楊が呼んできたのは薬師だけでなく、体力の有り余っている若者たちもいた。その人数をもってしても、龍の姿のままでは、砂流の街まで運ぶことは不可能であっただろうから、人型に変化するだけの体力が戻ってよかった。
「結構だ」
森にやって来たのは、例の長老のところの孫息子もいて、彼が肩を貸そうとしたが、すげなく断られている。
薬師に手渡された布で身体を覆った青龍族の男は、じっと琥珀を見つめた。視線が衣服を貫いて、胸元に隠した鱗を睨まれている気がして、さっと身体の向きを変える。
「お前が手を貸せ」
「は?」
なんで俺が。
自分以外の人間に介助を頼むために、木楊に人を呼ばせたのだ。小柄かつ一応貴族の琥珀は、他人の介助をした経験がない。
薬師に目を向けると、彼はおどおどしながらも、男に意見する。
「その、なぜ琥珀様をご指名なのでしょうか?」
元々はもっと大きな街に店を構えていた薬師である。貴族のお抱えであったこともある。彼は正しく、目の前の男の位を経験から把握している。
男は言葉では答えなかった。ただ、首の左側を指す。そこは龍人の証たる鱗が剥がれた証拠に、色が変わっていた。琥珀の手元にある鱗、彼の言うところの逆鱗が生えていた部分である。
その瞬間、薬師はハッとして、頭上の耳を震わせた。尾がぶわりと膨らんで、驚きを表している。そのまま琥珀に目をやると、慌てた様子で詰問してくる。
「琥珀様! まさかあなた様、こちらのお方の逆鱗を、剥がしてしまわれたのですか!?」
「え? あ、ああ……いや、わざとじゃないんだ。手当てをしようと触れたら、ぽろっと」
無理矢理剥がしたわけじゃないと言い訳をするが、薬師はあまり聞いていない。頭をガシガシと掻きむしったかと思うと、地団駄を踏む。常に冷静な彼のありえない態度に、琥珀だけじゃなく、一緒に森に来た連中も目を丸くしていた。
「そ、そりゃ悪かったとは思うけどさ」
「悪かった、じゃすまないんですよ! ああ、お館様になんと説明すればよいのでしょう!」
取り乱す薬師をよそに、青龍族の男の目は凪いでいた。喜びも悲しみも、どこかへ消え去ってしまった、無の感情。いや、努めて無であろうとしているのだろう。琥珀にはわかる。ご立派な身分の御方というのは、たいがい自身の気持ちを隠すのが上手いものだ。
彼が秘めているのは、怒りや憎しみなんて簡単な言葉では表せない。もっと強い、憤怒や憎悪。そしてその礎となっているのは、絶望。そんな風に感じた。
「お前、名前は?」
「琥珀、だけど。そういうあんたは?」
琥珀のぞんざいな口調に、薬師は「ひぃ!」と悲鳴を上げた。うるさい外野について、男は無視を決め込む。
「私は、紫嵐だ」
「紫嵐……」
遠い昔、よく似た名前の知り合いがいたな、と思う。そういえば、あの子も青龍族であった。目の前の男とは似ても似つかない。白銀の髪をした、愛らしい顔立ちの子ども。彼も青龍の賓客であった。今頃、どこで何をしているのだろう。
過去の記憶に引っ張られていると、「おい」と、思ったよりも近い場所で低い声が聞こえた。見上げれば、すぐそこに紫嵐がやってきている。白虎族の若者と比べても、ひときわ背が高い。青の目を睨め上げるには、肩や首が痛くなってしまう。
琥珀が凝りをやわらげるために首を左右に倒していると、頬に触れられた。指先が固くなっていて、自分と似ていると思った。ああ、この男も苦労して生きてきたんだな、と同情心が湧いた。
じっと覗き込まれるとこそばゆく、けれど視線を外したら負けのような気がした。なんだか妙な雰囲気だな、と琥珀がむず痒く感じていると、ぱっと手が離れていく。
「嫁にするには、少々生意気そうだが……まぁよい」
「……は?」
たっぷりの間を置いて、琥珀は間抜けな声を上げた。
なんだかとんでもない言葉を聞いたような気がするが、気のせいか?
いや、空耳とするには、周囲のざわめきが異様である。琥珀のことをあまりよく思っていない連中は、親分に倣って馬鹿笑いをしていて、紫嵐の言葉の意味を考えようとする集中力の妨げになる。
嫁? 嫁と言ったか、この男!
