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<23話
宮中での騒動は極秘裏に処理されて、露子は俊尚の邸宅に戻された。雨子もまた、実家から帰ってきている。露子の身に起きたことを聞いて、「我々のせいですわ!」と、今にも自害しそうだった彼女を、なんとか宥めた。
部屋の中は暗い。空気は重苦しい。烏も俊尚も、真犯人をおびき寄せる作戦を立てるために宮中に出張っている。
そして五日が経ち、京には帝が病に倒れたという噂話が、突如として吹き荒れた。流行病らしい、呪いらしい。弘徽殿の女御の体調もすぐれないそうだ。誰かが国家転覆を狙っているのではないか。女房達は、そんな噂話に夢中だ。
雨子以外の女房たちは何も知らない。露子は曖昧に笑って、彼女たちを下がらせた。
そこに烏がやってきた。夫の姿はない。見習いだというけれど、彼の活躍ぶりを見れば、十分に一人前の陰陽師だったと思う。
「……これから帝の、治癒の法術を執り行うため、清涼殿へ向かいます」
これは罠だ。帝が死にかけているとなれば、殺すのは簡単だ。敵の正体もわかるに違いない。
「一緒に行くわ」
雨子が、「姫様!」と悲鳴を上げたが、露子は彼女を無視し、烏を睨みつけた。本気よ、と告げると彼は、「……勝手になさい」と背を向けた。
子供扱いされているような気がして、なんとなく悔しいという気持ちはあるものの、露子はさっと身支度を整え、牛車を呼ばせた。
寝所をそっと覗くと、帝は眠っていた。実は帝ではなく、それどころか人間ですらない。式だ、と烏は言う。
「人間、そっくりな……」
「そう。触れても偽物だとはわからない」
どこか引っかかった。人間にそっくりな、熱量を持ち実体を持つ、式。それはどことなく、彼に似ていないだろうか。
「どいてください。結界を張る」
「結界? ここにおびき寄せるのに、結界なんて張っていいの?」
「何もなければ、罠だとばれてしまう」
なるほど、と露子は手を打った。敵は無関係の露子を使って帝の暗殺を企てるような狡猾な人間だ。
完璧な結界をまずは張る。そこに一か所だけ、綻びを作っておく。本来ならば、その穴はまた別の術式で塞いでおくべきだが、烏はその術を少し変えた。わざとらしくならないように、巧妙に。
高度の術者にしかわからないよう、わずかに歪んだ結界を創り上げるのは、神経を使う作業だ。烏の額には玉のような汗が浮かんでいる。思わず拭ってあげたい、と露子は思ったが、実行はしない。不用意な接触が、彼の集中力を欠くことになってしまうからだ。
ほぅ、と息を深く吐いて印をほどき、烏は結界を張り終える。あとは隣の部屋で、異変が起こるまで待機するという。寝所の周りは腕利きの武官たちが守っているが、最終的に相手が術を使ってくるとなると、烏だけが頼りだ。
……烏、だ。俊尚ではない。この期に及んでも俊尚はやってこない。
「俊尚様は?」
露子の問いは黙殺された。そろそろこの問題の答えも見えてきそうだった。
「いいのか?」
唐突に問われ、露子は「え」と聞き返す。じっと烏は色の薄い目でこちらを見る。もう少し輝きが強ければ、あの日の桜花の鬼の瞳に似ているが、烏の目はどこまでも澄んでいて、恐怖など少しも感じない。
「本当にあなたはいいのか? 全てを受け入れられるのか?」
烏の言葉に、やはり、という思いを露子は強くする。けれど、頷いた。私には責任があるわ、と静かに言った露子に、烏は目を細めた。
>25話
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