大根抜きの女王

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短編小説

 五月の連休が明けても、時折肌寒い日がある。名残の桜がひらりと舞い落ちるのを後目に、俺は校門を急ぎ足で一歩踏み出す。

川崎かわさき、お前、本当に部活やらなくていいのか?」

 中学の部活は必修じゃない。転校以来、先生がしつこく誘ってくるのは、俺のガタイが中二にしてはたくましいのと、百メートル走のタイムがよかったからだ。

 確かに、転校前はバスケットボール部に入っていた。去年の夏頃に一気に背が伸びて、それからベンチ入りできるようになった。スタメンまであと一歩のところで、転校することになった。

 そのときは悔しかったけれど、今となってはもう、どうでもいいことだ。

「妹の世話があるので」

 北海道まで来ることになったのは、両親の離婚がきっかけだった。

 母親は専業主婦、父親はサラリーマン。中学生のおれの下に、小学校低学年の妹は少し年が離れすぎている感はあったが、おおむね、一般的な家庭であった。

『川崎さんちは、仲がよくていいわねえ』

 噂話のために生きているようなおばさんは、都会では絶滅危惧種だとばかり思っていたが、いるところにはいるものだ。

 彼女の比較対象は、また別のご近所さんだった。そこにはDV旦那と不良の息子がいるらしい。

 褒め言葉なのか微妙な「幸せそうね」を浴びる度、母は困ったように微笑み、会釈を返した。

 俺たちは父に引き取られた。選択権はなかった。母はずっと、あの控えめな態度の裏で、俺たちを裏切っていたのだから。

 こちらに来てから、妹はずっと不登校だ。母がいなくなったこと、急に見知らぬ土地で暮らすようになったこと、そのすべてがストレスとなって、妹の心と身体をむしばんだ。

 転職直後の父親が、在宅仕事をしたいという希望はなかなか通らず、かといって、三年生になったばかりの妹をひとりで家にいさせるわけにもいかない。

 調べに調べた結果、バスに乗らなければならないが、放課後だけでなく、昼間から預かってくれる学童が見つかり、そこに通っている。迎えは俺の仕事だ。

「お兄ちゃん、今日も迎えに来たの?」

「ひとりでバスに乗せるわけにはいかないだろ」

 玄関から出てきた妹は、唇をとがらせ、生意気なことを言った。まんまるの顔は、デフォルメされたタコにしか見えない。直前まで走って遊んでいたのだろう。顔も赤いから、余計に。

 学童では友達もできて、ようやく笑うようになった。

「お兄ちゃん、お友達いないの?」

 毎日欠かさず迎えに来る兄に向かって、感謝の言葉ではなくて、生意気なことを言う妹は、こうだ。

 頭をやや強めにぐしゃぐしゃとかき混ぜてやると、きゃっきゃと笑って、妹は、「やめてよー」と、ちっともやめてほしくなさそうな声で言った。

 笑うのも泣くのも全力を出すことしか知らない。写真の中の妹はいつだって、ぷっくりしたほっぺた。その肉に、細い目が埋もれている。今もそうだ。

 俺にとっては、可愛い可愛い、妹である。

 学校というのは社会の縮図だ。それは中学校でも小学校でも同じだし、妹が通う学童施設も、似たようなものだろう。

 通路側の一番後ろの席からは、教室で起きていることが、よく見える。

隅で固まって、トレーディングカードの交換をしているオタク男子たちに、真ん中らへんの席を陣取って、メイクをしている女子たち(もちろん、校則違反だ)。ゆうべの寝不足を解消しようとしている奴もいれば、菓子パンをむさぼる奴もいる。

 俺は、窓際の連中に目をやった。

 三年に目をつけられない程度にカッコつけた髪型でいきっているグループ。彼らはひとりの男子生徒を取り囲んでいた。

「もしもーし。かっわさっきくーん」

 突然、視界を遮られた。思いきり眉間に皺を寄せる。ポーカーフェイスを気取るわけではないが、どちらかというと、妹とは正反対に、感情を表すのが苦手な方だ。なのにどうしても、こいつの前では我慢できない。