目が大きく、小柄で細身というだけで、琥珀は女扱いされ、馬鹿にされることもあった。「若」という呼び名は、「馬鹿」ともじられるか、「姫」と軽んじられるかのどちらかであった。初対面の男、しかも彼の命の恩人であるにも関わらず、女扱いをされるなんて、ひどい侮辱である。
「あんたさぁ」
文句のひとつやふたつぶつけないと気が済まないと尻尾を鞭のようにぶん、と振って地面を叩く琥珀を、薬師と木楊が必死になって止める。
「紫嵐様。そのお話は、琥珀様のご両親の前でどうぞ、ゆっくりといたしましょう! まずはこの森を出て、傷の手当を」
促された紫嵐は、最後の最後まで琥珀を見て、「ふ」と、鼻で笑い、薬師の先導によって、森を脱出する。
「……なんだ、ありゃあ!」
怒りを爆発させる琥珀に、げらげらと性格の悪い笑い声が、蝉時雨に負けないくらい響いた。
紫嵐は琥珀たち一家の暮らす屋敷で療養することとなった。薬師も泊まりでの看病を申し出る。
没落貴族の我が家よりも、長老の家の方がよほど部屋数もあるし、使用人も多く快適であろう。実際、紫嵐が青龍族の有力者であると見た長老の孫息子は、自分の家に来るように熱心に誘っていた。琥珀や琥珀の両親のことを心底侮っているのである。
だが、紫嵐は頷かなかった。標的を薬師に移すが、「長老様のお屋敷の方が、何かと行き届いておりますので」と、医療者の立場から勧めると思われた彼は、首を横に振り、琥珀の家での静養を申し渡したのであった。
薬師は森の中から、手紙を脚にくくりつけた鳥を飛ばしていた。店で留守番をしている弟子を通して、琥珀の父に紫嵐のことが伝わっていた。簡素な車に乗って街へとやってきた紫嵐を、父は最高の礼をもって迎えた。
「この度は、我が息子である琥珀が失礼いたしました」
「うむ」
寝台の上で詳しい診察と治療を受け、母が用意した寝間着に着替えた紫嵐は、父の平身低頭の謝罪と挨拶を、たった一言で流した。もっと何か言うことがあるだろうし、父は父で、開口一番、息子の失態を詫びるというのもおかしな話だ。だいたい、自分は紫嵐に対して無礼なことをしたつもりはない。第一発見者として、十分すぎる対応をした。
「父さん、俺は……」
食ってかかろうとした琥珀を、父は視線だけで制した。田舎の役場で閑職に追いやられているとはいえ、彼は都で鳴らした貴族であった。子どもの時分に没落した琥珀は知らない、貴族の子息として当たり前に身に着けるべき態度や威圧の出し方を、父はよく知っている。たとえ普段は発揮することはなくても、今でも行使することができるのだ。
琥珀はぐっと詰まり、引いた。後ろには母親が控えていて、父と同じく、紫嵐にへりくだっている。
「青龍族の掟に則り、その方の子息は我が伴侶となる。拒否権はないが、よいな」
森で「嫁」と言われたのは、空耳ではなかったらしい。親に向かってはっきりと、琥珀の身をもらい受けると紫嵐は告げた。まるきり求婚だが、琥珀は完全に話についていけていない。どうして自分が男の元に嫁がなければならないのか、口を挟もうとしては、母に袖を引かれて止められる。
父は小さく頷き、「しかし」と、反論を始めた。さすがに一人息子が嫁をもらうのでなく、嫁に行くのは、いかに優しくのんびりとした父親でも、防がなければならないと、戦う気でいるのだ。
「その前に、確認させていただけますか?」
「ああ、いくらでも」
寝台に寝そべった男は、面白そうな目で琥珀たち親子を見てくる。気に入らないと睨みつけていれば、父が目の前に立って遮る。
「父上……」
自分の味方をしてくれるに違いないと思っていた父親の表情は、普段の柔和なものとは違い、険しいものだった。眉間に皺を寄せ、目を尖らせる。物心ついたときから困ったような笑顔の父しか知らない琥珀は、有無を言わさぬ迫力に押されて何も言えなかった。
「琥珀。お前、紫嵐様の鱗を持っているか?」
詰問に、胸の辺りを無意識に押さえた。そこには確かに、紫嵐の首から剥がれた鱗が入っている。見せなさい、と言われて、琥珀はすぐに取り出した。
「これが……」
恐る恐る取り上げた父は、光に透かすなどして、じっくりと観察する。それが本当に、紫嵐の言うところの逆鱗であるか否かを確認している。
「そんなに見ても、逆鱗かどうかそなたらにはわかるまいよ」
紫嵐の見た目は琥珀とそう変わらない。にも関わらず、彼の言葉や態度はずっと年上のようだ。自分の父と同世代であろう琥珀の父に対しても臆せず、不遜な態度を取り続ける。
