ごえんのお返しでございます【36】

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ごえんのお返しでございます

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<<4話のはじめから

【35】

 今日は図書館での読書に熱中しすぎて、夕方になってしまった。糸屋に寄る時間もなく、すぐ夕飯だ。まっすぐ帰宅することにして、夕暮れの道を歩いていた。

 太陽は、季節によって印象に残る時間帯が違う。山の向こうに沈んでいく太陽と、それに呼応してオレンジ色に染まる夕景をぼんやりと眺めて、夏でも夕焼けするんだ、という間抜けな感想を抱いた。真夏の太陽は、昼のギラついたイメージが強かった。

 こんな風に、静かで穏やかな時間を過ごすのは、数ヶ月ぶりである。最近はいろいろありすぎた。

 美希の一件はいまだに心の中に重くしこりを残しているが、篤久が少しずつ元気を取り戻している今、僕の気分も少しずつ上向きだ。

 そうだ。写真にでもこの風景を撮っておこう。

 珍しく、そう思いついた。オレンジ色は柔らかく、僕の心を惹きつけた。

 あまり使わない、スマホのカメラを向けた。

 そのとき、静かな時間に似つかわしくない、ガラの悪い声が聞こえた。車の排気音に混じりつつも聞こえるのだから、実際は相当な大声を出しているのだろう。反射的に、僕はそちらに顔を向けてしまった。

 数人の男たち(想像に違わぬ、今や田舎町にしかいないであろうチンピラ)に取り囲まれているのは、若い女性だ。強引にナンパされているに違いない。高身長でガタイのいい男たちに、逃げ道を塞がれている。

 触らぬ神に祟りなし。そっと気配を消して遠ざかろうとした僕の目に、男たちの隙間から、困っている女性の姿がようやく見えた。

 遠藤だった。ひとりで歩いているところ、目をつけられたようだ。困惑しきっている彼女を、気の毒だとは思うが、非力な僕にはどうしようもできない。

 大輔だったら間に入り、「まぁまぁ」とナンパ男たちを諫め、結果なぜか、彼らと遊びに行く約束を取り付けてしまいそうだが、僕は小心者。普通に助けに入る勇気すらない。

 遠藤は、こちらに気づいていない。今のうちだ。一団から視線をはずし、こそこそとその場を離れる。

 じゅうぶんに距離を取ったところで、速度を緩めた。罪悪感はあるが、それ以上に、安心する気持ちの方が強い。ホッと溜息をついて立ち止まった瞬間、スマホが鳴動した。

 姉からの電話だった。よかった。もうちょっと鳴るのが早かったら、遠藤に僕の存在を感知されていた可能性がある。気づかれないで逃げるのと、目が合ってから逃げるのでは、罪深さに雲泥の差がある。

「もしもし、姉さん?」

 開口一番、姉は言った。

 だめだよ、紡。

 突然のだめ出しに、ちくっと胸が痛んだ。

 なにが? と、内心の動揺を隠しながら聞くと、含み笑いが聞こえてくる。電波が遠いのか、不明瞭なノイズが入った。

 紡。情けは人のためならず、だよ。昔、正しい意味を教えたことがあるでしょう?

 他人に情けをかけることは、その人間の成長を妨げてしまう……というのは、誤りだ。

 他人を助けることは、巡り巡って自分自身に返ってくるものだから、積極的に行うようにしなさい、というのが正しい意味だということを、子どもの頃に姉に教わった。

 でも、そのときの姉の口ぶりだと、「他人に貸しをつくっておくことは、後々役に立つ」という、これまた間違った解釈だった。異を唱えかけて、僕は気づく。

 どうして、こんな話を始めたんだ?