 とにかくしつこい。からっとした表情と声のくせに、行動は粘着質だ。毎日断っているというのに、彼は諦めない。バスケ部の連中だって、俺が冷たく「入らない」と言えば、すぐに引っ込んだというのに。

 男にしては長くて、くるんと癖のついた髪の毛。その奥、眼鏡の下にある目は愛嬌があって、制服姿でなければ、年上のお姉さんにモテそう。

「考えてくれた?」

 即座に首を横に振る。ちぇっ、と舌打ちする彼は、それでも俺の傍を離れていかない、変わった奴だ。

奈良沢ならさわ。なんで、俺なんだよ」

 運動部ならまだしも、奈良沢が勧誘してくるのは、俳句愛好会だ。よく考えれば、部活動ですらない。

 ちなみに、以前聞いたところによると、部員は彼ひとりのみ。そもそも会として成立していない。

 奈良沢は、合唱の指揮をするように指を動かす。右へ左へ、つい目で追ってしまう。

 バスケ部時代とちがい、細部のケアに気が回らない。爪切りで適当に切った結果、ガタガタの俺の爪とはまるでちがう。爪ヤスリで削ったんだろう。丸くて、ささくれのひとつもなくて、ピカピカに磨かれている。

「川崎くんは、自分のことをよくわかってないね」

 くるくると指を回す。俺はトンボか。

「君は鬱屈とした少年だよ? 何を詠んでも詩的になるに決まってるじゃない。興味ある~」

「あ、そう」

 無愛想に相づちだけ打つと、奈良沢は「難攻不落だねえ」と、楽しそうに笑い、自分の席へと戻っていく。

 なんとはなしに見送っていると、視界の端に再び、一対多数の構造になっている男子生徒たちの一団が入ってきた。

 囲まれているのは、肉づきが標準よりもよく、あけすけに言えば、デブだ。クラス、いや、学年で一番太っていて、暑くもないのに、常にはぁはぁと短く荒々しい呼吸音を立てる。隣の席の女子は授業中、あからさまに机と机の間を離している。

 何を言われているのか、詳しくはわからない。ただ、彼がしょんぼりと背中を丸めていることから、好ましくない言葉をぶつけられているのだろうことは、感じ取れた。

 彼を見ていると、妹を思い出す。妹もまた、標準体型からは外れて、ぽっちゃりだ。

 デブとかブスとか、心ない言葉のつぶてをぶつけられて泣く妹は、見たくない。

 友達がいないと思われようとなんだろうと、やっぱり俺が絶対に迎えに行かなければ。父さんじゃ、顔が優しすぎて、にらみをきかせるのにはイマイチだ。

「明日から、学校に行く」

 夕飯時、唐揚げに箸を伸ばしつつ、さらりと告げられた宣言に、俺と父は動きを止めた。その隙に、妹は父の皿に、付け合わせの山盛りキャベツを移す。

「おい。キャベツもちゃんと食べろ……じゃなくて、美也みや。お前、学校って」

「行く」

 返却されたキャベツを、渋い顔でちまちまと食べる妹に、俺たちは顔を見合わせる。

 何がきっかけなのかはわからないが、せっかく行く気になっているんだから、水を差すのはやめておこう。

 そんな気持ちを込めてアイコンタクトをしたのだが、伝わらない。親子だからって以心伝心とはいかないものだ。

 父は幾分高い声で、

「そっかぁ。どうしたの? 何かあったの?」

 優しく妹に問いかけた。

 美也は鼻息も荒く、胸を張った。丸くて大きめの鼻は、普段からふごふごと言いがちだ。頬はパンパンに張っていて、興奮に紅潮している。目は細く、昼間に見た、あのいじられている同級生と重なった。

 それでも妹は、彼とはちがう。おれたちの前では年相応、やや幼く振る舞う。

「くーちゃんやじゅんくんがね、美也のこと、大根抜きが上手だって。大根抜きの女王だって。だから、学校でもやろうって誘ってくれたんだ」

「大根抜き?」

 学童はそこまで規模の大きいものじゃない。畑なんて、とても確保できない。せいぜい、プランターで草花を育てるくらい。

 それに、大根って確か、冬が旬だったはずだ。そもそも収穫時期じゃない。いや、まだ経験していない北海道の冬、雪が深いし本州とは気候もちがうから、時期をずらしているのか? 社会の教科書にあった気がするけど、あれはレタスだっけ。

