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本来ならば剪定師は、酸いも甘いも噛み分けた、成人男性貴族が担うはずであった。実際、宰相以下内務大臣、典礼大臣らの合議によって、選定は始まっていた。リカルドが十五になる年だった。
そこにアズマは、単身で殴りこんだ。
リカルド殿下の意志を最も尊重し、彼の幸福に寄与することができるのは、自分である、と。他の候補者は若くても三十五歳。リカルドの父、ガートゥン王とほとんど同世代だ。
リカルドも、彼の永遠のパートナーとなる花生みたちも十代の若者だ。剪定師は主人の行くところどこへでも行く。自分の父親や祖父と同じくらいの年の人間が見張っている場所で、よき関係を築けるか? 自分なら、とてもじゃないが無理だと思った。
「それに比べて私は、リカルド殿下のひとつ上、すでに学園に在学しております。よき先輩として、殿下や花生みの皆様方を導けるよう、日々努力を重ねているのです」
勉学はもちろん、有事の際には身体を張って主人と彼の大切な人を守ることができるように、身体を鍛えている。さらに人を見る目を養うために、イザヨイ家の分家であり、現在も諜報活動を得意とするモチヅキ家の当主に直談判し、特別に弟子入りを許された。
当主の息子であり、隠密衆の次期棟梁であるシノブ・モチヅキは「そういうのは俺が知っていればいいのに」と、グチグチ言っていたが、非常に有意義であった。
「モチヅキでの修行中は、いろいろ面白いことを見聞きしました。機会があれば皆様ともお話ししとうございます」
その中には大臣の一族が関わるスキャンダルがあったりなかったり。アズマは自分が知っているのだ、ということを言外に匂わせた。
剪定師は学園在学中だけではなく、リカルドが花の館に入ってからも一番近くで仕える、大切なお役目だ。こうした権謀術数も時には必要となってこよう。
「し、しかしだね、君はイザヨイ家の嫡男だろう?」
「そうだ。イザヨイ家の後継者問題がある。イザヨイの家がつぶれてもよいのか?」
花の館は、半ば神殿のような立ち位置である。政治にはかかわらず、文化の発展に寄与し、花の王国のメンツを保つ役割を負う。花の女神に選ばれた王……公爵は百花王とあだ名される。
そこに仕える人間は、本格的な出家者ほど厳格ではないが、正式な結婚は許されない。内務大臣たちは、貴族としての務めを果たすため、剪定師を諦めろと説いてくるが、アズマはすでに、その問題を乗り越えていた。
「ご心配には及びません。すでにわたくしは、イザヨイの本家からは分籍いたしましたので」
後継は次男に譲り、しかるべき方法できっちりと戸籍を分けた。イザヨイという姓に変わりはないが、今の自分は宙ぶらりんの身分である。爵位というものは王家から与えられるもので、現在アズマは貴族でもなんでもなかった。
堂々と述べたアズマに、宰相は頭を抱えた。
「……貴族の分籍や廃嫡には、国王の承認が必要だったはずだが……」
「ええ、いただいております」
大臣たちを飛び越えて、直接王族へとコンタクトを取ることができるのは、イザヨイ家の特権である。どの家よりも、たとえガートゥン王家から分かれた公爵家だって、建国のときの右腕であった侯爵家だって、イザヨイ伯爵家の忠誠心には敵わない。
「陛下……」
さらに頭痛を覚えたらしい宰相の顔は、赤かったり青かったり、複雑な色合いをしていた。
陛下は親ばかで、ついでに王太子も兄ばかだ。第二王子のリカルドのことをこの上なく可愛がって(というには、あの弟君はいささか発育がよすぎるが)いる。ずっとリカルドのことを第一に考えてきたアズマが、学園でも、王族でなくなってからも王子と一緒にいるというのに、一も二もなく、分籍の申請書類にサインをしてくれた。
「本当によいのか? まぁ、内縁の妻を迎えることは可能だが……」
まだ若いアズマを普通に心配してくれているのは、典礼大臣である。健康に問題もなく、家族仲も良好、経営している領地の状態も決して悪くはない。若い身空で半出家状態になることはないのでは、と彼は問いかける。
アズマは首を横に振った。
「私たちイザヨイの家は、遠い昔、祖国が滅びた際に、時のガートゥン王に救っていただきました。そのご恩を返すためにも、私はリカルド殿下に生涯を捧げると誓いました。妻子など、作る気は毛頭ございません」
齢十六の少年が宣誓するには、重すぎる内容だったが、宰相たちは知っている。
王家が絡んだときのイザヨイ家の人間は、誰の言うことも聞かない。幸い、歴代のガートゥン王は無能でも愚かでも狡猾でもなかった。完璧とは言わないが、少なくとも悪しき心で民に圧政を強いることはなかったし、他国へ侵略戦争をしかけることもなかった。
もしも主が狂った王であったとしても、イザヨイとその分家は、王が右を向けと言えば向く。殺せと言えば殺すし、死ねと言われたら、死ぬ。
ガートゥンの歴史を学んだ貴族たちは皆、そう信じている。イザヨイの人間は、忠犬であり、少々頭が足りない、馬鹿犬であると……。
そしてここにも、愚かにも身分を捨てて自分の敬愛する主人に一生を賭けると誓った犬がいる。見た目はそれこそ、貴婦人の足元に侍っていそうな毛足の長い美しい犬だが、実態は敵とみなした者すべてに噛みつく狂犬が。
アズマは言葉を変え、自分自身の覚悟を滔々と並べたてたが、地位ある大人たちは即決できないでいる。今すぐこの場で言質を取ろうと意気込むアズマは、五分十分、一時間に渡って会議室で大臣たちを説得していた。
膠着状態に、いよいよ内務大臣の額に青筋が浮き上がってきたときのこと。
「……どうぞ」
会議室の扉が叩かれた。外はなんだか騒がしい。困ります! と、見張りの兵が止めようとしているが、強い叩打に、誰が来たのかを宰相は察知して、額を押さえながら入室の許可を出した。
バーン、と勢いよくドアを開けてまず入ってきたのは、金に波打つ髪の毛だった。ついで、少々焦ったような青い瞳。アズマの一生涯の主である。
「リカルド殿下!」
彼は少々急いでやってきたらしく、室内の人間を見回したあと、呼吸を整えた。そして目をぱちぱちとさせるアズマに向けてにっこりと微笑んでから、キリリとした表情で、宰相たちに立ち向かっていく。
ああ、なんて凛々しいお姿なんだろう!
