不本意な結婚~虎の初恋、龍の最愛~(15)

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(14)

 目が覚めると、辺りは薄暗かった。昼までの記憶しかない琥珀は、今がどのくらいの時間なのかもわからず、身体を起こそうとして失敗した。頭が痛い。肩が痛い。うう、と呻き声をあげると、「大丈夫か?」と、小さな呼び声が耳に届く。

 光源になっているのは、机の上の燭台であった。そこで何か書き物をしていたらしい紫嵐は、寝台に近寄って琥珀を再び寝かせた。

「怪我をして、熱が出ている。医者にも見せたが、しばらくは安静だそうだ」

「うぅ」

 足手まといになってしまうことを嘆くと、紫嵐は珍しく、柔らかく笑った。布団の上から琥珀の胸あたりをぽんぽんと叩くと、

「子どもたちがありがとうって言っていたぞ」

 と言う。怪我の功名とでもいうべきか、それは唯一のよかったことと言えそうだ。けれど目の前で大の男が木から落下したことは、彼らを大層驚かせてしまっただろうから、元気になったら謝らなければな、と思う。

 紫嵐は琥珀の額から落ちた手ぬぐいを拾うと、氷水につけて硬く絞り、再び載せた。ひんやりとして気持ちがいい。熱はまだまだ上がるだろう。怪我の多いやんちゃな幼少期を送ってきたから、体感でわかる。

「ごめん」

「いや。黄王の託宣をいただくにしても、朱倫の準備やらふさわしい日取りを選ばなければならなかったりだとか、いろいろあるからな。気にせずにゆっくり休め」

 慰めで嘘を言う男ではない。日程に余裕があるのは本当のことのようで、琥珀の肩からは力が抜ける。しばらく倒れていても大丈夫そうだ。

 それにしても。

 琥珀は紫嵐を見上げた。部屋の中はもちろん、扉一枚隔てた外にも、人の気配はない。こういうときに率先して動く役割の木楊がいない以上、誰が看病をするのかという問題はある。実際、船の中では黒麗や燦里、琥珀との関係性が築けていない人間ばかりだったため、紫嵐が看病を担うのは仕方のないことだったが、今回の場合は宿の主人が世話をしようと申し出たのではないか。

 怪我のきっかけは、彼の子どもたちの依頼を受けたことだ。そういう義理に篤そうな人物であった。

 けれど紫嵐ひとりということは、彼が断わったに違いない。

「どうして俺なんか」

 と、疑問が口をついて出た。熱で頭が働いていないのだ。思ったことがそのまま飛び出してしまう。

 じっと顔色を観察していた紫嵐の眉が、ぴくりと動いた。睨まれているような心地がして、琥珀は目にいっぱい涙を溜める。自制心がきかない。

「だ、だってさ、お前に全然釣り合わないだろ。木楊のときも思ったけどさ、朱雀の姫様は」

 女で、お前と並んでいる姿も絵になっている。極めつけは、

「お前のことを、『ラン』なんて、特別な名前で呼ぶ」

 遠い過去、琥珀の心を動かした可愛い友達と同じ名前で、紫嵐は彼女に呼ばれている。他の誰も呼ばない呼び方を、彼は許容している。特別扱いしている女がいるなら、逆鱗の掟なんか無視してしまえばよかったのだ。

 どうせ、青龍国に戻って王族としての務めを果たすつもりもないくせに。朱雀国の姫に婿入りすれば、向こうも手を出せなくなって一石二鳥だ。

「と、特別な女がいるなら、俺なんかと結婚すんなよ」

 ずび、と鼻を啜り上げる。見上げる紫嵐は俯いて……肩が少し、震えていた。もらい泣きではない。これは明らかに、笑いをこらえている。

「紫嵐!」

 怒鳴ればずきりと頭が痛んだ。もういい、寝る。ふて寝してやる。久しぶりにふたりきりになれたとか、そういう感情がしゅるしゅると萎えていく。そっぽを向いて目を閉じても、感情が高ぶって眠気がまったく来ない。

「すまない。馬鹿にしたわけじゃない」

 紫嵐の方を向かずとも、寝台に重みが加わり、衣擦れしたことで彼が空いている場所に腰を下ろしたことがわかった。絶対に顔を見せてやるものか、と毛布を頭からかぶる。少し暑い。

「朱倫とは、本当に小さい頃に知り合ったから、そのときの呼び名を今も使っているだけだ。お前が嫌ならやめさせるし、あいつも納得する」

「……」

 無言でちらっと目だけ出して窺う。本当かよ、という疑いの眼である。

「国にいれば、命が危ういからな。子どもでは、戦う力も知恵もない。叔父が手を回して、療養のためと称してあちこちと外国を巡ったんだ。そのときに、朱倫とも出会って、あれは私のことを、兄か弟のように思っている。だから勝手に結婚したのを怒っただけだ。すでに仲睦まじい婚約者もいることだし」