 大根抜きという謎ワードに困惑しているのは、俺だけじゃなくて、妹の隣に座る父も同じだった。

「お兄ちゃんもお父さんも知らないの? 遅れてるゥ」

 口ぶりから、それが子どもの遊びらしいということはわかったが、俺は幼稚園でも小学校でも、そんな遊びはしたことがない。北海道独自の遊びなんだろう。

 父も地元がこちらということはなく、逃げるように転職した先がたまたまこの北の大地だっただけで、縁もゆかりもない。

 俺たちが知らないことを自分だけが知っている、その優越感に浸っている妹は、

「明日の学童で教えてあげる!」

 と、得意げだ。

 スマホで調べれば一発で答えは出るのだが、妹があまりにも楽しそうだから、ポケットに手を伸ばすことはなかった。

 学校に行く、と決めたはいいけれど、朝になるとやっぱり妹は、多少ぐずった。ギリギリまでパジャマのまま、服に着替えるのを渋っていた。

 俺も父も、無理強いをするつもりはなかった。無理そうなら、いつも通り学童に送っていくつもりだった。

 だが、妹は俺が思ったよりもはるかに強情だった。

「休むか?」

 と問いかけると、ぶんぶんと無言で首を横に振り、勢いのまま、服を脱ぎ散らかした。

 校門前まで送ると、妹はへの字に引き結んだ唇のまま、俺を見上げた。ここまで来たら、行くしかないとわかっていても、一歩足を踏み出すのが怖いのだろう。

 頑張れ、頑張れ、という俺の祈りよりも、妹にはもっと心強い応援があった。

「みやちゃん! おはよう!」

 いつも学童で一緒に遊んでいる子だ。見覚えがある。おそらく、くーちゃんとやらだろう。都会でもめったに見ないような、キッズモデル風の顔立ちの子で、妹と同じ二つ結びでも、ずいぶんと違う。

 まぁ、俺にとってはくーちゃんよりもうちの妹の方が断然可愛いのだが。

「みやちゃんのお兄さん、おはようございます」

 小三にしては、丁寧なあいさつだった。釣られて俺も頭を下げる。

 彼女はハキハキと、「みやちゃんと学校でも会えてうれしい」「学童にはいっしょにバスで行くから、心配しないで」と言った。

 早退してでも学童に送り届けようとしていた俺の出鼻はさっそくくじかれた。学校から学童までは、施設側がシャトルバスを運行しているのだ。

 ニコニコ笑顔のふたりに、「いや俺が」と遮ることはできなかった。

 俺は妹に、何度も繰り返し、注意をした。

 帰りはいつもと同じ時間に迎えに行くこと、友達と一緒に車に乗るからってはしゃぎすぎないこと。

 くどくどと何度も言うと、うんざりした顔で、

「何度も言わないで。くーちゃんといっしょだから、大丈夫」

 加えて、「お兄ちゃん、ウザい!」と、ばっさり斬られて、俺はとぼとぼと小学校を後にした。

「あ」

 始業のチャイムが鳴る。中学校は反対方向なのだ。完全に遅刻だ。

 妹を小学校まで送っていたら遅れました……という事実は、生活指導の先生には、言い訳にしか聞こえなかったようで、めちゃくちゃ怒られてしまった。

 いつも通り、学童に迎えに行く。今日は小学校からくーちゃん他、同じ施設に向かう子どもたちといっしょとはいえ、妹のことが心配で、自然と早足になる。

「美也」

 そっと入室すると、子どもたちは俺の存在に気づかずに、まだ遊んでいた。俺の知らない、不思議な遊びである。

 壁に背をつけ、隙間なく一列に座り、隣同士でぎゅっと腕を組んでいる。妹はちょうど中央にいて、顔を真っ赤にしている。すでに何戦か終えた歴戦の戦士の顔で、鼻息を荒げていた。

