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<42話
「早見、さん……」
この世界で唯一、日高の存在を許してくれる人。
ああ、でも、もう駄目だろう。彼の意志を無視して、襲ってしまったのだ。
早見の顔は強ばっていた。
「何をしている!」
怒声にびくりと肩が跳ねる。平静を装って、日高はにっこりと笑った。
早見はよほど慌てて追ってきたようで、眼鏡をかけ忘れていたし、辺りはまだ暗い。
遠目にいる日高の唇が震えていることに、彼は気づいていないだろう。
あとは、声が普通に出せればいい。わざとらしく、高く大きな声を出してごまかした。
「あなたと会えて、本当によかった」
元の世界で辛い目に遭ったのは、全部こちら側で早見と出会うためだったのではないか。
幸せな勘違いをしてしまうほど、彼との生活は穏やかだった。
だからこそ、ここにはいられない。
「でも、俺は、この世界では生きられない」
早見との安らかな日々は、こちらの世界の浦園日高の犠牲の上に成り立っている。
いくら幸せな暮らしをしていても、日高の精神は罪の意識にすり減っていく。
そして、こちらの世界にいる以上、日高は外に出られない。石塚の反応を見れば、街を混乱に陥れると判断した早見は、間違っていない。
一生家の中で過ごすことが罰といえばそうなのかもしれないが、早見とずっと二人きりでいられることは、日高にとってはご褒美にしかならない。
「メレンゲのこと、どうかよろしくお願いします」
「日高……」
「さようなら。俺のことは、どうか忘れて」
嘘だ。本当は忘れないで。他の誰かを抱く度に、俺のことを思い出せばいい。
最後に一筋の涙が零れた。ああ、本当に自分は、どうしようもない卑怯者だ。ここで泣けば、早見の記憶に鮮烈に残り続けるとわかっていて、自分は。
日高は早見に背を向けて、そのまま湖の中をざぶざぶと掻き分けて進み、潜った。
冷たい水に涙が混ざり、徐々に温かく感じられるようになったところで、意識は水底へと沈んでいった。
>44話
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