業火を刻めよ(5)

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火 ライト文芸

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4話

 ヒカルが警察官となって、一週間が経った。

(行きたくねぇ)

 毎日そう思うのだが、その瞬間、「嫌ならやめてもいいんだぞ」と、性格の悪い男の笑みが脳裏に浮かぶ。なにクソ、とヒカルの反骨精神は奮い立たされ、結局のところ、ヒカルは毎朝元気に出勤している。

 十一月も半ばになり、東京もだいぶ肌寒い。自転車での通勤が辛くなってくる頃だが、車を買う余裕はない。バイクならばローンでなんとか、と思うが、それでは自転車とあまり変わらない。

 手袋をはめ、自転車を飛ばす。向かい風が頬に切りつけてきて、ビリビリと痛んだ。

 いつもの道を通ろうとしたヒカルだったが、妙に騒がしい。人だかりができていて、「なんだ?」と、自転車を止めた。

 甲高いホイッスルの音に、人々の怒号が飛び交う。ヒカルと同じように、立ち止まり、何事かと野次馬になっているのは一部だった。ちらりと視線を向けるだけで、足早に目的地へと向かう人間の方が、圧倒的に多い。

 朝から大勢の警官が出動している。泣き喚きながら、必死に彼らに抵抗している男の手からは、大量のビラが落ちた。拾い集める警察官たちだったが、そのうちの一枚が、ヒカルの足元に飛んできた。

『俺たちに本を! 映画を! 取り戻せ、表現の自由!』

 写真も何もなく、乱暴な右肩上がりの筆文字で書かれたビラを、ヒカルは三秒だけ見つめた。それからすぐに、ビリビリに引き裂く。まじまじと見つめていたら、目をつけられてしまう。

 強い風が吹いて、すぐに紙片は飛び去っていった。警察官は、ビラを配っていた男を連行し、人だかりも徐々に解消していく。

 ヒカルはそれを後目に、自転車に跨る。

(もしも俺が、普通の警察官だったら、ああいう現場に駆り出されてたかもしれないんだよなあ)

 特殊な部署であるがゆえ、ヒカルはいきなり本庁所属となったが、普通、新人は街の交番勤務のおまわりさんがスタートだ。管轄地域の揉め事に引っ張り出され、ああいった仕事もしなければならなかっただろう。

 嫌な仕事だ。自分の意見を述べただけ、主義主張を書いたビラを配り、仲間を募っただけで、逮捕される、嫌な時代だ。

 ヒカルが生まれた頃には、もうこの国には、精神の自由というものが存在していなかった。二〇二〇年初頭には、社会正義を理由に、一部を制限することが可能になる法律が成立した。日本国憲法が改正されたのは、二〇二四年のことで、条項は完全に削除されていた。 

 無数に存在していた宗教法人は、公安による一斉捜査の果てに、問題のあったところは勿論、ほぼなかったところも検挙され、とり潰された。

 小説や漫画の類は、すべて検閲を受け、基準をクリアしたものだけが流通する。当然、中身は似たり寄ったりだ。映画も、政府公認の会社やスタッフだけが撮影を許される。海外作品の興行など、考えられない。

 日本の文化は死んだ。

 有名な教授が、批判したのはもう、数十年も前のことだ。当然、彼はその後、よくわからない疑惑で逮捕されている。

 規制の緩かった、あの頃に帰りたい。

 懐古主義的な秘密結社は、日本中に存在している。彼らは絶版となった図書を読み耽り、現在の日本の在り方について、討論する。どれもこれも、今のこの国では許されていない。

 ビラを撒いていた男の風貌を思い出す。髭面でわかりにくかったが、頬はこけていて、警官が容易く骨を折れそうなほど、痩せていた。

 日本の国力は、文化を殺戮し始めた頃から、どん底に落ちている。失業率も高く、治安も悪い。

 自由な表現、信仰、精神活動を取り締まり、インターネットでの自由な発言も規制する。

 国営のみになったマスコミは、クリーンな社会になったと絶賛するが、その実、国民の大部分は貧困層に転落し、窃盗事件から果ては強盗殺人まで、さまざまな犯罪が横行している。

 ヒカルが犯罪者に身を落とさずに済んだのも、死なずに済んだのも、ギリギリのところだった。ただ、ラッキーだったのだ。助けてくれる優しい人がいなければ、もうこの世からはとっくに消えていただろう。

 そこにもやはり、スキップ能力が大きく関係していたかもしれない。

(いったい、どうしてこんな社会になったんだろう)

 学校で習ったような気もしたけれど、記憶は遥か遠くに行ってしまっている。暗記科目は苦手で、歴史のテストなんて、選択問題だけ、鉛筆を転がして適当に答えていた。

 時間犯罪対策部の特別警官になった今、ヒカルはせめて日本史だけでも真面目にやっていればよかった、と後悔している。

 バディを組むことになったエリーは、日々の業務や訓練の合間に、ヒカルに歴史の知識をインプットしなければならないことを、おおいに嘆いた。

 お前は学校に行っていたんじゃないのか。どうしてこんなことも知らないんだ。

 そう罵られながら、机に向かう日々は、はっきり言って地獄だった。高校の、ハゲ頭の教師の授業の方がマシだった。

 ヒカルの疑問についても、エリーに聞けば教えてはくれるのだろうが、尋ねる気力と勇気はない。答えよりも長い説教を食らうことは、目に見えていた。

「あ~……クソ!」

 負けるもんか。

 ヒカルは力いっぱいペダルを踏みこんだ。

6話

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