 ひとりの男子が狙いを定めたのは、妹の隣にいるくーちゃんだった。くーちゃんは妹の半分くらいしかない、小学生にしてもか細い女の子で、足首を捕まれて、「きゃーっ」と高い声をあげる。悲鳴というよりも、歓声だった。

「みやちゃん、絶対はなさないで!」

「うん、まかせて!」

 そのままくーちゃんの足を引っ張り、隊列から引きはがそうとする男子だったが、なかなか敵わない。妹の奮闘によるものだった。 ルールが読めたところで、俺は大声を上げた。

「美也!」

 楽しい空気をビリリと震わせた怒声に、子どもたちは押し黙り、こちらを向く。困惑が浮かぶ、しかし虚無的ともいえる彼らの目に、一瞬怯みかける。

 相手は小学校低学年の生徒ばかりだ。怖がってどうする。

「お兄ちゃん」

 両隣の子どもと腕を組んだままの妹は、「どうして邪魔するんだ」と口をとがらせた。

「これが、こんなのが、大根抜きか?」

「そうだよ! すっごく面白いんだから!」

 キラキラした目の妹を、罵りかけてやめた。

 俺は他の子どもたちと目を合わせると、

「もう、こんな遊びに美也を誘わないでくれ」

 と、静かに言い放った。

「川崎さん」

 他のグループの子どもについていた学童施設の先生が、雰囲気が変わったことを察して、声をかけてくる。

 俺は彼女に一礼する。

「美也を迎えにきました……ほら、美也。帰るぞ」

「なんで? なんで、大根抜きしちゃだめなの!?」

 わめく妹を立ち上がらせ、ランドセルを持った俺は、再度会釈すると、強引に連れ去った。

 妹は、「大根抜きの女王」なのだという。褒められて舞い上がっていたが、それは遠回しにあざ笑われていることに、どうして気づかないのか。

 平均値をおおいに上回る体重は、からかいの的だ。俺にとっては丸くて可愛い妹であっても、他の人間にはそうではない。

 教室で、からかわれていた男子生徒を思い出す。

 太っているということは、弱みをさらけ出しているということだ。突っ込まれても仕方がないのだ。どんなに俺が守ろうとしても、妹自身が自衛しないことには、彼女の心は傷ついていく。そんなの耐えられない。

「お兄ちゃん!」

 繋いだ手を、妹は強く振りほどいた。今にも学童に戻ろうとするのを、俺は低い声で制止する。

「美也」

 妹の肩が、びくりと震える。ああ、怖がらせてしまった。一度目を閉じて首を横に振り、「美也」と、呼びかけからやり直す。

 恐怖で支配したいわけじゃない。彼女自身が納得して、今後、大根抜きに誘われても抵抗するようじゃないと、何度も似たようなことが起こりうる。

「大根抜きの女王なんて言って、あの子たちは美也のことを馬鹿にしているだけなんだよ」

 わけがわからない、という顔をする妹に、畳みかける。

「あんなゲーム、体重が重い方が有利に決まってるじゃないか。あいつらは、美也のことをデブだって言ってるんだよ」

「ちがうもん! くーちゃんたちは、そんな風に思ってない!」

「美也!」

 妹に合わせてしゃがみ込み、小さなクリームパンみたいな手をぎゅっと握る。赤ちゃんの頃から変わらない触り心地だ。成長するうちに、骨っぽさが強調されてくるはずの部位まで、脂肪に覆われている。