 思わず、キョロキョロと辺りを見回す。姉は引きこもりで、自分の部屋から一切出てこない。直接顔を合わせたのがもういつのことだったか遠い記憶の彼方である。

 なのに、何もかもお見通しだと言わんばかりにお説教を始める姉に、背筋が冷たくなる。

「……」

 無言になった僕の名前を呼び、姉は追い打ちをかける。

 お姉ちゃんは、紡のことを信じてるよ。

 クラスメイトを見捨てるような男じゃないってこと。

 買いかぶりすぎだ。だが、ノイズの向こうから聞こえる姉の言葉に、僕は逆らえない。

 姉は引きこもりで、誰からも相手にされなくて可哀想だから。僕が話を聞いてあげないと。

「……わかった」

 僕は通話を切って、きびすを返した。もちろん腕っ節に自信はないから、単独で割って入るなんて危ないことをするつもりはない。向かうのはまず、交番だ。

 警察官に事情を話して、一緒についてきてもらう。集団が、まだあの場所にとどまってくれていてよかった。連れ去られていたりしたら……考えるだに恐ろしかった。

 制服警官の効果は絶大だ。ナンパ男たちは、僕らの姿を見た瞬間、スッと引いていった。

 遠藤は事情を尋ねられ、半泣きの顔で何度も頭を下げる。警官の背後に隠れていた僕に気づいたのは、その後のことだった。

「切原くん、ありがとう」

 礼を言われるのは面はゆかった。そもそも、一度は見捨てて逃げ出した僕に、彼女の真正面からの礼を受け取る資格はない。

「いや、その。僕が自分で助けたんじゃないし」

 公権力を頼る、一番格好悪いやり方しかできなかった。僕の言葉に、遠藤は微笑んだ。

「それが正しいの。切原くんが私を助けるかわりに怪我をしたりすることがなくてよかった」

 何かを勘違いした警官に促されて、僕は彼女を家まで送っていくことになった。甘酸っぱいものを見るような目で、見送られてしまう。

 遠藤とふたりきりになるのは初めてのことだった。美希が生きているときには四人、死んでからも青山と渡瀬が遠藤の隣をがっちり固めている。他に仲のいいクラスメイトの名前は思いつかなかった。

 美希がいた日々、クラスの中心にいた彼らは、僕と同じくらい、教室でひそひそされていることに、気づいているのだろうか。

 その中でも、今や中心人物、姫扱いされているとなっている遠藤とは、ほとんど言葉を交わした記憶もない。

 おとなしく、美希たちに振り回されるだけの女子というイメージだったが、遠藤は自分の意志がちゃんとある女の子だった。

 さすがにナンパ野郎たちに食ってかかる勇気はなかったけれど、抵抗もせず、かといってついて行くこともなかった。自分のできる範囲で、きちんと抗っていた。僕なんかよりも、よほど強い。

「あの、ごめんね。切原くん」

 もう何度も礼を言ってもらっているのに、さらに重ねて謝られて、僕は「もういいよ」と言った。冷たく聞こえないよう、細心の注意を払う。言葉は短くても長くても、真意が伝わらなくなるものだ。

 遠藤は、首を横に振った。今日のことじゃなくて、と、続ける。

「私じゃ、青山くんや渡瀬くんを止められないから……」

「ああ……」

 あれを止めるのは、難しい。よくもまあ、美希はふたりを制御できていたものだ。美少女だからだろうか。美しいということは、それだけで武器たりえるのだということを、再認識した。

