百合子(15)

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この章のはじめから

14話

 平和な街で起きた大事件も、すでに犯人が逮捕されていることもあって、すぐに風化していった。とはいえ、百合子はある意味当事者と言えなくもないので、その後の動向も窺っていた。

 男が夏織の住むマンションに当たりをつけられたのは、友人がSNSに載せた写真がヒントになったらしい、という話を聞いて、葬儀で一際大声で泣いていた女を思い出した。

 きっと彼女が、男が住所を突き止めるきっかけになったのだ。その責任を感じて、ああいった醜態をさらすことになったのだろう。百合子が気に病むことは、ひとつもない。だから、何のためらいもなく、百合子は文也に話しかけた。

「浅倉くん。ちゃんと食べてる?」

 夏織が横からかっさらっていく前と同じように、姉御肌をアピールしながら、声をかける。

 周りが百合子の行動に、眉を顰めて噂話をしているのは知っている。大嫌いな女が死んだのをいいことに、またみっともないアプローチを再開したのだと。

 言わせておけばいいと思った。百合子は文也のことを、心から心配して、食事に誘っているだけなのだ。

 文也はまだ、心ここにあらずといった様子だ。仕事に集中しているときはいいが、昼の休憩時間などは、ぼんやりとしている。

 現実に早く目を向けさせなければならない。それは百合子にしかできない。

 百合子は文也の手を引いて、レストランを回った。食欲がないと言う彼に、「少しでも食べなきゃ!」と勝手にステーキを注文する。

 目に見えて文也はやつれた。目には生気がなく、食事も機械的に取っているだけだ。彼は注文した料理をほとんど残したが、百合子がすべて食べつくしたので、問題はなかった。

 四十九日が過ぎ、季節が秋になり、やがて雪のちらつく季節になっても、文也の調子は相変わらずであった。

「浅倉くん。今日は何食べたい? 私はお肉がいいなあ」

 無反応な文也の腕を強引に引っ張って、百合子は外に連れ出す。タクシーに乗せ、繁華街へと繰り出した。

「今日は、お酒でも飲みましょ。ぱーっとやらないとね、ぱーっと」

 百合子はあえて、騒がしい居酒屋を選んだ。これまでは、二人きりになれる店を選んでいたのだが、文也の気晴らしには、賑やかな方がいいかもしれない、と考えを改めたのだった。

 デートではなく、ただ文也を慰めたいだけ。そう言い聞かせて、百合子はチェーン店の扉をくぐった。

 百合子はよく食べ、そして飲んだ。文也はやはり、ほとんど食事に口をつけていなかったが、百合子が勧めるまま、酒はよく飲んだ。

 文也がアルコールを摂取する姿を、百合子は久しぶりに見た。真っ白で生気のなかった顔に、赤みが差す。それが嬉しくて、百合子はどんどん飲ませた。

 結果、文也は泥酔した。百合子は彼の肩を支えながら、タクシーを呼び止める。

 一人暮らしを継続していてよかった。

 別に、やましいことをしようというのではない。成人男性を担いで、彼の自宅に連れていくのは困難だし、ここからなら百合子の部屋の方が近いから、その場で介抱しようと思っただけだ。

 一縷の望みを抱くことは、罪でもなんでもない。一緒のベッドで眠ることくらいなら、許されるだろう。

 百合子は文也の身体をぎゅうぎゅうと車内に押し込むと、自分のアパートの住所を告げた。

 アパートの前までつけてもらって、降車する。階段を、ふうふう言いながら、文也を連れて上る。

 どさりと彼の身体を、ベッドの上に横たえて、一息つく。

「う……ん」

 文也が呻き声をあげた。掠れたその声は色っぽくて、百合子はドキリと胸がざわめいた。

 やっぱり私は、この人が好きなんだわ。

 そっと彼の頬に手を触れ、衝動のままに、唇を寄せた。触れ合う一瞬前に、文也の口が動く。

「かおり、さん……?」

 今は亡き、婚約者の名前を彼は呼んだ。百合子はぴたりと動きを止め、へなへなと座り込んだ。

 文也はそのまま、深い眠りについた。

「死んでもまだ、あんたは私の邪魔をするのね」

 ぼそりと百合子は言った。涙は出なかった。乾いた笑い声をあげた。

 死んだ人間には、勝てない。文也は夏織に一生、囚われたままで生きていくのだ。

 やり場のない怒りと憎しみを、百合子は拳に込めて、床を一度、強く叩いた。

16話

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