紫嵐にそう言われても、しばらく粘っていたが、やがて諦めた。父は紫嵐に鱗を返すと、深々と頭を下げた。
「紫嵐殿下の仰せのままに」
「父上! なんで……っ」
悲痛な叫びによる問いに答えたのは、紫嵐であった。
「お前が剥がした私の鱗は、ただの鱗ではない」
逆鱗。それは、青龍族の身体にある、特別な鱗。他人には触れることすら許されず、触った者には容赦なく攻撃をする。人型のときにも首筋に残り、そこを守るため、青龍族は首の保護をするのが一般的だ。庶民は布を簡単に巻きつけるだけだが、富裕層はそれぞれに贅と趣向の限りを尽くした首飾りをわざわざ製作する。
いわゆる急所であると、琥珀は理解した。けれど、ぽろっと落とす前から傷ついて、ボロボロであったことまで自分のせいにされては困る。
何もわかっていないのだな、と紫嵐は薄く笑った。冷たい表情で、こちらを馬鹿にしているとしか思えない。
説明の後を引き継いだのは、真剣な顔をした父だ。その目には、哀れみが宿っている。
「大切な逆鱗を剥がした者はすなわち、その青龍族と婚姻関係を結ばなければならない掟なのだ」
「は」
何度目かの絶句。琥珀はどうにか思考を巡らせ、父の言葉を反芻する。
自分以外に逆鱗を触れさせてもいい、剥がして渡してもいい。そんな相手は、永久の愛を誓った者だけである。青龍族はいにしえからのしきたりで、婚約の際に逆鱗を相手の手で剥がさせ、与えた。お互いに青龍族であれば、交換した。
「そんな、あれは事故で! 最初からほとんど剥がれていた! 俺は手当てをしなきゃって思って……!」
恩を仇で返された。そんな気分だ。必死に反論する琥珀の意見は考慮されることがない。父は首を横に振り、「事故であったとしても、すでに逆鱗を失った紫嵐様は、他のお相手を探して結婚することもできない。お前が責任を取るしかない」と諭してくる。
「でも、俺は男で! あいつも男だ!」
琥珀は一人息子で兄弟はいない。向こうは青龍国の王子だというから、血を残す義務がある。男同士では、子を成すことはできない。至極当たり前の理論で、どうにか回避することはできないか。
琥珀の考えは甘く、紫嵐には鼻で笑われる。
「私は第五王子だ。王位継承する可能性など、ほぼない。血を繋ぐ必要もない。結婚するつもりすらなかったが……こうなっては仕方がないだろう」
「仕方ないって……」
家族を何よりも大切にする、愛情深い白虎族の家庭に生まれ育った琥珀には、紫嵐の何もかもが信じられない。今までいい雰囲気になった女性はいても、恋人として付き合うまでには至らなかった自分も、いつかはきっと、結婚して子どもを作って……という夢想をしていた。
この男には、家族への情や憧れというものがないのだろうか。
疑問と、わずかに心配を込めた金の目を向けられている紫嵐は、なんとも思ってなさそうな風である。
「とにかく、お前が私の逆鱗を最終的に剥がしたのは事実。伴侶となることは不可避なのだ。諦めろ」
諦められるわけあるか!
琥珀は「でも」とか「だって」を繰り返す。父も諦念に満ちた目をして肩を落としている。膠着状態を打ち破ったのは、それまで口を挟まずに黙っていた、母親だった。
彼女は琥珀の腕を取ると、客間から出そうと強く引っ張った。母は自分よりもずっと小柄で力も弱いはずなのに、なぜか琥珀の抵抗をものともせず、ずるずると扉の前まで引きずる。
「母上! 何を……」
にっこりと微笑んだ彼女の目は、興奮の色を帯びていた。そしてその笑顔のまま、紫嵐や夫の方を見て宣言する。
「婚儀は一週間後でよろしいですか?」
「は?」
突然の妻の暴走に、父は目を丸くする。紫嵐もあっけにとられていたが、気を取り直すのは彼の方が早く、喉の奥でくつくつと笑った。
「私の方は構わない。傷もその頃には、回復しているだろう」
いや、俺は構うんだが!
口を開きかけた琥珀より早く、一歩前に出て礼をした母が喜々として応える。
「それでは、息子の準備をこれより始めますので、我々は失礼いたしますわ。紫嵐様におかれましても、傷が治りましたら、婚礼のお衣装の準備をさせますゆえ、まずはご養生を」
一息に言うと、琥珀の尻をぎゅっとつねってそのまま外へと促す母に逆らえる男は、その場にいなかった。
――そして一週間後の今日、街を挙げての盛大な婚礼と相成ったわけである。
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