 どうか理解してくれ。疑うことで、自分の心を守れるようになってくれ。

 俺の願いは、妹には通じない。

「お兄ちゃんのばか! お兄ちゃんが一番、みやのこと、デブだと思ってるんでしょ!」  

パシン、と音を立てたのは、俺の手だ。いや、妹のことを叩いたわけじゃない。彼女が俺の手を叩いたのだ。

「美也……」

「お兄ちゃんなんか、だいっきらい!」

 怒り狂った妹は、一言も口をきかなかった。帰りのバスの中でも、離れた席に座っていた。

 大根抜きの一件以来、妹は俺と話をしない。「美也がね、お兄ちゃんのお迎えは嫌だって」

 仲良し兄妹だったから、父は困っていたけれど、妹の意志を尊重するために、会社の都合をつけてくれた。

 ただの兄妹げんかが、父親の、そして父親の会社にまで迷惑をかけている。

 年上なんだから、折れるべきは俺の方なのだろうが、なんて謝ればいいのかも、わからなかった。

『お兄ちゃんが一番デブだと思っている』

 という妹のセリフは、ぐっさりと俺の心をえぐった。そんなことない、と即座に否定できなかったのは、確かに俺は、妹のことを太っていると思っているからだ。

 そして、それが悪いことで、いじめっ子に目をつけられると信じている。

 ただ一言「ごめん」と言ったところで、妹の体重は減らないし、俺の心配は続くから、堂々巡りだ。

 妹は、学校へは通っている。くーちゃんが迎えに来て、俺がいっしょに行こうとすると、「みやちゃんのお兄ちゃん、私が来たから、ついてこなくて大丈夫」と制されてしまう。

 俺は悪くない。はず。

 なのに、くーちゃんの視線は冷たい。美少女に見下される趣味はないから、ただただ妹の友人に嫌われているという悲しみが這い上がってくるだけだ。

「かっわさっきくーん。さっきのシュート、よかったね。さすが元バスケ部」

 どうにかしなきゃならないけれど、どうしたらいいかわからない。

 そんな焦りをずっと抱えていようとも、身体は慣れた動きをする。レイアップシュートは基本中の基本、朝飯前で、奈良沢に褒めてもらうほどのもんじゃない。

 まして、体育の授業なんて、本気を出すに至らない。

 反応しない俺に、奈良沢はふと真面目な顔になる。何の因果か同じチームだった俺たちは、他のチームの試合の見学中だ。

「どうしたの。元気ないじゃん。いつもにも増して、文豪っぽいよ」

 俺の眉間に人差し指をあてて、ぐりりと揉む。うっとうしい。文豪っぽいってなんだよ。自殺しそうってことか?

 無言で強く振り払う。文句のひとつを言うのも面倒くさい。

「ありゃりゃ……本格的にご機嫌ナナメじゃないの。どうよ、この僕に話してみたら? ちょっとはラクになるかもよ?」

 悩み相談をするほどの関係性じゃないだろ、と思ったが、彼の目は意外なほど真摯なもので、茶化すつもりはなさそうだ。俺は少しだけ、妹との関係について口を滑らせた。

「なるほどなるほど、大根抜きね……」

 ふむふむと相づちを打っていた彼は、顔を上げるやいなや、キラキラした瞳で、言い放った。

「川崎くんは、大根抜きやったことないんだよね? やってみたら、妹ちゃんの気持ちもわかるかもよ!」

 奈良沢は時計を見て、今やっている試合で授業が終了することを確認した。それから、同じく見学をしている連中に向かって、声を張り上げる。

「ねぇ! 久しぶりに大根抜きしない?」

 体育教師は審判に集中していて、ちらりとこちらを向くが、黙認することにしたらしい。 奈良沢の呼びかけに、わらわらと集まってくる生徒たち。体育は隣のクラスと合同だから、知らない奴もいる。

