迷子のウサギ?(40)

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39話

 ほら、着いたわよ。母に身体を揺すられ、俊は目を開けた。懐かしくも呪わしい、我が家。父はまだ仕事に行っていて、不在だ。荷物を客間に置いてリビングへと戻ると、母がキッチンから茶を持ってきた。それを受け取って、俊はようやく人心地ついた。

「勉強は進んでるの?」

 母は俊が臨床心理士の資格を取ろうと大学院に進学したということしか知らない。病院や企業で心理カウンセラーとして働くのだと信じている。それこそ、シロの一件で俊が日常生活に戻れるように尽力してくれたカウンセラーに憧れたとでも思っているのだろう。

 シロとのことがきっかけだったのは間違いではない。だが、俊が憧れたのは自分の心を癒そうとしたカウンセラーではなくて、ヒューマン・アニマル・コーディネーターだったというだけで。

 俊は自分を穢したシロやウサギ型のヒューマン・アニマルを憎んだが、その他の動物たちやヒューマン・アニマルのことは嫌いになりたくなかった。母はウサギを始め動物全般を憎んだが、俊はそうなりたくなかった。

 母に引きずられて動物嫌い、また嫌いを通り越して恐怖症、嫌悪症になりそうで心が引き裂かれそうだった俊を、担当コーディネーターは母が発狂するような方法を用いた。

 ウサギを含めた動物たちがたくさんいる環境に、俊を閉じ込めたのだ。とんでもない荒療治だ、と今考えても信じられない。出して、怖い! だがそう叫んだ俊を慰めたのは、ともに監禁された動物たちだった。

 泣いている俊の足元に寄り添い、涙をざらざらした舌で舐めた。触れると温かく、どくどくと掌に心臓が動いているのが伝わってきた。

 やっぱり嫌いになんて、なれない。犬や猫、小鳥たちは俊とともに生きている。ウサギを一緒にしなかったのは、コーディネーターの配慮だろう。

 一番近くにいたポメラニアンを抱きしめていると、扉が開いた。そこにいたのは母ではなく、コーディネーターの男だった。

『全部を憎む必要はないし、全部を許す必要もない。君は君の心のままに、生きていけばいいんだ』

 ウサギは嫌いだけれど、他の動物は好き。母はすべての動物を憎むようになったけれど、自分は同じように考えなくていい。

 それから心が楽になった。自然なままでいいと気づかされた。いつか許せるときが来たらいね、とコーディネーターは俊に微笑んだ。そんなときが来るはずがない、と彼以外に言われていたとしたら反発しただろうが、俊は神妙に頷いたのだった。

「母さん」

 年が明けて四月になれば、修士論文を書かなければならない。院を卒業すれば教授の紹介でどこかの企業か学校で実務経験を積み、臨床心理士試験を受ける。そして初めて、俊はコーディネーターへの第一歩を踏み出すことができる。

 これがラストチャンスだ。母に自分の夢を伝える。おそらく来年以降はなかなか、帰省なんてできるもんじゃない。今回は、ウサオとの一件によって偶然帰省しただけだったが、だからこそ言わなければならない。

「母さ……」

 冷蔵庫を漁っている母は俊の声など聞いていなかった。

「あらやだ。今日、お父さんと二人だけだと思ってたから、たいしたお肉もないわ。あなた、お肉の方がいいでしょ? ちょっと買ってくるわね」

 母は脱いだばかりのコートをまた着込んで、車の鍵を片手に出ていく。

「……行ってらっしゃい」

「行ってきまーす」

 母はいつもそうだ。父や俊の話を聞かずに、自分の妄想だけで行動する。昔は――シロの事件が起きる前は――それが「天然」で済ませられる程度だったのだが、近年は「病的な」とも言えるくらいだった。

 おそらくあのときカウンセリングが必要なのは、自分ではなくて母の方だったのだろう。心理学科に進み、真面目に学んできた俊にはわかった。夫と息子が自分の支配下にいなかったせいで、息子があんな目に遭ったのだから、これからは二人のために自分が夫と息子に尽くさなければならない。そこに、彼らの意志は関係ない――。

 きっと母は、高いステーキ肉を買ってくるのだ。若い息子に合わせて、脂が多めのものを。父があまり得意ではない、ということは都合よく素抜けている。俊自身、そこまで肉、肉、肉、と求めてきたわけではない。これもまた、若い男は肉が好きでよく食べる、という思い込みなのだ。

 高校時代の食卓を思い出して、俊は苦いものがこみ上げてくるのを感じた。運動部でもなんでもなかったのに、母は夕食時、俊に対してどんぶり飯を山盛りにするのだ。息子のことなどちっとも見ていない。雑誌で鵜呑みにしただけの知識。

 事前に胃薬を探しておこう、と俊は席を立った。

41話

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