 遠藤の顔立ちがどうこう、というわけではないのだ。決して難があるわけじゃない。肌が白くて……取り立てて褒めるポイントもないのが、気まずいところである。

 ふと思い出して、机の落書きのことを聞いてみた。

「掃除のときに見ちゃったんだけどさ、鉛筆で書いた謝罪文って、あれは、濱屋さんに向けて?」

 ハッとした顔で僕を見上げ、それから泣きそうに表情を歪めてうつむいた。

「もしかして、あれ……」

「ああ、うん。僕」

 机に返事を書いたのは僕だ。

 がっかりさせてしまっただろうか。

 遠藤は意外と現実的だった。

「慰めてくれて、ありがとう」

 そう微笑む。死者は返事を書かない。

「美希ちゃんとは、中学から一緒だったの」

 過去の思い出話は、故人のことだからか、明るくならなかった。夕日は山に落ちきって、いつの間にか、あたりは薄暗い世界に変貌している。

 遠藤の横顔は、明るい時間に見るときよりも、頬の白さが際立って、美しく感じた。

 美希がいるときには気づけなかっただろう。彼女の太陽のごとき華やかさ、きらきらしさの陰に隠れていた遠藤。息を潜めて、むしろ気づかれないようにしていたのではないか。

 僕は彼女の語る言葉のひとつひとつに、適切な相づちをうっていった。話さなければ立ち直れない。そういうこともある。

「でもね、双子の妹がいることなんて、知らなかったの」

「徹底的に隠していたみたいだからね」

 僕だって、病院で偶然、美空に出会っただけだ。わざわざふたりきりになる場所を選んでから口止めをしたあたり、本当に隠しておきたい存在だったに違いない。

 遠藤は首を横に振った。

「何も言ってくれなかったのって、私が頼りにならないからだよね。やっぱり、美希ちゃんと同じくらい可愛い子じゃないと、釣り合わなかったかな」

「それは違う」

 軽く肯定するだけだった僕が、いきなり力強く否定したものだから、遠藤は立ち止まってしまった。驚いた顔で、こちらを見る。

 しまったな、と思う。あまり深入りすべきではないのはわかっているんだけれど、結局のところ僕は、一見おとなしく、しとやかに見える女子に弱い。

 ちらり、美空の顔が脳裏によぎる。

「あー……濱屋さんが言ってたんだけどさ」

「うん」

「妹に、昔から大切なものを取られてきたって。両親も、妹が病弱だから甘やかしていて、だから本当に渡したくないものは、内緒にしなきゃならないって」

 こんなことが美希への贖罪になるとは思えないけれど。

「遠藤さんが妹と仲良くなって、自分から離れていくのが怖かったんだと思うよ。濱屋さんは、本当に君のことを、大事な友達だって思ってた」

「切原くん……」

 じっと見つめられると、照れる。僕はそっぽを向いて、「ほら、早く帰ろう」と、彼女を促した。

「あ、うん。この辺でもう大丈夫だよ」

「え、でも」

 遠藤家の住所は知らないが、住宅街はもう少し先だ。車がびゅんびゅん走っている中で分かれるのも、少し気が引ける。先ほど絡んできた連中のこともある。

 それに、僕にも一応、男として家まで送り届けなければならないという責任感というか、矜持のようなものもある。

 遠藤は首を横に振った。遠慮しているという素振りではない。ありがたいけれど、と、眉を下げて困った顔になった。

「男の子を家まで連れていくと、ちょっと面倒なんだ。うちのお兄ちゃん、過保護で……」

「沙也香!」

 大声で遮られる。遠藤はわずかに、頬を歪めた。振り向いて、「お兄ちゃん」と、声の主に返事をする。

 兄は、彼女とはあまり似ていなかった。線が細く、ひどく神経質そうだ。僕のことをじろじろ、敵意満々で観察してくる。

「おいお前。うちの妹とどういう関係だ?」

 返答によっては、ただじゃおかない。

 そんな気迫を、真正面からぶつけられ、僕はうまく話せずにまごつく。すると、兄はますます怒りのボルテージを上げていく。

「お兄ちゃん! 切原くんは、私を助けてくれただけなの」

「しかし」

「もう……これ以上やったら、嫌いになるからね」

 幼稚な脅し文句は、的確に兄の心を射た。

 意気消沈した彼の背をぐいぐいと押して、遠藤は僕に手を振る。

「じゃあね。今日は本当に、ありがとう」

「いや……うん。また新学期」

「あれ? 切原くん、文化祭準備のための出校日来ないの?」

 文化祭準備の出校日……とは。

 さすがにこの場で詳しいことを聞く時間はない。僕は適当にごまかして、さて、誰に確認すればいいんだろう、と頭を悩ませるのだった。

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