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<44話
「浦園くん。これ、三番テーブルね」
コースではなくアラカルトで注文している二人組の元に、日高は料理の皿を運ぶ。仲睦まじくしている二人連れは、アルファとオメガのカップルだ。
「お待たせいたしました。こちら……」
つらつらと長いメニュー名を述べて、テーブルにセッティングする。一礼して立ち去るときに振り返ると、小柄なオメガが、心底愛おしいという目で、パートナーを見上げている。同じだけの熱量の籠もった視線で、アルファも彼のことを見つめていた。日高に目をくれることもない様子に、きっと番同士なのだろうと思う。
日高の身体は、番を得たオメガのものと同じように変化していた。
まず、発情期が軽くなった。抑制剤なしでも、微熱と軽い倦怠感程度で済むようになり、仕事を欠勤しなくてもよくなった。
そして発情中のフェロモンの量が減るとともに、不特定多数のアルファを誘わなくなった。番を得たオメガのフェロモンが、パートナーだけに効くように。
何があったのかと友威にも医者にも散々聞かれたが、早見のことを話すことはなかった。彼はアルファではない。ベータという分類すらできないのかもしれない。
彼にうなじを噛んでもらったところで、番にはなれなかったはず。なのにどうして、自分の身体に変化が起きているのか。日高自身、わからないことだらけだ。
客が全員帰り、「CLOSE」の看板を出したところで、一日の営業が終了する。日高はタイムカードを切った後も帰らずに、料理人たちの明日の仕込みなどを手伝う。
残業代はいらなかった。ただ、家に帰りたくないだけだったから。
帰って一人きりのベッドに倒れ込んだ瞬間、懐かしさと寂しさで、頭がおかしくなる。あの部屋の香りを再現するためだけに、読まない本を買い集めた。早見岳という名の作家は、存在しなかった。
こうして職場で作業をしていれば、彼のことを思い出す暇はない。
レジの締め作業をしている副店長は、日高のことをちらちらと窺ってはいるものの、彼は共同オーナーのひとりである友威から、こちらの事情をある程度聞いている。そのため、何も言わない。
芋の皮むきを手伝っていると、ドアに取りつけられたベルが、リーン、と音を立てた。
「すいません、もう閉店して……これはこれは、黒崎さん」
対応した副店長の声に、顔を上げた。芋ひとつ剥きあげた日高は、手を拭き拭き、厨房から出て、友威に声をかける。
「友威? どうしたんだよ。視察なら、営業時間内にするもんだろ」
外気に頬を赤くした友人は、日高に「よ」と、片手を挙げた。
「お前に会わせたい人がいてさ」
「会わせたい人?」
日高は思いきり不審がって、顔を顰めた。
「まさか、未亡人オメガの支援団体とかじゃないだろうな?」
日高のことを、パートナーを亡くしたオメガだと勘違いして、関係者が声をかけてくることがあった。アルファの庇護なしでは生きていけないオメガを守るためだと言うが、要は次のアルファを斡旋する団体である。悪質なところだと、他に番のいるアルファの愛人にさせたりもする。
うさんくさそうな日高の視線に、友威は「違う違う」と両手を振った。
「前に、俺には行方知れずの兄がいるって話したことあるだろ?」
「ああ……」
翡翠湖神社の伝承とともに聞いた。母親がオメガであることを理由に嫁いびりをされて、それで翡翠湖に逃げた話だ。
「実は、その兄貴がこのたび見つかってさ」
「え!」
そんな奇跡のような話が、起こりうるのか。
日高は驚いて、目を丸くする。赤ん坊のときにいなくなった子どもが見つかるなんて、さぞ黒崎家の人々は喜んだだろう。
「それはそれは……おめでとう」
「ありがとう」
照れくさそうにしている友威だが、喜んでいる様子なのはわかった。しかし、わざわざ店にやってきてまで日高にしなければならない話だろうか。
首を傾げていると、友威はいたずらっぽく笑った。
「それで、その兄上が、お前にぜひ会いたいんだってさ」
言って、店のドアを開ける。再び鳴り響いた鐘の音は、日高の耳には天使の祝福のように聞こえた。
だって、その人は。
友人の生き別れの兄だというその人は。
「日高。会いたかった」
「はやみ、さ……ん?」
寸分違わず、愛しい男その人だったのだから。
>46話
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