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<43話
「いらっしゃいませ」
決められた角度で礼をしてから、にこりとカップルに微笑みかける。二人とも、日高の顔を目の当たりにすると、頬を赤らめ、一度口ごもった。予約客であることを確認し、席へと案内する。
「どうぞごゆっくり。すぐに食前酒をお持ちいたします」
背をぴんと伸ばし、堂々と振る舞う日高を、客の視線が追いかけてくる。すっきりと撫でつけた前髪は、清潔感を保つためだが、妖艶だと形容される場面も多い。
それはおそらく、これまで隠しがちだった目が露わになったことによるものだろう。常に濡れた艶を纏う黒い瞳を、日高は恐れずに相手に合わせるようになった。
日高がオメガだと知り、口説いてくるアルファの客にも真正面からにこやかに断ると、彼らはたじたじになってしまう。
自分はいったい、アルファの何を怖がっていたのだろうか。
元の世界に戻ってきた日高は、友威の紹介で高級フレンチの店で働くことになった。彼自身も経営に携わっていて、オメガの積極的な雇用を行っている。発情期の際には有給休暇をもらえるし、それはパートナーに付き合うアルファも同様だ。ベータにも、代わりの特別措置がある。
オメガが多い職場は初めてだったが、想像以上に働きやすかった。アルファは決まったパートナーがいる人間しか雇われていないので、仲間内で修羅場になることもない。
数か月して、難解なメニューにも慣れた。味の説明を求められても困らないように、ウェイターにも味見をさせてくれるので、贅沢な素材を口にすることも多い。
だが、日高にとっての最高のごちそうは、早見とともに過ごした何でもない日の食卓にあがるメニューだ。
あの日、意識を取り戻して、一目で病院のものだとわかる白い天井を見たとき、日高は元の世界に帰ってきたのだと息を吐いた。安堵とも落胆ともつかない溜息だった。
おそらく一睡もせずに付き添っていてくれたのだろう友威は、日高が目覚めたのだと気づくと、ボロボロと泣いて抱きついてきた。あちらで過ごしたのと同じだけの時間、こちらでも流れていた。
行方不明になって半年以上。もはや生きてはいないだろうと諦める人々の中で、友威だけが信じてくれていた。
泣きながら、「俺が翡翠湖に行けなんて言わなければ……」と、しきりに悔やむ彼の頭を撫でて落ち着かせてから、不在期間の出来事を聞いた。
日高が最も恐れていた自身の結婚話は、なかったことになっていた。
使用された強制発情剤は、案の定非合法の品であった。そこから芋づる式に、父や嫁がされる予定だった家の悪事が発覚しそうになり、彼らがそちらの対処に追われているうちに、うやむやになっていた。当然、そこには友威やその一族が噛んでいるのは間違いない。
とにかく無理矢理アルファの番にならずに済んだことにホッとした日高だが、そのまま何度か病院で検査をしていくうちに、驚くべきことがわかった。
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