 聞き覚えのある経歴に、ドキリと心臓が大きく跳ねた。叔父に連れられた幼い子どもの存在に、心当たりがある。

「ランって……」

「ああ。本名を明かすと危険かもしれなかったから、叔父に言われて『ラン』とだけ名乗っていた……白虎国の王宮でも」

「!」

 琥珀は身体を起こした。その背中を紫嵐が支えてくれる。見つめてくる彼の目が優しく、うろたえる。その奥には深い信頼がある。

「逆鱗の掟など、無視したってよかった。私は青龍族だが、もう戻る気はない。それでもお前と婚礼を挙げたのは……」

 挙げたのは、と繰り返す琥珀の頭を、傷に障らぬようにそっと撫でた。

「お前がレンだからだよ。あの頃と全然変わらない」

 そんなことはない。背もぐっと伸びたし、同年代に比べて幼いと言われがちな顔だって、輪郭は丸みを失い、精悍さもあると自認している。反論しかけた琥珀の唇に紫嵐は指を押し当てて黙らせた。

「変わらない。見た目もだが、中身も。子どもに優しいだろう? それに、私の手当をしたのだって、あのとき泣いていた私を助けてくれたのと、同じだ」

 だから、木楊を粗末に扱っていたときに、あれだけ怒ったのかと気づく。正義感の強かった「レン」が、耳無しの従者を差別するような人間だったのが、許せなかったのだ。

 そしてその過ちを認めたあとに、急に優しくなったのは、自分が「レン」のままであることを再確認したからだ。

「紫嵐……」

 一度立ち上がった彼は、机から何かを取って、寝台に戻ってきた。琥珀の胸に寄越したのは、黒銀の鱗だった。船酔いのときから琥珀が預かっていたが、再び体調不良を癒すために祈りを籠めてくれていたのだろう。ぎゅっと握りしめると、温かい。

 窓から差し込む月の光に、ふっと影が差した。頬に触れる指はひんやりとして、自分が火照っていることに気がついた。

(あ……)

 来る、と思った瞬間、自然と目を閉じていた。うっすらと開いた口に、紫嵐の唇が下りてくる。柔い肉の感触は一瞬で、すっと離れていく。口づけは初めてではなかったが、こんな風に思いがこもったものはしたことがなかった。

「あの頃よりも、逞しくなっただろう? 守られてばかりの私ではないからな」

「……馬鹿」

 抱き込まれて、琥珀はいよいよ真っ赤になった顔を紫嵐の胸にうずめるのであった。

 結局、琥珀が完全に回復するまでに一週間かかった。怪我に加えて様々な疲労の蓄積もあったせいか、熱がなかなか下がらなかった。

 紫嵐は毎日何くれとなく世話を焼き、逆鱗に祈りを封じ込める。黒麗はそんな彼を見てげらげらと笑っては、朱倫に耳を引っ張られて退散させられる。

 その朱倫姫はというと、琥珀の面会謝絶(紫嵐によって一方的に行われていた)が解けてから、わざわざ見舞いに来てくれた。巫女姫様のお忍びでの来訪に、宿の主人はさすがに目を白黒させていた。巡礼の宿とはいえ、普段神殿から出ることの滅多にない姫が来るのは、珍しいことであった。

 部屋の外はてんやわんやの大騒ぎをしていたようだが、彼女は慣れているのだろう。気にした風でなく、寝台から起き上がり、立ち上がろうとした琥珀を制してそのまま座らせると、頭を下げた。

 見舞いに来るのだけでも「姫様に関係のない事故だったのだから、気にすることないのに」と思っていた(そう、紫嵐と朱倫が寄り添っているように見えて落ちたのは、琥珀自身のせいである)(ちなみに、あのときは朱倫が目にゴミが入ったというので紫嵐が覗き込んでいただけだったという)のに、頭を下げられるのは畏れ多い。

「あなたの夫を独占して、悪かったわ。あなたはこの国にひとりも知り合いがいないのに、私が気遣うべきでした」

 夫、と言われて先日の口づけを思い出し、頬が火照った。ごまかすように首を横に振り、「どうか頭を上げてください。俺は別に気にしてないですから」と言う。彼女の後ろでは、紫嵐はいつもどおりの仏頂面だし、黒麗はこちらの顔色を見て、ニヤニヤしている。

「久しぶりに幼馴染に会って嬉しくてはしゃいじゃったの。本当に、ごめんなさいね。私とも、仲良くしてくれるかしら?」

 艶やかに微笑む彼女は美しくて、やっぱり紫嵐とはお似合いだったけれど、胸はもう痛まなかった。もちろん、と返事をすると彼女の表情は無邪気なものへと一変する。今度婚約者を紹介するわ、と、巫女としての仕事が忙しい朱倫は、神殿へと帰っていく。

