星読人とあらがう姫君(23)

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ライト文芸

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22話

 喉が自由になって、露子は咳き込んだ。あまりにも急なことだったので、涙が滲むほど咳き込み、忙しなく呼吸をする。

 ようやく明瞭になった視界に映ったのは、巨大な化け物だった。尾が三つに分かれていて、毛皮は淡く金色に光っている猫だ。その目は鮮やかな緑色だった。

 化け猫は、いまだ悪鬼のごとき桜花にとびかかり、吼えた。桜花も唸り声をあげて、応戦する。獣二匹が生死をかけて戦っている様子に、圧倒される。

 桜花が化け猫に爪を突き刺して、肉をちぎり取ろうとする。が、猫らしい俊敏な動きで、化け猫は桜花の単調な攻撃を退け、逆に喉笛に噛みつこうとする。

「やめて!」

 桜花様を傷つけないで。そう叫んだのもむなしく、鋭い牙が食い込む。露子の悲鳴をよそに、噛み千切られたはずの桜花の首からは、血ではなくて黒い炎が零れた。

 正体を現したかと思うが、まだ悪霊らしい影は、桜花に憑りついたままだ。かなり深い傷を負ったらしく、桜花の顔色は青い。

 そこに、一人の少年が立ちはだかった。

「烏……?」

 咄嗟に俊尚の姿を探したが、背の高い夫はいなかった。烏は陰陽術師見習いだ。半人前の子供が一人で、、この怪異に太刀打ちできるはずがない。

「何してるの! 逃げなさい!」

 烏は露子の言葉など聞いていなかった。ただ感情の籠らない目で、桜花を睨みつけている。烏は札を取り出して指で挟み、自分の顔の前に掲げる。

「急急如律令! ハッ!」

 襲ってきた桜花の眉間に札が触れた瞬間、びしり、と何かが割れるような音がした。よく見ると、桜花の額からしゅるしゅると黒い煙が吸い込まれていくではないか。

 何が起こっているのかまるでわからない。露子が呆然としていると、金色だった桜花の目が徐々に光を失って、元の黒曜石に戻り、閉ざされた。どさり、と桜花の身体が崩れ落ちる。

 烏は持っていた札に火をともし、灰へと帰した。不思議なことに目を瞠っていると、彼は桜花の口の中に指を突っ込んだ。帝の前でその妃になんてことを。

 しかし帝は気にした風もなく、烏のすることを息を呑んで見守っている。

 烏の指にくっついて出てきたものを見て、露子たちは絶句した。

「なに、それ……」

「呪符だ」

 奥方様、と丁寧に呼んでくれていたのとは違う。従者としてではなく、大人のように対等な物言いで、今の烏は術者なのだと知る。

「これによって、女御様は操られていたんだ」

「でも、そんなものどこで……」

 帝の問いに、烏は振り返って、それから露子を見た。

 喉の奥の呪符。どうしてそんな場所に貼りつくのか。答えは一つしかない。帝は桜花が食べていた乾菓子の箱に近づいて、割った。

 一つ、二つ、三つ。露子が持ってきたすべての乾菓子の中に、呪符が仕込まれていた。

 帝の視線が露子を突き刺す。震えが止まらない露子の上衣を、烏は脱がせた。

「弘徽殿の女御は関白家の一人娘で、主上はぞっこん。だから私は結界を張った。呪殺・毒殺なんでもござれの宮中だから、簡単には破られないように」

 裏地には、露子が気づかないように、呪符が縫いつけられていた。それだけではなく、衣に刺繍された文様もまた意味がある。呪符の力を倍増するように、梵字が描かれているのだという。

「この衣は、誰が?」

「それ、は、うちの女房たちだけど!」

 女房たちに梵字やら呪符やらの知識はない。だが、すべてを偶然だと逃げることは、露子にはできない。精一杯の虚勢を張り、自分の無実を主張する。

「それに、この衣を女御様のところに行くときに着るなんてわからないじゃない……」

「いいや、わかるさ。ただ親戚のところに行くんじゃない。女御のところに行くのだから。これは手持ちの中で一番上等な衣だろう?」

 反論できずに、露子は黙ってしまった。

「そなた……よくも!」

 帝の目は憎しみでいっぱいだ。先程までとはまるで異なる。自分自身を、そして寵愛する妃を傷つけた人間への怒りを込めて、露子を睨みつけている。

 違う、私じゃない。私は何も知らない。そんな言い訳は通用しない。衣には結界破りの呪符が、持ってきた乾菓子には、桜花を操り、帝に害を与えた呪符が入っていた。

 客観的に見れば、この時点で露子以外に犯人はいないと思われる。だが、露子は自分自身が犯人ではないことを知っている。呪いや悪霊や術のことなど一切信じない露子が、こんな手を思いつくはずがない。

 しかし現に、露子が桜花を訪ねたことによって、事は起こってしまった。帝を殺そうとした罪は、死で償わなければならない。

「い、いや……わたし、私じゃ、ない……私は、知らない!」

 露子はへなへなとへたり込んで、悲鳴を上げて頭を抱えた。そんな露子を、帝は冷ややかに見つめていた。彼の唇が露子に処遇を告げようとした瞬間、露子を庇って立つ小さな影。

「そなた……烏……」

「主上。この者は関係ない」

 恐る恐る顔を上げた露子の目に、烏の背中が映る。小さいのに、大きく頼もしい背中だ。

 烏のこともまた、露子は何も知らない。何度も言葉を交わしたはずなのに、見知らぬ男を見るようだ。露子が知る烏は、俊尚の従者で陰陽術師見習い。烏という呼び名しか知らない。

 なのにどうして彼は、私を助けてくれるのか。

「この者は、女御や帝に害をなすことなど、決してない。真犯人は別にいる」

「真犯人?」

「私が責任をもっておびき寄せる。だから彼女は、帰してほしい」

 頼む、と頭を下げる烏は、帝相手でも対等に話している。帝がそれを咎めないのも、不思議だった。

 帝はじっと烏を見つめた後に、不承不承、溜息をついた。

「余は疑いを晴らしたわけではないぞ」

 と。

24話

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