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<4話
笹川と戻ってきたウサオの表情は堅かったけれど、大人しくなっていたので向こうは向こうでの説得が功を奏したのだと俊は思った。
「そっちもOKか?」
「うん。三船くんも同居大丈夫だって。ってことで笹やん、ウサオくんの当面の生活費よろしくね?」
にっこり笑顔の高山の言葉に、笹川はその能面のようなと形容するにふさわしい無表情を崩した。なんだそれは、聞いていないぞ、と反論を試みる笹川に対して、高山はすっ、と表情を引っ込めて、
「笹やんさ……ポチくんは、元気?」
と言った。笹川は瞬間、息を呑み、そして溜息として吐き出した。
「……わかった」
「ありがとう笹やん!」
この二人の力関係というのが俊にはいまいちわからなかった。高圧的な笹川が高山に対しては強く出られないのがおかしい。
おそらくウサオも同じことを思っていたのだろう。目が合った。やはりウサギは苦手だが、なんとかうまく切り抜けるしかない。彼が理性ある人間であることを、俊は祈った。
最悪な初対面から三日後、笹川の車に乗ったウサオが俊の家に到着した。掃除の仕上げをしていると、チャイムが鳴った。即座に出迎えるが、「遅い」と笹川に言われてしまう。彼はすぐさまウサオを玄関の中に入れると、扉をぴしゃりと閉める。
「見られたらどうするんだ」
ウサギの耳に尾を持つウサオを一般人が見たら、どうなるか本当にお前は理解しているのか、と笹川は視線だけで問う。わかってるさ、と俊は口の中だけで呟いた。都市伝説としてウサギ型のヒューマン・アニマルは淫乱だと流布されている。面白半分に襲われてしまうかもしれない。
――尤も、ウサ耳とはいえこんなムキムキの野郎をレイプしようなんて、普通は思わないものだけど。
ウサオの様子を伺うと、彼はきょろきょろと落ち着かない様子だった。フードの下の耳もそわそわせわしなく動いている。
「フード脱いでも構わないが、窓の外からは見られないように注意しろ」
笹川は言って、ウサオの着ている真っ赤なパーカーのフードを取り去った。垂れた耳が生き返った、というようにぴょこん、と跳ね出てくる。下は緩いパンツを履いて、尻尾が圧迫されたり強調されることのないように工夫されていた。
「服は全部ここに。足りなかったら連絡しろ。調達してくる。食費に関しては振り込んでやるから銀行口座を後で送れ」
大きな紙袋を二つ、笹川は俊に渡した。わかりました、と頷くと笹川は目を細めて言う。
「……何か困ったことがあったら、すぐに連絡しろ。俺が嫌なら高山でもいい。一人で抱えようとするな」
と気遣いの台詞を言うので俊は面食らう。だがよくよく考えれば笹川はコーディネーターだ。アニマル・ウォーカーと自分がトラブルを抱えるわけにはいかないから、きちんとした対応は当たり前だろう。
それから笹川はウサオに向き直った。
「あまりわがままを言って困らせるな……だが、人間のコミュニケーションツールは言葉だということも、忘れるなよ」
言いながら笹川は、ウサオの固い髪の毛を撫でた。それには撫でられた当の本人もびっくりした様子で、一瞬ぽかんとした後にはぷりぷりといつも通り怒って「子供扱いすんな!」と手を振り払った。
子供扱いというよりはペット扱いじゃないのだろうか、と俊は思ったが、ウサオを怒らせるだけだと知っていたので何も言わなかった。
笹川を見送ると、部屋には静寂が訪れた。玄関口で靴を履いたままのウサオに対して「とりあえず入れば?」と促した。
ウサオはぴくん、と耳を震わせて、靴を脱いでどたどたと部屋に上がった。
「靴くらい揃えろよ」
ぶつぶつと文句を言う俊の声は聞こえているだろうに――何のためのウサ耳だ――、ウサオは無視を決め込んで部屋を観察している。溜息をついて俊はウサオの靴を揃えた。
1LDKの俊の部屋は、大学院生の一人暮らしにしては広い方だろう。去年まではワンルームの学生寮に住んでいたのだが、学部生ではなくなるのを機に寮を出た。資料が多いのでワンルームでは収まり切らないと判断したからこの部屋にしたのだが、そのときの自分を褒めてやりたい。こんなムキムキのでかい男と同居することになるなんて思ってもみなかった。
バスとトイレは別になっていて、そこを覗いてすべてを探検し終わった、という顔で「狭いな!」と言い放ったウサオに対して殺意が芽生えたとしても、誰にも文句を言われる筋合いもない。
>6話
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