「あ、そうそう。そろそろ準備が整うわ。次の満月の日に、託宣の儀式を行うから、それまでに治れば嬉しい」

 去り際に、そう言い残して。

 何をしに朱雀国に来たのかをにわかに思い出し、琥珀は紫嵐の表情を窺った。朱倫を見送る目は、少々険を帯びている。

 自分がこれから成り代わろうとしている黄王直々の言葉をいただくのだ。緊張もするだろう。

 琥珀は彼の袖を控えめに引いた。二度目でようやく気がついた紫嵐は、視線を落とす。

「俺、本格的な儀式を見るのって初めてだ。どんななんだろうな。楽しみ」

 あえて軽口を叩いた。馬鹿を演じた。紫嵐の負担にならないように。

 彼は小さく息をつく。琥珀の気遣いなんて、きっとお見通しに違いない。大きな手のひらで頭を撫でてくる。その力が少し強かったので、わ、と声をあげた。

「完全に治らなかったら、布団の住人のままだからな」

「え~」

 それが嫌なら早く治せ。

 紫嵐は、自分が乱した琥珀の髪の毛を、優しく整えた。

 ――そして、果たしてその日を、琥珀は完全に回復した状態で迎えた。

 儀式の間では、それぞれの種族を表す色の衣服を身につける必要があった。琥珀は白。紫嵐は不本意そうに、青の衣装を纏っていた。よく似合うけれど、青龍族である自分をなるべく意識したくない彼の気持ちはわかる。

 埃を払うという言い訳で、紫嵐の広い背中を叩き、琥珀は彼を促した。

 神殿の中でも、儀式の間は厳かで、関係者以外は立ち入り禁止だ。今、中にいるのは朱倫と神殿の長だけである。準備が整い次第、琥珀たちは入室を許可される。扉は分厚くて、中の音は聞き取ることができなかった。

 会話に興じるという雰囲気でもない。いつもなら、時と場所と場合を考えずに黒麗が他愛のない話を始めて、緊張が緩んでいくのだが、あいにく今日は、彼は不在であった。

 てっきり黒麗も一緒だと思っていた琥珀は、朝早く、彼が別行動で、と言ったことに違和感を覚えていた。面白そうだから、なんて理由で旅にくっついてきて、朱雀国くんだりまで来た男である。知己である朱倫が巫女として神の言葉を語るなんて、見逃せないと思うのだが、「野暮用でさ」と、ふいっといなくなってしまった。

 そんなわけで、琥珀は紫嵐とふたりきりである。紫嵐はこちらを見ずに、落ち着かない。琥珀は彼の手をぎゅっと握ることで、励ました。

 そうしてどのくらいが過ぎただろうか。ようやく入室を促されたときには、すでに琥珀は疲れていた。特別に自分たちがなにかをすることはないと朱倫からは聞いているが、逆になにかがあった方が気が紛れてよいのにな、と思う。

 祭壇の上には、火が焚かれている。ゆっくりと振り向いた朱倫の顔が、火影に照らされて幻想的な美しさを際立たせていた。

 真っ赤な巫女服は正式なもので、いつも着ているものよりも袖や丈は長めだが、その分生地は薄い。天女の羽衣とはまさしくこれかというほど、この世のものと思えなかった。

 彼女が一礼するのに合わせて、琥珀たちも頭を下げる。下げっぱなしの方がいいのか、と迷ったが、気配で隣の紫嵐が顔を上げたのがわかり、琥珀も倣った。

 黄王の託宣を授かるための儀式は、ただただこの世のものとは思えなかった。歌と踊りが祈りの手段である。不思議な節の、意味の通じぬ古語を朗々と唱え、手首につけた鈴をしゃんしゃんと鳴らし、舞う。

 祭壇の炎はゆらゆらと揺れ、彼女の舞踊が操っているかのように、ぴったりと合わさって火の粉が散る。

 暑さも相まって、琥珀の瞼は次第に降りていく。寝たらダメだ。さすがに失礼だ。言い聞かせるのだが、琥珀の肉体はすでに自分の制御下になく、ふらふらと揺れている。

「ハッ!」

 鋭い発声に、肩が跳ねる。男とも女ともつかぬ、まさしくそれは、神の声。眠気などすぐにどこかへ行ってしまい、琥珀は朱倫を見つめた。顔立ちまでもが、いつもとは違ってしまっている。近づいてくる彼女から、目が離せない。

 朱倫は、紫嵐の前までやってきて、歩みを止めた。右の人差し指で、彼を指し示す。

「青龍族の紫嵐。黄王を目指す者」

「はっ」

 短く応え、頭を深く下げる。琥珀も彼と同じ動作を取った。

 そのとき、女が笑った気がした。音もない。当然、床を見つめている自分の視界からも外れている。だから実際にはどうかなんてわからないのに、琥珀は確かに、「笑った」と感じた。紫嵐は気づいていないかもしれない。ちらりと横目で窺った彼は、唇を引き結んだまま、一定の表情を保っている。驚きや戸惑いはない。

「我に代わりたくば、汝のもといた場所へ帰れ。青龍の国で、なすべきことをなせ」

 朱倫の口を借りた黄王の言葉に、紫嵐は目を見開き、顔をあげた。彼女自身の考えではないのに、睨みつけている。

 ――戻る。青龍国へ。紫嵐の命を狙う者ばかりが集う、伏魔殿へ。

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