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<6話
目を覚ましたベリルは、一瞬自分のいる場所を見失った。
新たに人生を仕切り直したクーリエ子爵の代官屋敷も立派なものだと思ったが、あの日割り当てられていた客間よりも、後宮の一室は広い。
昨夜は遅くに辿り着いたため、すぐに眠ってしまった。明るくなってから室内を見回すと、箪笥に鏡台、絵画などの装飾が目を引いた。天蓋付きのベッドは女性的すぎて趣味ではないと感じたが、そもそも後宮に入るのは、その多くが女だ。そちらの好みに合わせると、こんな部屋になるのだろう。
この国の王――竜王、と呼ぶそうだが、ベリルにはよくわからない――が乗った馬車と、出会い頭に衝突した事故から、二週間あまり経過した。王都までの旅の途中、ところどころで馬車から降ろされ、見覚えのある風景ではないか確認されたが、まったく記憶がよみがえる気配はなかった。
停まる必要のない場所で長くとどまったせいで、都への到着がだいぶ遅れた。同乗していたカミーユは、主人の手前何も言わなかったが、苛立っているように見えた。謝罪しようとしても、無視された。
嫌われているのかと思いきや、昨夜部屋に案内してくれた彼は、ごく普通であった。
『朝は侍女が支度に来ますから、彼女たちに任せてください』
素っ気なくはあったが、主人の妃(という言葉も気恥ずかしいが)に対しての礼儀は尽くしていた。馬車の中での冷淡な態度とだいぶ違う。困惑して見上げたベリルの肩を、シルヴェステルは優しく二度叩いた。
『馬車の中で、気持ちに整理がついたのだろう』
励ましの言葉には、多分に笑いが含まれていたような気がするのは、なぜだろう。
ぼんやりとこれまでのことを思い出しながら、ベッドの上で誰か来るのを待っていたが、待てど暮らせど、扉をノックする音は聞こえない。そっと室内履きに足を差し入れて、ドアの前で外の気配に神経を研ぎ澄ませる。防音は完璧ではない。誰もいないのかと思ったら、廊下を通りかかる足音は複数だった。誰ひとり、立ち止まることはなかった。
ベリルは部屋を歩き回り、続きの間の扉を開けた。衣装部屋だと説明されていたのだが、主室と同じだけの広さがある。あんぐりと口を開けて呆けてしまったベリルは首を横に振って、どうにか正気を取り戻す。
着替えを探さなければ。
絹でできた寝間着は着心地がよくて、ずっと身につけていてもいいくらいだが、今日から王都で生活するのに必要な知識を学ぶのだ。先生と会うのに、失礼のないよう身だしなみを整えなければならない。
カミーユは口を酸っぱくして、「あなたへの評価はそのまま、陛下への評価となるのです」と、言った。馬車での彼らのやりとりから推察するに、シルヴェステルはどうやら、貴族たちから軽んじられているらしい。
あんなに立派な姿なのに。この国の貴族たちは、見る目がない。
シルヴェステルは、美しい男だ。事故に遭ったと告げられ、記憶がまるでないことに混乱していたベリルを、一気に現実に引き戻すだけの圧倒的美貌。
白銀の糸が豊かに流れる長い髪は、長旅でも傷むことなく、ずっとさらさらのままだった。空の色は熱を帯び、その目に見つめられると、心臓が高鳴って、何も言えなくなる。
外見だけではない。見ず知らずのベリルが、王都でも窮屈な暮らしをしないように、馬車の中でカミーユに申しつけ、早馬を派遣させてまで、あれこれと手配していた。
まあ、その結果がこの衣装の山なのかもしれないが……。
>8話
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