「おい」

 俺の制止は、誰も聞いていない。やる気満々、興奮状態にある連中に、大根抜きの何がそこまでこいつらの心を駆り立てるのかと、遠い目になってしまった。

 そう、楽しそうなのだ。久しぶりというからには、中学生がやる遊びじゃない。小学校時代の思い出が熱狂を生み、彼らは「やろうぜ」と、壁際に集まった。

「川崎、知らねぇの?」

「……東京には、そんな遊びなかった」

「マジかよ。グラウンドも体育館も使えねぇとき、何して遊ぶんだよ」

 いろいろあるだろ、と思ったが、廊下を走るわけにはいかないから、身体を動かす遊びはできないのだと気づいた。

 有り余る子どもの体力を発散させるのに、大根抜きは適しているのかもしれない。学童で見た光景を思い出した。みんな顔を赤くして、汗をかいていた。

「ほら、川崎くん。あそこに入って」

「おう……」

 促され、もはや抵抗する気力もなく、俺は真ん中に脚を伸ばして座った。知らない男子と腕をがっちり組む。

 引っ張り役(鬼、というんだろう。きっと)は、奈良沢がやる。

 正直、引っ張られる気はしなかった。デブではないが、俺は背がある分、体重も重い。対する奈良沢の手足はひょろひょろで、Tシャツが泳いでいる。

「だれにしようかな、神様の言うとおり!」

 独特の節で歌い上げたが、そんなの必要なかった。彼の標的は、俺だ。俺以外にはない。

「川崎くん、君に決めたっ」

 アニメの主人公みたいなセリフとともに、奈良沢は俺の足首を掴んだ。こんなガリガリの奴に負けるわけがないと思いつつ、俺は両腕に力を入れる。

 俺の勝ちだと確信していたが、予想は外れた。

「っ! わ……っ」

 決して腕を緩めたわけじゃない。しっかり組んでいたはずなのに、しっかりと腰を落とした奈良沢は、俺のことをいとも簡単に隊列から引き離した。

「いえーい、一人目成功!」

「やべぇ! 奈良沢なんかに負けんなよ、川崎!」

 腕力がないと言われたようで、カッとなる。単純な力比べなら俺が上に決まっている。隣の奴が、わざと手を抜いたんだ。

 俺がいなくなった間を詰めた彼らは、がっちりとスクラムを組んで奈良沢の引きを阻んでいた。だが、一瞬の隙をつき、奈良沢が二人目を釣り上げる。

 そこでタイムアップになった。バスケの試合も終わり、整列を命じられる。日直の号令で礼をして、俺たちは教室へ戻る。

「これで、ちょっとはわかったでしょ」

「なにが」

 え、まだわかんないの!

 心外だという顔で、奈良沢は俺を見た。

「大根抜きは体重だけじゃないよ。技術もいるんだ。女王と言われる強さは、決してデブだってばかにされているわけじゃない。信頼されているんだよ」

「奈良沢……」

「子どもは大根抜きが大好きだからね。他人をおとしめるためには使わない。他のスポーツだってそうだろ? サッカーとか、体格がいいだけで、ゴールキーパーが務まるわけじゃない」

 ハッとする。バスケだって、そうだ。ただ背が高いだけでできるスポーツじゃない。そんな風に言われたら、腹が立つ。

 大根抜きはスポーツとは言い切れないが、北海道で生まれ育った子どもたちにとっては、非常に愛着のある遊びなのだ。他人を馬鹿にするために行うものでは、ない。

 結局、妹のことを一番馬鹿にしていたのは、彼女の言葉どおり、俺だったんだ。「俺にとっては」と条件をつけて「可愛い」と形容することは、差別と何ら変わりない。

「美也に謝らないと」

「そうだね。ついでに、大根抜きをばかにしたことも謝るといいよ」

 本当に道産子は、大根抜きが好きなんだな、と、目だけ笑っていない奈良沢を見て、そう思った。

 その日の夜、俺は妹に心から謝罪した。腹を割って話をして、

「学校では、みやのことデブだってからかう男子もいるよ。そんな子たちも、大根抜きでみやが活躍すると、すげーって言ってくれるの」

 と、妹からの打ち明け話もあった。

「だからみや、大根抜き、大好き。お兄ちゃんも好きになってくれてよかった」

 いや、好きになったわけじゃない。ただ、大根抜きという遊びに理解が深まったというだけで……とは、ニコニコ顔の妹を見ていたら、言えなかった。

 俺が過保護なのもよくないと、話し合って、父もこのまま週の半分はお迎えに行くことになった。

「川崎くん、ほんっとうに、俳句研究会に入ってくれるの?」

 放課後に自分の時間が取れるようになった俺が奈良沢に「俳句、やってもいい」と言うと、あれだけしつこく勧誘してきた彼なのに、疑いの目を向けてきた。

「入るって言ってるだろ」

 それでも「えー」とかなんとか言っている奈良沢に、俺はさっそく、一句詠んでやった。「『妹や大根抜きの女王かな』」

 奈良沢はしょっぱい顔をする。「や」とか

「かな」を使うと、俳句っぽいだろ?

「うーん。俳句のルールはまた勉強してもらうとして……思ったより、詩心がないんだぇ、君」

 なんて、彼は失礼なことをのたまったのだった。

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