思わず、うっとりと見惚れる。リカルドが何か一生懸命に訴えているが、何も頭に入ってこなかった。アズマはリカルドを前にすると、少し、いや、大いに馬鹿になることを自覚していた。普段は気を引き締めているのだが、今日は頭の固い大人たちを相手に舌戦を繰り広げていたもので、疲弊していた。緩んでも仕方がない。
リカルドの言葉に、宰相たちは「いや」「しかし」「とは言っても!」など、まともな反応はできていなかった。
最終的には痺れを切らしたリカルドは、アズマの肩をぐっと引き寄せ、宣言した。
「ガートゥン王国第二王子として、また未来の百花王としての命令だ! 私の剪定師はただひとり、アズマ・イザヨイを任命する!」
「殿下!」
「私のことを最も理解してくれているのは、長年の友であるアズマしかいない。それに、学園に見知らぬ大人がいれば、新入生は特に、萎縮してしまうだろう。私は皆を恐れさせる学園生活など、ごめんだ」
リカルドは、アズマの肩から腕を外し、向かい合って両手を握り締めた。幼い頃もこんなことがあったな、と懐かしく思う。変わらないのは、目の輝き。変わったところは、いろいろ。男らしく、精悍な顔つきになった。
「アズマ。俺に仕えてくれるな?」
「もちろんです、殿下。私の身も心も、命さえも、あなた様に……」
もはやふたりの世界である。宰相は机に突っ伏し、白旗を挙げた。
リカルド本人の激烈な後押しもあり、アズマは望みどおりに剪定師の立場を手に入れた。しかも、リカルドは「アズマひとりだけ」と言った。剪定師は通常、二人~四人選ばれ、ローテーションを組んで、王子と対の花候補との橋渡しを行う。アズマ自身も、そのうちのひとりに入り込めればいいと思っていたが、まさかの単独任務になるだなんて。
会議室を退出し(正確には追い出され)、「ひとまず俺の部屋に行こう」と、清々しいまでの笑みを浮かべ、背伸びをしながらゆったり歩いているリカルドの背後で、アズマは立ち止った。
「アズマ?」
宰相たちにはあれだけ大見得を切ったが、実のところ、アズマは不安でもあった。リカルドのためにすべてを尽くして仕える気持ちに嘘はない。だが、花生みと彼との間を取り持つなどということが、本当に自分にできるのか。
なぜならばそれは、心を殺すことに他ならず。
「私に、できるでしょうか? あなたの剪定師……今からでも、私以外に人を増やせないか頼んだ方がよろしいかもしれません……」
弱音を吐くアズマは、自然と頭を垂れていた。普段は意識することのない赤い絨毯が、なんだかとても、目に痛い。
「アズマ」
名を呼ぶ声は、存外近い場所からした。慌てて顔を上げると、至近距離に、青い宝石。いや、リカルドの目だ。真剣な顔で、彼はこちらを見つめている。
「君は俺の、一番の臣下であり、友だ。俺の幸福を誰よりも祈り、そのために行動ができる、稀有な人間だと思っているよ」
だから大丈夫だと、リカルドは請け負う。彼に言われると、本当に自分が、そんな立派な人間であるかのように錯覚してしまう。
本当はただ、リカルドの傍にいたいだけの、利己主義者なのに。
いまだにまごついて、胸を張ることのできないアズマを、リカルドはゆっくりと抱きしめた。身長はさほど変わらない。けれど、彼の肉体は分厚い。いくら鍛えても筋肉がつかない性質の、アズマの細い身体はすっぽりと覆われてしまう。
「君が剪定師になって、永遠の我が友と呼べることが、嬉しいんだ」
友、という言葉は小さなささくれとなって、アズマの心を引っかく。
「……ええ、私もあなたに一生お仕えできることを、嬉しく思います」
結局のところ、リカルドは気の置けない友人を成人後も手元に置くために、宰相たちにわがままを言ったのだ。
アズマの長年に渡る恋心は、いまだ本人の知るところではない。
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